第20話(終)
奏太は緊張を覚えながら、腰を低くして進んだが、通路は意外と短く、程なくして6畳ほどの広くない空間に辿り着いた。
全身を伸ばしながら見渡すと、先程までとは打って変わって現代的で淡泊な、事務室のようなそこは、正面に磨りガラス付きのドアがあり、蛍光灯が、真っ暗なガラスの上に細長い柱を2本映している。
中央にはほぼ正方形のテーブルが1台あって、その上にはA4の紙が1枚に、ボールペンが1本添えられていた。
何か書いてある、と紙を取り上げたところで、ピンポンパンポーン、と久々のチャイムの後、機械声の放送が入った。
『運営事務局からお知らせします。最終攻略おめでとうございます。用紙に必要事項を全てお書きください。
書き終わりましたら、その場に置いて正面のドアからお帰りください。
回答は後日、記載の住所宛てに送付しますので、くれぐれもお間違えのないようお願いします』
目を通すと、受理番号、郵便番号、住所、氏名、希望の出来事内容をそれぞれ記載する欄が設けられていた。
最終攻略者への報酬の授与だというのに、役所っぽい、ごく事務的なやり方に拍子抜けする。
これに書き込めばいいのか、と困惑しながら、とりあえず氏名までを埋めたが、未来の情報のところで、奏太は本格的に困った。
何を得たいかは、捕らぬ狸の皮算用でいろいろ妄想はしてきた。
宝くじの当選番号、どの株が上がるか、3連単の順番は、とか。
金の話が先に思い浮かび、あとは自分が何年後にどうなっているか、とか。
狭い想像の世界でなされた皮算用は、それを得た後にどうするかに流れていき、では実際何を得たいという確固たる決定はされないでここまで来てしまっていた。
奏太は、ダンジョンマップ、と先程聞いた小夜の報酬を候補として引っ張り出す。
報酬は要らないのかと尋ねた時、小夜は、「あー、そうか」と少しだけ悩んでから、
「でも、なくても次回が若干面倒臭くなるだけなので大丈夫です、何とかするので」
と言った。
彼女の何とかするは、問題なく対応できると同義だとは今日一日で身に染みたが、そんな常勝者が報酬としていつも何を得ているかの好奇心は押さえられず、思い切って尋ねてみると
「次に参加予定の回のダンジョンマップをいつも貰ってました。私、謎解き得意じゃなくて……迷う時本当に酷いことになるので」
と教えてくれた。
ちなみに、前回は絶賛受験中で参加せず、今回はマップなしで挑んだという。
最終攻略にマップは全く関係ないことを、自ら証明していると奏太は苦笑いしかなかったが、報酬がマップというのは良いアイディアではないかと悩む。
どこまで詳細に描かれたマップかは分からないが、マップがあれば、未熟な自分でもある程度は進めるのではないか。
ただ、今になってぶつかったのは、そもそも本1冊以外は持ち込めないところに、どうやってマップ内容を連れて行くかという難問だった。
丸暗記ができればいいが、専門学校の授業内容さえ記憶から飛んでいる奏太には到底難しい。
本に貼るのが手っ取り早いが、それでは結局他のものを持ち込んでいることになってしまう。
余白に書き写すのは、異様に複雑でもっと階数が多いパターンでは大分苦しい。
今日のところは、とりあえず3連単にしておくべきか、でも次回は、次回も優位に立ちたい。
奏太は、迷いに迷った結果、もういいやなるようになれ、と勢い良く、次回開催時の企画展示のダンジョンマップ、と書き込んだ。
ペンを置いて顔を上げると、磨りガラスが明るさを帯びているのに気が付く。
ノブを回しそろそろとドアを開けると、そこはエレベーターホールだった。
"BX"という不思議な表示が点灯し、ホールボタンは上だけが存在している。
押すとすぐに扉は開き、この階で既に待機していたものと思われた。
中のボタンはさらに奇妙で、あるのはB1のみ、開閉ボタンすら付いていない。
選択の余地のない奏太は不安を覚えながらB1を押した。
扉が閉まってから上昇はしばらく続いた。
地下8階から上がるだけにしては長い、1階分がどれだけの高さがあるのか、まさかこれもトラップだったりと本格的に心配になってきた頃に、ようやく浮遊感とともにエレベーターが止まった。
辿り着いた場所に、奏太は思わずあっと声を上げた。
そこは、明らかに企画展示開始時にエレベーターに乗り込んだホールで、町民ギャラリーもそこに繋がっていた。
ギャラリー内の長机のそばには、パイプ椅子に腰掛けた職員が1人、手持ち無沙汰にペン回しをしていたが、奏太に気がつくと「お疲れ様でした」と立ち上がった。
「晴山奏太さんですね、お荷物お返しします。念のため中身を確認してください」
