私たち、白い結婚で幸せです。

kouei

前編 ひとつの出会い

「…っう、ぐっうえっ!」


「わあ! な、何してんだ! 汚い!!」


 私の婚約者が、まるで汚物を見るかのごとく、床にかがみ込む私を見下ろしている。


 た、確かに…吐いてしまった私が悪い事は分かっている。

 大変…大変申し訳なく思っているわ。

 けれどこんな状態の私にかける言葉がそれ?


 まずは大丈夫か?と心配するものではないの?

 そして具合が悪いのでは…と思うのではないの?

 なのに、気遣う言葉ひとつくれないなんて!


 そもそも原因はあなたなのに!!


 その時、ふわりと肩に何かがかぶさる感触がした。


「大丈夫ですか? 立てますか?」


「…え」


 やわらかそうな栗色の髪の男性がご自分の物であろう上着を掛けて下さっていた。

 穏やかな青い瞳が、心配そうに私の顔を見つめる。


「は、はい」


「君、彼女に手を貸してあげてくれ」

 傍にいた女中に声をかけた。


「あとそこの君。申し訳ないけれど、ここを片しておいてくれないか」


「かしこまりました、え、あ、ありがとうございます」

 

 今度は別の女中に私の吐瀉物としゃぶつの掃除を頼むと、チップを渡していた。

 行き届いた彼の心遣いに、私は感心する。


 反対に、婚約者の姿は……すでにどこにもなかった。

 婚約解消決定ね。


 最初の印象は、悪くなかったんだけどな。

 けどこうして突発的な事が起こった時に、人間の本性って垣間見えるものね。

 結婚する前で良かったわ。



 ◇◇◇◇



 主催者のご厚意で用意された休憩室でしばらく休んだら、胸の不快感も治まってきた。

 付き添って下さったご令息は、私の状態が安定するまでは…と今も傍にいて下さっている。あの役立たずな元婚約者予定あいつにも見せてやりたい!


「あの…私、ディズレー子爵家の長女セドシアと申します。後日、改めてお礼に伺わせて頂きますので、ぜひご家名を教えて頂けますか?」


 ずっと付き添って下ったご令息に私は自分の名前を告げた。


「私は、レシェク伯爵家の嫡男オーロフと申します。ですが、お礼はご辞退申し上げます。具合が悪い方を助けるのは当たり前の事ですから」


「…その当たり前の事をせずに、私の婚約者は逃げ出しましたけどね。でも、その婚約も解消することになると……あっ!」

 私は思わず、元婚約者予定あいつへの悪態を口に出してしまっていた。


「あの方は婚約者でしたか…。意に沿わない相手と我慢して一緒にいるのかと思いました」


「え?」


「…彼といても緊張されているご様子で顔色も悪かった。妙に距離を取っているようにも見えましたし…何だか気になっていたもので注視していたらあのような事になり、驚きました」


 そんな状態だったの? 私。

 自分では気が付かなかった。


 けれど…確かにぎこちなかったのは否めない。

 彼に近づかれるのが何だか嫌だったから…


 でもまさか、自分があんな状態になるとは思ってもみなかったもの。


「実は……先程彼に…その…迫られて…顔が近づいてきたら一気に胃の腑の物が……。そしてあのような状況に。す、すみません…初めてあった方にこんなお話…」


 本当にいくら助けて頂いたからと言っても、見ず知らずのご令息にこんな話をするなんて、失礼極まりないわ。


「……男性が……苦手ですか?」

 けれどご令息は不快な顔はせず、逆に質問されてしまった。


「あ…いえ…私…どうやら…男性が至近距離にいたり触れられると…気分が悪くなるようなのです」


「え?」


「……その実は…私はアカデミーには行かず、女性の家庭教師の元で教育を受けてきました。使用人も男性は年配者がほとんどで、年の近い男性との交流はあまりない生活を送っていました。ですので…先程のような状況になるまで、私自身も気がつきませんでした」


 けれど、原因は分かっている!


 昔は若い使用人たちがいたけれど、お父様が全て馘首くびにしたのよね。

 出来事のせいで。

 自分の事は棚にあげて、バカみたい。


「僕も不快ですか?」


「いいえ。ただ…あまりにも距離が近かったり、触れられるのがダメなようです」

 

 彼に不快感はない。

 私に近づかないようにして下さっているからだ。


 今も寝台と彼が座っている位置は距離が開いている。

 パーティー会場でも、私の様子をすぐに察して、女中を呼んで下さったわ。

 彼の配慮がありがたかった。

  

