第一回 今 シンデレラ"fille rundes bassirées"

 鐘が鳴っている。

 いつもこうだ。わたしは、間に合わない。

 膨張する、肺を、踏んづけるように、階段に足を、掛け、あがる。駆け上がる。駆け 靴が 


 あ 


 ひらいた口から、魂みたいなわたしが抜け出して、そいつだけでもいいから教室に飛び込んで欲しい。


 願いなんて、いつもそんな、人の夢みたいに儚くて、お白湯さゆのようにぬるま湯い。時間がゆっくりになる。そして靴が、脱げ落ちる。そっちじゃない。そっちじゃないよ。つんのめるわたしは、想いと逆方向にひっぱられ、無様に廊下へと転ぶんだ。




"fille rundes bassirées"




 遅刻って本当に頭が悪い。誰かの区切った一日に、区切りの悪い目盛りをつけて、この線までに来ないと遅刻。誰かが引いたその線に、押し込められてその日を過ごす。そっちが線を引いといて、5分前には来てろと怒り、たったの5分遅れて行けば、10分待ったと言い出して。


 時間なんて、もううんざりだ。


 屍みたいに横たわっていた。最高の永遠みたいだった。鳴り終わる鐘とともに立ちあがる。灰のようにまとわりついた汚れを、白鳩が飛び立つような音で払う。やってきたうつろ。目の前には男。わたしの脱げた、片方の靴を履いてる。


「なに」


 あがってしまった息が酸素をもっていってしまって、頭がまわらない。こどもみたいな、派手なマジックテープの靴が、さっきまでのわたしみたいに傍らに転がってる。


「ぴったり」


 甲に金の金具がついた、黒のローファー。まるでそこから生えでたみたいに綺麗に足がおさまっていた。


「あげるよ」


 這い出ようとする息を逃がさないように溜め込んで、冷静な顔をしたわたしの魂をそうするように、その言葉だけを細く吹き出した。


 スーツの大人を見るのが怖い。いい歳して、人に決められた服しか着れないくせに、なんでこの人は偉そうに、何かを教えるなんて場に立っていられるんだろう。担任がため息まじりになんとも言えない表情を繰り返す。わたしの家がお金持ちだからだ。


 家が大きかった。なんでもかんでも与えられて育ち、わたしはそれがとても気にいらなかった。なんでもかんでも選択肢はぎとられ、決められた事を、着せられた服でやらされた。


 とにかく靴だけは新しいものを履かせろと、革の固いものばかり、サイズが合う前にあつらえられて。他のこどもが履いている、いろんな色のニューバランスが羨ましかった。わたしの靴はいつだって脱げてしまう。それは捥ぎとられた選択肢のように、つまずいたわたしの後ろでいつもこちらを眺めていた。


 高校だけはどうしても行きたいところに行かせてくれと訴えた。だめならこの家を出ていくと言った。魂だけは、旅立つ支度がととのっていて、別に構わないよと言われた時、家を出ていく決心に、脳が燃え上がる高揚を覚えた。


 どこの高校かと問われて、魂だけが旅立った。何を訊かれたのかよくわからなかった。


 ただ、言えばよかったのだ。


 わたしはかなしくてくやしくて泣いた。いままで抗わなかったことを、脱げた靴がうらめしそうに見ている。わたしではなく、行きたかった路の方を見ている。いつの間にか、自分の意志は通らないものだと思いこんでいただけだったのだ。


「すみませんでした。もう、いいですか」


 よれたスーツの男は、刈り上げた横頭をかしゃかしゃと掻いて、その手をへらへらと虫を払うように振った。頭を下げた先に見えたのは派手なマジックテープのスニーカー。虚ろなわたしから、目玉だけがこぼれ落ちて、刈り上げのような接着面を見つめている。


 いくら断っても運転手が毎朝わたしを待っている。顔を合わせるのも嫌で、遠い裏口から家を出る。朝食の時間は動かない。毎朝そこに行かなければならない。一日の予定が、時計のように正確に収まっているべきだと父は言う。時計が正確でも、時はそうじゃない。時計みたいな父の顔に、魂のわたしが、毎朝そうつぶやく。毎朝。


