泊木優

『ごめん終電逃した』

『今日はネカフェ見つけて時間つぶします』

『もし今日の夕飯が保存できそうなやつなら、申し訳ないけどラップかけて冷蔵庫に入れておいてください』

『明日の始発で帰ります』

 既読はすぐにつけられた。了承の返信があったことを確認してから、泊木はスマートフォンをポケットにしまった。コンビニの壁に寄り掛かり、今日一番大きなため息をつく。

 飲み会というものに対する苦手意識を泊木は拭えずにいた。学校行事の打ち上げと同じようなものだと思っていた世間知らずな時期が今は恋しい。リクルートスーツの匂いがモラトリアムの終わりをこれでもかと痛感させてくる。

 企業によっては面接の代わりとして飲み会が行われるところがある。打ち解けや労いの目的は当然だがあるはずもなく、個人のコミュニケーション能力がそこで計られているのだ。料理の味などとてもじゃないが楽しんでいられない。

 さほど空腹でもなかったがコンビニで軽食を購入し、最寄りのインターネットカフェを検索する。現在地から500メートル。普段なら徒歩でも余裕だが、ダウン寸前の今の泊木にはマラソンにも等しい距離だった。

 かといってこのままコンビニ前で項垂れているわけにもいかない。一旦、目と鼻の先にある公園に寄って今後のことを考えることにした。

 真夜中の公園といっても大通りのそばにあるためか思いのほか治安がよさげだった。人は居ないが荒らされた形跡もなく、見通しも良さそうな所だ。

 ベンチに腰掛けて泊木はようやく肩から力が抜けていくのを感じた。一度気を緩めてしまえばもうしばらくは腕も脚も動かせない。

 コンビニのレジ袋から缶コーヒーと梅干のおにぎりを取り出し、自分の横に置く。バッテリーが半分を切ったスマートフォンで今日のネットニュースを開いた。

 ここ数ヶ月の話題で泊木の興味を引くようなものはなかった。大抵が芸能人のスキャンダルか、もしくは政治不信に関するものだ。流れ作業も同然に泊木は画面をスワイプしていく。

 ふと、一つの記事が目に留まった。日本人宇宙飛行士が見出しに写っている。

 そこに見知った顔があるわけではないのだが、泊木は宇宙や天気など、空に関連するワードに対する興味が人一倍強かった。それは他でもない、空に対する憧れによるものであった。

 空になりたい。それは泊木の幼い頃からの大きな夢の一つであった。そしてその夢を、泊木は今でもひそかに持ち続けている。

「空になりたい」と聞いて否定してくる者こそ数えるほどしかいなかったが、真に受けてくれる相手はそれよりもさらに少なかった。

 その中に二人、少しだけ特殊な友人達がいた。

 彼女らは空になろうとしていた。

 ぬるくなったコーヒーに口をつけながら、LINEのトーク履歴を遡る。目当ての二人は、下方の、さらに遡った先に残っていた。 

『メンバーがいません』

 一方との会話は高校一年のもので途切れている。最後に顔を合わせたのもその頃だ。数ヶ月ぶりに対面した自分の苗字に「さん」がつけられていたとき、もうこの子が戻ってくることはないのだと静かに悟った。その記憶すらも今となっては遠い昔のことだ。

 もう一方とは高校卒業まで関係が続いた。不思議な子だった。頻繁に会うわけでもなかったが、顔を合わせると決まって二人で空の話をした。彼女の受験事情も、そもそも大学を志望しているのかすらもついぞ語られることはなかった。最後まで自分は、あの子のことをよく知らないままだった。

 もしかすると。泊木は上を見上げた。

 もしかするとあの子たちは、すでに夢を叶えているのかもしれない。いつからかそんなことを考えるようになった。

 都会の空にも、一等星が点々と光っている。

 坂口さんは今頃こちらを見下ろしているのだろうか。

 それとも、目に映る端から端までウルカちゃんなのだろうか。

「でっかいなあ……」

 夜の空はまた一段と深い。いつからだか抱くようになった空への底知れぬ恐怖は歳を重ねるごとに大きくなっていった。一度、きっともう帰って来ることはできない。それは少し惜しい気がしなくもない。

 じっと見つめていると自分の体が空に吸い込まれていきそうになる。プラネタリウムに似ている、けれどそれよりももっと現実味を帯びたこの感覚が、昔からずっと好きだった。

 私は空になりたい。

 本気で空になりたいと思った。

「なんで」

 坂口に一度だけ、その理由を聞かれたことがある。

「どうして」

 潤維にも何度か尋ねられた。

 けれども一度としてまともに答えられたためしがない。

 好きだから。大きいから。きれいだから。

 おそらくどれも正解で、だがそのどれ一つとして彼女らを納得させられそうなものはなかった。迂闊に心のままを口に出してしまえば、あの二人はいとも簡単に壊れてしまう。そんな予感がしていた。

 泊木には自らを投げうつような覚悟も執着心もない。憧れを語るその言葉には重みも説得力もない。結婚して子供だって欲しいし、今日まで続いている足踏みも、あの日から一歩も進んでいない。

 夜が明けるにはまだしばらくかかりそうだった。

「別におにぎり食べながらでもいいじゃんね」

 この空をまだしばらく眺めていたかった。

 なんとなく、朝までこうしていようと思った。






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フライミー少女 亜木千秋 @ago_0505

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