「立ち入った事をお尋ねしますが…原因に心当たりはありますか?」


「え?」


「あ、いえ、申し訳ありません。踏み込みすぎましたね」


「両親です!」


「ご両親?」


「はい、両親の不貞を見たもので…それが心的外傷トラウマになっているようです」


 私…何で見ず知らずの方にこんな話をしているのだろう。

 でも、ずっと誰かに言いたかった、聞いて欲しかった。

 でも、誰にも言えなかった。

 から心の中にかかえた嫌悪感を。


「私は両親が大好きでした。

娘の目から見てもとても仲がよく、私にとって理想の両親であり、夫婦でした。 

将来、私も両親のような結婚ができればと思っていました……までは。


……父が若い侍女を抱いてる姿を目撃したのです、私が13歳の時でした。

ショックという言葉では言い表せられません。父が母を裏切るなんて。

とても許せなかった。けど、絶対に誰にも言ってはいけないと子供心に感じました。


母を悲しませてはいけない…と。

だけど……その母も…若い使用人と不貞を働くのを見てしまいました。 


その時に理想としていた両親の姿は虚像だったと知り、私の中で両親への愛情は霧散し、代わりに強い嫌悪感が芽生えたのを覚えています。


だからある日、全て暴露したんです。

父が侍女と不貞していたことを、母が使用人と不貞していた事を。

……その後は修羅場です。


父は若い使用人たちを馘首くびにし年配の男性に、母も若い侍女たちを全て年配の女性に替えました。そんな事しても意味ないと思いませんか? それからは仮面家族…というのでしょうか…もう…底冷えするような寒い家になりましたわ…」


 自分から話し始めた事とは言え、だんだん自分の家族が恥ずかしくなり、最後は投げやりな言い方になってしまった。


「とは言え私も貴族ですから、年頃になったら婚約者を決めなければならない。

そうして決まったのが先程の彼です。


彼と婚約したのは一か月ほど前で、二人で出かけるのは今日が初めてでした。

けれどその彼に急に迫られて、突然両親が不貞した場面が回想フラッシュバックしたのです。


もう…気持ち悪くて気持ち悪くて…我慢できずにあんな事に。そして理解しました。私、結婚できないな…と。夫となる人と口付けさえできないなんて……結婚なんて無理に決まっていますから。


実は今日、初めての夜会に出席しました。

婚約者にエスコートしてもらって、素敵な時間になると思っていたのですが…最低な日になりました。はは…」

 

 話せば話すほど自虐的になり、もう笑うしかなかった。


「そうだったんですね…」


「あ、な、長々とこんな話を聞いて下さってありがとうございます」


「いえ、最初に聞いたのは僕ですから。なのに、的確な助言アドバイスができずに申し訳ありません。」


「いいえ! お話できて、少しすっきりしました。ずっと誰にも言えなかったけれど、誰かに聞いて欲しかったんです」

  

 こんな話、誰にもできなかった。

 でもずっと胸に抱えて苦しくて苦しくて仕方がなかったわ。

 けど彼のお陰で、少し心が軽くなった気がする。


「…誰にも言えなかったけれど、誰かに聞いて欲しい……」


「え? 何かおっしゃいましたか?」


「いえ、それより具合はいかがですか? よろしければおうちまでお送りいたします」


「お気遣いありがとうございます。けれど、迎えの馬車がありますので大丈夫ですわ。こんな格好で申し訳ありませんが、いろいろとありがとうございました」

 私はベッドで半身起こした状態で、お礼を述べた。


「そうですか、では、僕はこれで失礼いたします。どうぞお大事になさって下さい」


「本当にありがとうございました」

 どこまでも紳士な方。

 適度に距離を取って下さる気遣いが垣間見えた。

 そのせいかとても話しやすかったわ。


 でもお礼も強くご辞退されてしまったから、もう会う事はないでしょうけど……




 私は帰宅早々、両親を応接室に呼ぶよう出迎えてくれた執事に指示した。


 テーブルを挟んだ向かいに二人は並び、私は今日の出来事を全て話した。


 具合が悪くなった事。

 その私を放置して消えた婚約者の事。

 そして彼と婚約解消したい旨を伝えた。


「幸い、ご親切な方に助けていただきました」


「そんな事が…身体は大丈夫? まだ顔色が悪いようだけど…」

 そう言いつつ、テーブルを挟んで向かいに座っていたお母様が私に手を伸ばそうとした時、私はそれを手で制しけた。


「……」

 母は置き所のなくなった手を戻し、その手を握り締めている。


「婚約解消の件はわかった…」

 父は眉間に皺を寄せて言った。


 あの事件から、私と両親の間には大きな溝が出来た。

 多分この溝は、一生埋まる事はないだろう。


 両親も私の態度の原因が分かっているから、必要以上に関わる事はしない。


 トントントントン


「入れ」


「失礼いたします。実は今しがた、レシェク家のご令息様から先ぶれが届きました」


「え!?」

 執事の言葉に驚いたのは私だ。

 先程別れたレシェク小伯爵様から先ぶれって…?


 私、何か失礼な事をした……わよね!

 ご迷惑ばかりかけたにも関わらず、男性が苦手だと距離を取り、しまいには身内の愚痴を言いたい放題。

 やはりご不快な思いをさせてしまったのね。


 ど、どうしましょう!!










 











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