第二回 昔 鶴の恩返し"It’s true. No on the cage."
「まってくれ、おつう」
翁はそう言った。おつうは、いや、その鶴は、春の訪れのようにゆ っ くりと翼をひろげ、哀しそうな、哀しそうに見える、眼をした。
"It’s true. No on the cage."
牡丹雪が花弁を満開に咲かせては舞い、夜がただただ白に埋め尽くさていく。その冬一番の大雪になった凍てつく夜、おつうと名乗る女が翁の家の戸を叩いた。
身寄りが亡くなり、親族を頼りに街へと参る道すがら、この大雪に遭ってしまったのだという。「それは怖かったじゃろうて」と自分が年寄りであることを壁に焼きつけんばかりの老人くさい言葉が出た。それくらい、若さの輝く娘だった。
ガタつく戸を閉めながら外を見る。干し柿のように連なる雪ですね。婆さんはよく笑顔でそう言っていたなと、翁のへの字の角がほんの少し歪む。
ガタつく戸を閉めながら、降り止まぬ雪を背にへの字の角をほんの少し歪ませて「もうすこし、かかりそう…だな」と翁は誰にともなく呟いた。あの夜から娘は甲斐甲斐しく働き、滞在への感謝に何度もこうべを垂れた。
そんなおつうが、遭ったこともない親戚の身元へゆくのなら、いっそこの家の子になれたらと
まるで家の中にまでその輝きが入り込んできたかと思うほど、おつうは雪のように白かった頬を朱にしてうつむいた。翁も、なんだか赤くなって、目をぎょろつかせたまま後ろを向き、「すきにしたらいい」と自分の影に投げかけた。
いとがほしい。ある日、おつうが自分の願いを紡いだことに、翁はへの字の角をほんの少し歪ませた。家族として、隔たりがまたひとつなくなったような気がしたからだ。赤くなる顔を残雪に照り返す陽の光へと溶け込ませ街へ向かう。
猟師の血が、罠の仕掛けの確認に足を運ばせたが、獲物はひとつも掛かっていなかった。糸のことはわからないので、昔、婆さんの遣いで買っていたものと、小さなかんざしを懐に家路を急ぐ。
ぜったいに、なかをのぞかないでほしい。おつうはそう言い残して織機のある部屋へと消えた。もう、二度とあえないかも知れない、なぜかそんな想いが飛来し、翁は震える手をのばす。
その手をさすりながら部屋の前を右往左往していた。慌ただしい物音が規則正しい織機の心拍へと変わり、翁の背をやさしくたたく。胎動、鼓動、子守唄。何年前の記憶だろう。婆さんも、こういう唄を歌いたかったろうか。
赤児のようにまるくなって眠っていたようだ。外の世界はこんなにも寒かったのかと手と足を擦り合わせて、見つけた自分の手の向こうにいる娘の姿に母の顔を重ね合わせる。反物を持ったおつうは困り顔で両の膝をつき、翁に手を
のばしたのは何のための、手だったのか。自らの咎を苛んで、現世にしがみつくための汚れた手。大切なものがどこかへいってしまう、そのほそいほそい糸をたぐろうとする手。
しかしもう、手はない。目の前にいるのは一羽の鶴だった。
「おつう、なのか」
織機を背にたたずむ鶴。花札のようだと思った。それくらい場違いな空間がそこに在った。
「まってくれ、おつう」
翁はそう言った。おつうは、いや、その鶴は、春の訪れのようにゆ っ くりと翼をひろげ、哀しそうな、哀しそうに見える、眼をした。いったい何を待つというのだろう。なかったことにしてくれとでも? ひろげたときと同じように、翼がとじる。ゆっくりに見えたのか、それとも。
「みて、しまったんですね」
時間さえも寒さに凍りついたかと思っていた。寒さ? 震えている。寒くなんてないのに。地震や雪崩の予兆が如く、るるると全身が痺れるように。
「おまえは」
織機の踏み音が高鳴っていく。耳の奥で響くそれが、心臓の
「いつぞやに おたすけいただき ごおんをば おかえしもうし たてまつらんと」
泣いているかのように、その鶴が鳴く。とぎれとぎれに、言葉がおちる。
「まってくれ。ワシは」
粘ついた言葉が出た。
「ワシは、助けたわけではない。腐っても猟師だ。あれはワシの罠だ。食える獲物、皮の剝げる獣が捕まっとったら絞めとった。い、命を救ったわけじゃねえ。たた、ただおまえをあああ殺めなんだだだだけだ」
自分でもなんと言ったかわからない。
「それで恩などと言われちまった日には、ワシの生きとる意味が殺がれちまう。救うよりも多く殺してきた。ただの猟師としての、命を賜る生死の輪廻が、その円が、
目の前が真っ白だ。まるで鶴の、おつうの純白。その外は黒闇で、頭の中は朱に染まる。
「はじめっからなかった恩だ。返すもんなぞない。おまえはそこに、ここにおって、すきなことをしてくれとったら」
鶴は、ゆ っ くりと首をふった。二人をつなぐ糸を断つように。
「なにをいいわけばっかりしてるんだいこの人は! はずかしいようもう。いっつもこう! やくそくのひとつもまもれないくせにりんねだかりんごだか知らないけどほんとに。ごめんね、おつうちゃん。ねぇ。それにしても、あれなのね、鳥のままでもしゃべれるのね? びっくりしちゃったわたし。どういう仕組み? まあいわれてもわかんないんだけど、仕組みは。わらっちゃう。まー、きれいな反物だとおもったら、じぶんの羽を織りこんでたのね。鳥のままで? たいへんじゃない? どっかでさ、ばばば~って羽をぬいてきてさ、ここでは人間になって織ったほうがよかったんじゃない? 鳥でやったの? どういう仕組み? てゆうかさ、羽をぬきに行くのに『ついてこないでね』だったらわかるんだけど、さすがに部屋にこもるのに『みないで』は、おつうちゃんもおつうちゃんだとわたしはおもうけどねぇ。あー、おっかし。まあ、さいしょに『なんで?』ってきかなかったこの人がわるいわよねえ。ちょちょちょあんた、いっつまでそんなかっこうでとまってんのさみっともない。へっぴりごしのおかっぴきじゃないんだから。ツル目の前にしてワシなんていったら、鳥の? ってなっちゃうでしょばかね。ほらもうおつうちゃん飛んでっちゃったわよ。うまいこと戸もあけるもんよね。そりゃそうか、
翁はよろよろとガタつく戸に近寄り、への字の角をほんの少し歪ませて、しめた。
終
オトギバナシ ノ ショートショート
"今昔ortギバナsh"は昔 と 今 それぞれつづっております。
鶴の恩返しの 今 は 準備中 。少々お待ち下さい。
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