奏太は渡されたビニールを受け取ったが、思わず「あの、他の人は」と職員に尋ねた。
職員はパイプ椅子を畳みながら、
「皆さんお帰りですよ。あ、ビニールはこちらで処分しますので置いていってください」
と、そばにある折りたたみコンテナを指さす。
コンテナは空だったが、その傍に、ビニールがパンパンに詰まったゴミ袋が置かれていた。
「あの……あとは、帰っても?」
「はい、お帰りいただいて結構です、お疲れ様でした」
階段を上がった先の閲覧室にも人はまばらで、参加者らしい人物も居残ってはいないようだった。
小夜の姿もない。
カウンター上の時計は、午後4時55分を差していて、開始から4時間しか経っていないことに、驚きよりも、急激に襲ってきた疲労がここの地下は異世界なのかもしれないという妙な納得を連れてきた。
もしかすると夢だったのかも、とぼんやりと思う一方で、右腕の痛みが、先程までの経験が現実のものであったことを知らせていた。
*
残念なことに、小夜の証明通り、ダンジョンマップは全く効果を発揮しなかった。
マップは、終了後2週間ほど経ってから、独り暮らしの家に書留で送られてきた。
震える手で封を切った奏太は、次回抜けないといけない書庫が20階分もあることに愕然とした。
各階の平面図が描かれたそれは至極シンプルで、マップと言うだけあってルート情報は備えていたが、トラップの方は、黒い点が打たれている箇所はあるものの、説明がなく、どんなトラップなのかは分からない。
また、打点が1つもなく明らかに怪しい階や、書架が1台もない空の階もあって、正直、このマップだけでは最終攻略は達成できそうもなかった。
奏太は、夜勤含みの仕事で忙しく、オフの日も図書館に通う気がしなくて、読まずにとりあえず購入し、最初だけ目を通した『十五少年漂流記』の表紙裏と遊びに、描けるだけ描き込んだ。
ラッキーなのか、前回最終攻略者だったおかげなのかは判然としないが、次回の企画展示にも当選できた奏太は、2回目の余裕を持ち、気合いを入れて挑んだのだが、何と地下2階、最初の階でトラップに引っかかってリタイアになった。
自発リタイアではない、強制アウトである。
それも、書架の間を歩いている時、突然床に穴が開いて落とされた、という何もさせてもらえないままの終了という、非常に悔しい結果で終わった。
しかも、申し込んだ次の回は落選。
フラストレーションを抱えた奏太が、参加の切符を手にしたのはその次の回、最終攻略から1年も経った後だった。
久しぶりに足を踏み入れた町民ギャラリーは、記憶通り参加者でごった返している。
後ろの方に入っていって見渡すと、最強の彼女らしい姿はなさそうだったが、人混みの中で、『アイスランド・サガ』という見覚えのあるタイトルが目に入った。
持ち主の背格好で、眼鏡の塾講師の人だとピンと来た奏太は、人混みを縫ってごく近くまで行き、声をかけた。
振り返った塾講師は最初は誰だか判別できなかったようだが、鼻デブに因縁付けられたのを助けてもらったと礼を言うと、「あ、あのエレベーター前での話だっけ?」と曖昧ながら思い出してくれた。
会場内に多少なりも知り合いがいることが、初出場の時よりも心強く、奏太は
「怪我って大丈夫でしたか?」
と尋ねてみた。
「怪我?」
「殴られて、リタイアになった回のです」
「あれ、何で知ってんの」
訝し気になった塾講師に、奏太は慌てて「実は倒れてたの見つけて通報したんです」と告げた。
正確にはリタイア宣言しかけたところで鼻デブに邪魔をされ、最終的に通報したのは小夜だったが、と思いながら答えると、塾講師は苦笑いしながら言った。
「そうなんだ!ありがとな。振り向いたらガツンって音がして、次に意識が戻ったら病院でさ。頭の骨にヒビ入ってて、何をしてたんですかって医者にめちゃくちゃ怒られたよ」
奏太の腕の方は幸い打撲で済んでいたが、しばらく痛んで仕事に支障が出るほどで、内出血が綺麗に消えるまでには数か月かかった。
しかし、塾講師の方は比較にならないダメージを負ったらしい。
「ヒビ!?もう大丈夫なんですか?」
「さすがにね。ただ、くっ付いたはくっ付いたんだけど、今でもまだ何となく違和感があってさ。そのせいで今日が2回目。でもそうか、俺を殴ったのあいつか。今日は……まあいないみたいだな」
塾講師は周囲を伺いながら呟いた。
頭蓋骨にヒビが入る力で殴っている時点で、完全に殺す気の報復だったことがことが分かって、鼻デブの執念深さに奏太はぞっとした。
当然永久追放にはなっているだろうが、名前を含めた属性を一切知らない相手が、それ以上のペナルティを受けたかどうかはもはや調べる術はないが、予想は十中八九当たっているだろう。
