後編 ある夫婦の形

「初めまして、レシェク伯爵家の嫡男オーロフと申します。夜分遅くに、誠に申し訳ありません」


 玄関先で出迎えた両親に、丁寧にお辞儀をするレシェク小伯爵様。


「先程娘から話を伺いました。娘を助けて下さり、誠にありがとうございます」

 お父様がレシェク小伯爵様にお礼を申し上げる。


「いえ、当たり前の事をしたまでです」


「ここでは落ち着きませんから、どうぞ中へお入りになって下さい」

 お母様が声をかけた。


「あのその前に、お嬢様とお話をさせていただけないでしょうか?」


「え? どういう事でしょうか?」


 私も心の中で、お父様と同じような事を思った。

 や、やっぱり、何かしらの苦情かしら?

 私は内心びくびくしていた。


「無作法は承知の上でお願い申し上げます。お嬢様に決して失礼な事はしないと、神に誓います」


「お、お話をお聞きします」

 私はお父様が答えるよりも先に了承した。


「「セドシア!」」

 制止するかのように、両親が揃って私の名を呼んだ。


「レシェク小伯爵様は私の恩人です。それに彼は紳士な方です」


「「……」」

 両親は心配そうな顔をしていたが、私は構わず話を進めた。


「レシェク小伯爵様、こちらへどうぞ。お茶をお願いね」


「かしこまりました」


 私はレシェク小伯爵に声をかけてから、執事にお茶を頼み、彼を客室へとご案内した。


「失礼いたします」

 彼は両親にお辞儀をした後、私の後について歩き出した。



 ◇◇◇◇



「レシェク小伯爵様、あたたかいうちにどうぞ」

 私はテーブルの向かいに座り、彼にお茶を勧めた。


 内密なお話があるという事で、使用人には下がってもらっている。


 彼と距離を取っているから、今のところ不快感はない。


「できましたら僕の事は名前で呼んで頂けますか? セドシア嬢」


「あ、貴方様がよければ…オ、オーロフ様」


「ありがとう。では、いただきます」

 オーロフ様はにっこりと笑った。


 ティーカップの取っ手に添えられた細く長い指。

 角砂糖を一つ、ティースプーンの上に置く。

 カップの中にティースプーンを沈め、ゆっくりと前後に動かす。

 静かにティースプーンをカップの向こう側に置き、口元へティーカップを持って行く。


 全ての所作が美しい…

 わ、私…ここまで完璧にできていないかも。


「……11の時でした…」


「え?」

 彼の所作を凝視していると、突然オーロフ様が神妙な面持ちで話し始めて私は戸惑った。

 

「……」

 オーロフ様はティーカップをソーサーに置くと暫く黙り込んだ。


「…オーロフ様?」

 続く沈黙に声を掛ける私。

 いかがされたのかしら?


「……侍女が夜中に僕の部屋へやって来て…」


「え!?」


「無理矢理口付けをされ、身体の下の方で、彼女の手が僕の……っ」

 彼の膝の上に置かれた両手は、固く握り締められ震えている。


「僕はすぐに強く抵抗して何とか呼び鈴を鳴らし、彼女は入って来た使用人に取り押さえられました。

彼女の家門は子爵家でしたが廃爵となり、彼女は修道院へと送られる事に…


昔、彼女の母親も侍女として仕えており、子供の頃から互いに面識はありました。


母親の代わりに侍女として彼女が働き始めた時は、まだ妹が生まれておらずひとりでしたので、3つ上の彼女を僕は姉のように慕っていました。


なのに……いつから彼女は僕の事をあのような対象として見ていたのか…」


「オーロフ様……」

 そんなひどい事があったなんて…

 内容が衝撃すぎて、私は思わず手で口を押える。


「こんな話をして申し訳ありません。君の言葉が心に残ったもので…」


「私の言葉ですか?」


「僕も“誰にも言えなかったけれど、誰かに聞いて欲しかった”んです。この事件の後から、両親は僕を腫物はれものに触るかのように扱いました。


 そして僕自身、女性に対しての嫌悪感が刻み込まれて、異性に触れる事ができなくなったんです。


 家族は平気なのですが、異性に触れられたり至近距離にこられると気分が悪くなります」


 私と同じだわ。


 では私に触れなかったのも、私から距離を取っていたのもそれが理由だったのね。

 けれど彼の場合は私と違い、彼自身にひどい事をされ、心に大きな傷を受けた。

 なのに私を助け、気遣って下さったのね。

 