 そしてわたしは遅刻する。サイズの合わない靴で、急いでいるように見えないぎりぎりの速度で学校へ向かう。でもそれじゃあ、間に合わない。だけど必死になって走るのは、時間に縛らていることを肯定しているみたいで、みっともないことこの上ない。学校につくと、急いでいるように見えるぎりぎりの速度で歩く。校舎にへばりついている父の顔のような時計に見下ろされて。


 今日も間に合わなかった。ぎりぎり、間に合わなかった。でもいつもよりは早くて、一限の教師もみんなも、すこし驚いたような顔をしていた。昨日の男と換えたスニーカーが、音をたてずにわたしを席へと運んでくれる。息を弾ませているのを悟られたくないから、すぐにひじをついて窓の外を見る。男がいた。わたしの靴をはいてる。ように見える。心臓がうるさい。肺を大きく膨らませているあいだに、何度も何度もノックをしてくる。


 彼は高校短距離の記録を持っているのだそうだ。なんでこんな馬鹿みたいな靴を履いているんだろう。誰よりも速く走るってどんな気分なんだろう。自分から、時間なんていうお化けみたいなものの壁を突き破る…いや、自分の走った後に時間がついてくるみたいな感覚なのかな。彼だけがつくれる時間。スニーカーのつまさきとかかとと、マジックテープの部分の色が混じって、一色になる、こどもの頃にやった、色混ぜの遊びみたいに、時間に溶けていくのかも知れない。その境界の、今日と明日のあいだみたいな粘膜を想うと、なんだか、胸が。


 運動会。わたしは今日も遅刻した。もちろん、ではなく、怪我をしたからだ。昨日の帰り路に自転車とぶつかった。ぼうっとしていた、わけではないけど。父は相手に対して目覚まし時計のように怒っていた。朝、腫れた足がよくなくて、食卓に遅れた。人さらいのように病院に連れていかれ、大丈夫ですと何度も言った。


 校舎を抜けて、運動場へと降りる階段に差し掛かる。太陽が眩しかった。みんなが大きな声を出して、大きな音をたてて、まるで七月三十一日の蝉みたい。スピーカーから流れるクラシックをぎちぎちと蝉がこすって、運動場に引かれたトラックに熱をおこしている。わたしも負けじと脚のとれた昆虫みたいに、ひょこひょこと階段を降りて、その熱に身体を浸そうとしていた。彼が走っている。わたしの靴を履いて。風を、蝉たちが熾した熱を、そして時間を、切るように、いや、穴をあけるように、はしる。


 鐘が鳴った。


 わたしは靴が脱げるような気がして彼の方へと手を伸ばした。届くわけないのに。彼は逃げるように離れていく。一人、また一人と置き去りにして、わたしの嫌いな時間を連れていってくれる。時間と一緒に、音がいなくなった。階段から転びそうになる。


 蝉の声がひと際大きくなった。


 転ばなかった。わたしは走っていた。なんだろう、この気持ち。熱を帯びているのは、わたし自身なんだろうか。夏じゃないから当たり前なのかも知れないけど、涼しい顔で彼はゴールテープを切っていた。足にはわたしのあげた黒のローファー。口から魂が飛び出そうになる。なんだろう、わたしの魂は何を言おうとしているんだろう。


 気がつけば隣にいた、知らない女の子が言った。


「なんかキモイ」


 わたしも言った。


「それだ」


 鐘が鳴り終わった。時計は12時を告げていた。






 終






 オトギバナシ ノ ショートショート

"今昔ortギバナsh"は昔 と 今 それぞれつづっています。


シンデレラの 昔「Welcome to cinders era.」 もご覧頂ければ幸いです。

https://kakuyomu.jp/works/16818622170182505330/episodes/16818622170420274079


 因みにタイトルは、フランス語で漫画を意味するbandes dessinéesバンド・デシネをシンデレラと走れRUNでまあ、モジったわけです。fillaというのは少女という意味だとか。そういう意味でございます。


 エンディングテーマがあるならチャットモンチーの皆さんの「風吹けば恋」を(脳内で)流して下さい。主人公の彼女にスニーカーで爆走してもらうMVでお願いします。最後はハァハァいいながら清流沿いで水飲もう。


 3000文字以内でと思っているんですがなかなか難しいですね。この後、実は王子が昼行燈決め込んでる中村主水なかむらもんど的なキャラクターなんかも面白そうだなと思いましたが。展開してる余裕なし。蛇足にもなりそうで。


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