前頭部を恐る恐る撫でてから、塾講師が感心したように言った。
「あそこって地下5階だったよな。こんなこと言うのなんだけど、君って本の使い方も分かんないで参加してたじゃん?それでいきなり5階到達ってめちゃめちゃ凄いな」
逆に、奏太と同じ日がデビュー戦だったはずなのに、自力で地下5階まで到達している塾講師の方が凄いのでは、と思いながら、奏太は頭を掻く。
「いえあの、川上さん、っていう人と一緒に行動してて、それで」
「え、あの『最終攻略ちゃん』と!いいなあ、何で?」
「さ、最終攻略ちゃん?」
「そう、大体いっつも最終攻略するから。前回も成功したって聞いたよ彼女」
「そうなんですか」
「あ、もしかして、珍しく彼女以外に攻略者が出たっていうの、君のことか」
「あ、はい」
照れ笑いをした奏太だったが、途端に周囲の空気が切り替わるのを感じ、徐々に笑みが乾いた。
あいつが、マジで、という囁き声と、鋭い視線が幾筋も頭部に刺さり、自分の力が攻略に寄与していない自覚がある奏太は、肩身が狭くなる。
「2人行動なんて宗旨替えしたのかな。一緒に行動したいってお願い系全部断ってるって噂だったけど」
「いや、お、僕も途中で偶然会っただけで」
「そうなんだ、途中だと一緒に行動してくれたりするんだ、へえ」
マジか、探すか、と伝播していく小声の中、『最終攻略ちゃん』という粗い呼び方に、奏太は、小夜を最終攻略の道具扱いにする響きを聞き取った。
他の参加者とできるだけ鉢合わせたくない、と萎れた彼女を思い出し、怪我をしてから以降の顛末を飲み込む。
塾講師は気づかず話し続ける。
「『最終攻略ちゃん』って、本を朗読するだけで召喚以外のこともできるんだろ?」
「え、何でも、って」
「ほら、グリモワール的に何か召喚して対応するのがセオリーじゃん。彼女は違うって聞いたんだけど、何か見た?」
塾講師は、情報源は分からないが、企画展示の知識を種々取り集めているらしい。
セオリーがあるなんて初めて聞いた、いやその前に彼女の声が蘇る。
(形を作るタイプの人も結構いるみたいなんですよね)
結構じゃないじゃん、逆じゃん!と奏太は想像上の小夜に抗議しながら、「いや、ええと、何かを召喚、してるのは見ましたけど」としらばっくれた。
横から、聞き耳を立てていた別な参加者が嘴を挟む。
「何を召喚してたんスか」
「いや、何だったのかよく分からなくて」
「何か変な形とか?」
「そんな感じ、ですかね」
最終階での召喚は確かに見ているため、その点の嘘は言っていない。
召喚されたのが大量の羊であるのを伏せたのは、嘘の中に真実を混ぜるというやつだ。
彼女がセオリー度外視の立ち回りができることを、有象無象に教える必要はない。
自分が見せられたのは、企画展示攻略の最上級、真似ができない手本、奏太との間に聳える超えられない壁だった。
前回の地図を書き込んだまま、碌に読み込んでいない『十五少年漂流記』を持ち込んでいる奏太が、彼女の情報をぺらぺらと喋れるのは仁義に反する、喋ればただの愚か者だ。
塾講師が、「あれ、そうなんだ。じゃあ噂の方が違うのかな……」と考え込むのに、奏太は、どよめきの中に何だよ使えねーという貶しが混じるのを無視し、
「今日は彼女、参加してないみたいですね」
と話を逸らしながら周囲を見渡した。
前回は見かけなかったが、今回もそろそろ始まるというのに、人混みに、彼女らしいシルエットは見いだせない。
「後から来るんじゃないかな。いつも最後の方にこっそり来るっぽいよ。皆注目するから全然こっそりになってないけど」
ほら、噂をすれば。
軽いざわつきが生じる。
塾講師の視線に従い入口に顔を向けると、眼鏡に白いワイポイントのトレーナーに、地角高校のジャージという、1年前と全く変わらない姿が、ギャラリーの壁際に滑り込んでいた。
少し落ち着かず、手持ち無沙汰を紛らわすかのように、ガラス内の展示を眺める小夜の本には、今日は(三)と振ってあるのが、袖の影に見える。
程なくして、職員が扉を閉めに来た。
「それでは、時間になりましたので、只今より地角町図書館企画展示を始めさせていただきます」
相変わらず喧しいハウリングに眉を顰めながら視線を上げた小夜が、奏太を認める。
ぽかんとした後に、口が、お、という形に変わっていくのが目に映り、奏太は、今回も最終攻略するだろう彼女を、心から羨ましいと思いながら、やっぱり本、読まないとと手遅れの反省をした。
了
地角町図書館の企画展示 蜂須賀漆 @8suka_7
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