 そんなオーロフ様の過去に、胸が締め付けられる思いをいだいていた私に、彼は思いもかけない申し出をした。


「そこで、僕と結婚しませんか?」


「……………………………はい?」


「そこで、僕と結婚しませんか?」


「いえ、聞こえております。繰り返さなくて結構です。そういう事ではなく、なぜそのようなお話になったのか分からないのですが…」

 突然過ぎて、一瞬時が止まったわ。


「あの時の婚約者とは婚約を解消すると仰っていたでしょ?」


「はあ…その旨は父に伝えましたが…だからってあなたと結婚って……」


 今日の夜会で会ったばかりなのに…私にひとめぼれ?!

 …という事はないわね。

 あんな失態を見られて…ならどうして?


 私がいろいろ思案していると、彼がおもむろに話し始めた。


「僕は今年で21になります。婚約者がいた事さえありません。両親が話を持ってくるのですが、片っ端から全て断っています。


その理由は両親も分かっているので強く薦めてきませんが……諦める様子はないようなんです。僕の将来を心配してのことだと分かっていますが…ただただ負担になるだけなのです。


君も将来の事で、僕と似たような悩みをかかえていると思うのですが。

そこで僕たちが結婚すればその悩みも、お互いに解消できると思いませんか?


あなたのような女性とはこの先絶対に巡り合えないと思い、こうして求婚するために伺ったのです」


「でも…でも私…多分ねやを共にするどころか、挙式で誓いの口づけさえできませんよ?」


「それは僕も同じです」


「よって跡継ぎは無理ですよ? オーロフ様、ご長男ですよね?」


「妹がおりますので、将来妹の子供を養子にできればと考えています。それが無理なら傍系からでも」


「寝室も一緒にはできませんよ?」


「もちろんです」


 ………………………………!!!いい!!!


 こんな優良物件、この先絶対にないわ!

 この方と結婚できれば、この家を出る事ができる。


 それにこの方なら、夫婦としての活はできないけれど、家族として過ごす事は出来そうだわ。だったら答えはひとつしかない!


「結婚します!」


「ありがとうございます」


「お礼を申し上げるのは私の方です。あと…ひとつご相談があるのですが…」


「え?」



 ◇◇◇◇



「「結婚?!!?」」


「はい、ぜひセドシア嬢と結婚させていただきたいのです」

 オーロフ様がお父様に、うやうやしい口調で許可を求めた。


「し、しかし、セドシアはこれから婚約解消する予定で…」


「はい。ですので、諸々の手続きが終わり次第、僕と婚姻を結んでいただければと存じます」


「だ、だけど、いくらなんでも早すぎる!」


 なんだか…この様子では話が進まなそう。

 私がはっきり言うしかないわね。


「お父様が何と言おうと、私はオーロフ様と結婚します」

 私はお父様に、結婚の意思が強い事を伝えた。


「けれど、お父様の言い分も一理あるわ。婚約を解消してすぐと言うのは…」

 お母様は戸惑いながらも、お父様の意見に賛成のようだ。


「お二人の体裁を保つために、これ以上私は我慢したくないのです。一日でも早くこんな家を出たいのです!」


「な、なんだ! その言い草は! 誰のおかげで生活できていると思っているんだ!」


「そうですよっ お父様に対してその口きき方はよくないわっ 謝りなさい!」


 こういう時は、お二人とも息が合うのね。


「そうですね、お父様のおかげで何不自由のない生活ができました。その事だけは、感謝申し上げます。けれど、お二人のせいで私は異性とまともに触れ合う事ができなくなりました!」


