終わり

 *


「ねえ、もも」


 と、言ってきた。


 いつもの口調とは違う、地に足が付いた言葉遣いに、少しだけ驚いた。


「な、なに、おねえ


 その次の言葉は、きっと私の小説の褒め言葉だろう。


 早く褒めてよ、私を。


「物語の最低条件って、何だか分かる?」


「え」


 しかし、姉から出てきた言葉は、全く予想していないそれだった。


「も――物語の最低条件? いや、感想を教えてよ」


「その前に、だよ、もも」


 眼が本気になっていた。


 小説については、嘘を吐かないし、容赦はしない。そんな姉の覚悟が垣間見えた。下手に言い返しても無駄だということを、この十四年間で私は理解している。


「え、ええっと、物語であるために必要なこと――ってこと?」


「そう。というか、これがないと物語とは言えない、っていうたった一つの冴えない要素のこと。ゆっくり考えていいよ」


 これがないと物語とは言えない。


 何だろう。


 題名、筆者名? いや、それが無くとも物語として成立しているものはある。出版社? 文章の羅列? そんなトンチのようなものでもないだろう。登場人物? いやいや、人物ではない物語だってちゃんとある。


 ならば、何だ。


 私は考えた。


 それが私の小説に足りないとでもいうのか。


 物語、読み手、そうか。


 物語の読み手の知能か。いくら素晴らしい物語を書いたところで、読む人が馬鹿であれば勝手に歪曲される、そして評価されずに埋もれていく、そういうことを、姉は言いたかったのだ。そうして私の物語を、褒めてくれるのだ。


 だから言った。


「物語の、読む側の知能、でしょ?」


 言葉が口から離れた後で、少し、妙な感じがした。


 あれ――これでいいのか、と。


 いやいや、私は間違ってはいない。


 姉はしばらく私を見つめた後で、続けた。


「違うよ。もも。それは、違う。あのね、覚えておいて」


 と、明瞭な口調で、姉は続けた。


「今のももの物語には、それがない。いくら素敵な文章を使っても、上手い文を書いて人を感動させようとしても――それがなければ、意味はないんだよ。今のももが書いているものは、物語ですらない。だからこそ、誰も評価してくれないんだよ。物語じゃないんだから」


「ちょ――ちょっと、言ってくれるじゃない」


 流石さすがに私も、言われっぱなしではない。


 少なくとも、姉よりも良い文章を書いているはずだ。


「そこまで言われる筋合いはないよ。何? 書く人の愛情とか、登場人物への気持ちとか、作品へのリスペクトとか、そーゆー良く分かんないこと言うんでしょ? 込めたかどうかなんて分かるの? 結局好き嫌いの問題じゃん――お姉の書く文だって、ぼろぼろでダメダメじゃない。あんなの読む人の気が知れないんだけど。気持ち悪いオタクとかが読んでるんでしょ――」


「違うってば。ふうん、ああ、そっか、本当に分からないんだね、ももちゃん」


 その言い方に苛立った。


 他の分野ならまだいい。けれど文章を書く点においては、譲れない。この姉に好き放題、言わせたくはない。思わず手が出そうになって、我慢した。


「い――い、言わせておけば、じゃあ何? そこまでお姉が言う、物語の最低条件って、一体何!」


「それはね」


 それは一言だけだった。 





 、だよ。





 私は、何も言い返せなかった。


「どんな物語でも、エンドマークが打たれる。編集の人に言われたんだ。面白い小説を売るのは出版社の仕事で、面白い小説を書くのが作家の仕事だって。確かにそうだと思う。でももう一つ付け加えるなら、作家には、その面白い小説を終わらせる責任がある、と思うの。続ける続けないは編集と話し合えばいいけど、。終わらない物語なんてないでしょ。続編があったり、シリーズがあったりするけれど、本が終れば一旦終わる、よね。今のももちゃんの小説は、終わっていない。途切れている。最初だけぱっと書いて、飽きたら次のを書いてるんじゃないの」


 図星だった。


 図星だったからこそ、言い返せなかった。


 ゆっくりと、落ち着いて、それでいて重みのある声だった。


「別にいいよ、それでも。学校の読書感想文なんてたった原稿用紙5枚くらいでしょ。だけどさ、感想文と小説は違うんだって。筋があって、ラインが合って、終わりがある。読む人の知能がどうとか言ってるみたいだったけど、30作も書いて、そんなことも分からないの? いつまでもだらだら終わるかどうか分からない、とぎれとぎれの未完成品を見せて、誰が喜ぶって思うの。読者の心を揺らがせることばかりに執着しすぎて、何にも見えてないじゃない」


 姉の言葉が刺さる。


 本気で、姉は怒っているのだ。


「ももが馬鹿にしてるライトノベルだって、ちゃんと終わっている、完結している小説だよ? 文学を専門に学んだわけでもないのに良くあんな風に上から目線でコメントできるよね。文学部なんて役に立たないとか言ってるけれど。ちゃんとライトノベルを読んだことなんてないんでしょ。駄目なところをあげつらう目的で流し読みして、批判前提で読書してさ。そんな風に読んでる人が書いた小説なんて、面白いわけないよ。ずっと見て見ぬふりをしてきて、ももがいいならそれでいいって思ったけど、やっぱり、言うね」


 眼と眼が合った。


 姉の瞳に映る私は、泣きそうだった。


「小説を書いたって褒めてほしいみたいだけど、なんか色々と馬鹿にしたいみたいだけど、別にももがどういう小説を書こうと批評するつもりもないけれど、でも」


 姉は、少しだけ言葉を止めて、向き合って、私に言った。


「せめて書き終えてから言え。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る