「…そ、それは……どういう意味だ?」


「異性に触れられると吐き気を催すからです! だから、今日具合が悪くなりました。原因は、あなたたちの不貞の姿が生々しく脳裏に思い浮かぶからです! あえぐ侍女に絡みつき、腰を動かしているお父様の姿が、使用人の唇に身体をわれ、恍惚としているお母様のお顔が!」


「「!!」」


 父は娘に思いもかけない事を言われて、魚のように口をパクパクさせている。

 母は青ざめて、ただ震えるばかり。


「オーロフ様はそんな私でもいいと仰って下さった貴重なお方です。なので、こちらの書類に署名をして頂けますか?」

 私は父の前に一枚の紙を差し出した。


『除籍届』


「こ、これは! こんな物にサインなどできるか!」

 父は驚き、紙をテーブルに叩きつけた。


「じょ、除籍届!?」

 テーブルから落ちた紙を拾い、最初の一行を目にすると母も驚いた。


「はい。結婚を期にあなた方と縁を切りたいのです」

 調べたところ、除籍届でディグレー家から私の名前を抜く事が出来ると分かった。

 もちろん血縁はなくならないが、書類上は赤の他人扱いとなる。

 願ったり叶ったりだ。


 だから事前に用意しておいたのだ。

 このような形で使う事が出来るなんて思わなかったけど。


 除籍の事をオーロフ様にお伝えしたところ、「当家としては全く問題ない」と仰って頂けた。


「ど、どうして縁を切りたいだなんて!」

 母は、答えが分かりきった事を聞いてきた。


「……どうして? そんなこと、あなた方が一番よく分かっていらっしゃると思いますが?


私はお二人の事が大好きでした。お二人とも仲が良くて、理想の親であり、理想の夫婦であると思っておりました。

将来はお二人をお手本にし、素敵な結婚をしたいと私はあこがれていたのです。


けれどその想いは、13歳の時に全て壊されました。

お二人が壊したんです!


私があこがれていたものは、全て偽物だった。

今、お二人に対する気持ちは、嫌悪感しかありません!」


「「!!」」


 2人は黙るしかなかった。


「本当はもっと早く縁を切りたかった!

けれど、その当時子供の私には我慢する事しかできなかったわ。


家を出るには結婚しかないと思い、婚約を決めたけどその婚約は解消となり、この心的外傷トラウマかかえては結婚も無理。


もう修道院に行くしかない…と思った時にオーロフ様と出会ったの。


彼は私の全てを受け入れてくれたわ。

こんな僥倖はこの先ないでしょう」


「僕も、君と会えた奇跡を神に感謝したい」

 私達はお互いに見つめ合って、共に笑った。

 もちろん、私と彼との間に距離を保って。


「ですから、署名して下さい。さあ!」

 私は改めて、父の前に書類を差し出した。

 父は震える手で、署名し始めた。


「………ごめ…なさい…セドシア……つらい思いをさせてしまって…ごめんなさい……ごめ…っ…」

 母は涙しながら謝罪の言葉を口にし、署名を書き終えた父は両手で頭を抱えた。

 今更そんな姿を見せられても何も感じない。


 両親はこれからも夫婦を続けるのだろう。

 愛情も尊敬も何もないのに……ただ体裁を保つためだけに。

 そこに幸せはあるのかしら?


 私とオーロフ様も世間体を考えて決めた結婚だけど、決して両親のようにはならない。


「さあ、いこう」

「はい」


 私は振り返らなかった。


 数日後、私たちは結婚した。

 もちろん白い結婚。

 そして婚姻届を提出後、除籍届を出した。


 将来、オーロフ様のご令妹のお子様を養子に迎える予定だ。

 レシェク家の皆様は全て了承してくれている。

 当然、私達も納得の事。


 今私は、とても幸せだ。

 お互いに、唯一の良き理解者を得られたのだもの。


 こんな夫婦の形があってもいいのではないかしら?



【終】


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私たち、白い結婚で幸せです。 kouei @kouei-166

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