第17話 王子様の孤独

 文化祭当日。学校は文化祭に訪れた人で賑わいを見せていた。クラス展示を巡る人や、食べ歩きをする人など、それぞれが思い思いに文化祭を楽しんでいる。


 「星の王子さま」の劇が開園するまで、後十五分。パイロット服に着替えた隼人は、舞台裏からそっと会場を覗いていた。体育館には、2-1の劇を見ようと大勢の人が集まっている。


「うお~、何か緊張してきた」


 ここまで大勢の前で演じた経験などない。緊張で体を硬くする隼人に、キツネに扮した学が肩を組んでくる。


「隼人なら大丈夫だろ。セリフ、完璧に覚えてるし」

「それに、読み方だってすっごく上手になったし! 今日は頑張ろうね!」

「学、清水さん……!」


 隼人たちのやり取りを聞いていた静香も、そう励ましてくれた。2人からの言葉に、隼人の体から適度に力が抜ける。


「そうだよな! やることはやったし、後は頑張ろう!!」

「おう。楽しんでこーぜ」

「お~!」

「な、白川も──! あり? なあ、白川は?」

「さあ?」

「言われてみれば、ここにはいないね」


 緊張の糸がほどけたところで、隼人はこの場に優がいないことに気が付いた。きょろきょろと周囲を見回すが、優らしき人影はない。


「黒田君、もしかして白川くんを探してるの?」

「委員長」


 視線を巡らす隼人を見て、委員長が駆けつけてくれた。委員長の疑問に、隼人は首を縦に振る。


「そうなんだ。もう本番前なのに、白川がまだいなくて」

「白川くんなら、ちょっと外の空気を吸ってくるって言ってたわよ。1人で集中したいって」


 優らしくない行動に、隼人は眉をひそめる。いつもの優なら、1人で集中したいにしても、早めに戻ってきそうだ。こんな風にギリギリまで単独行動をして、周囲を心配させるような真似はしないだろう。漂う嫌な空気に、口の中に唾が溜まっていく。


「でも、もう本番15分前だよね。白川くん、大丈夫かな」

「そろそろ呼び戻した方がいいんじゃないか」

「──オレ、行ってくる!」


 言い終わるのを待たずして、隼人は会場の外へ向かった。体育館の前に優の姿はない。この近くで人目につかず、1人で集中できる場所。体育館裏。隼人は人の間を縫って裏へと回る。


 見つけた、そう言おうとした口から空気が抜ける。予想通り、優はいた。体育館の壁に背を預けて、固く目を閉じている。胸元で握りしめられた両手は、遠目から見ても不自然に力が入っていた。「王子様」じゃない。いつか見た、1人の傷つきやすい青年の姿を、優はさらけ出している。


「──白川」


 隼人の呼びかけに、華奢な肩が大きく震えた。「隼人くん」と笑う顔は、いつもより下手くそで。その顔を見て初めて、隼人は思い至った。気付けなかった自分に腹が立つ。


「もしかして、白川。本当は王子さま役、すごく嫌だったんじゃないのか」


 その言葉に、優の顔から束の間表情が消える。次に浮かべた笑顔は、平時の完璧な笑みとは程遠い、疲れの滲むものだった。唇に左手の人差し指をそっと添える。


「流石。隼人くんには分かっちゃうんだね。みんなには内緒だよ」


 隼人は以前、空き教室を自由に使っていい理由をこう話していた。「人付き合いに悩んでいた時期に、生徒指導の先生が逃げ場として提供してくれた」と。優が今の肩書を得たのも、そんな自分を変えようと必死で努力したからだ。


 でも、人の本質は変わらない。優がここにいるのが何よりの証拠だろう。優が単なる「白川優」でいられるのは、1人の時だけなのだ。それは、あまりにも美しくて遠い孤独。


「断ろうとは思わなかったのか」

「思わなかったかな」


 優は眉を下げて笑う。


「自分から始めたことだからね。責任はとらなくちゃ。それに僕、気づいてほしい人がいるんだ」

「気づいてほしい人?」


 初めて聞く話だ。オウム返しをする隼人に、優は笑みを深くする。


「うん。そのためには目立つしかないから。『王子様』なんて似合わない肩書でも背負わないと」


 普段自分のことをあまり話さないからだろう。優は誤魔化すように、明るい声を出した。


「まあ、大勢の前で劇をするなんて、ちょっと怖いけどね。……カッコ悪いな、僕。王子様なんて、柄じゃない」


 ぼそっと付け加えられた本音に、隼人は唇を引き結ぶ。


 そこまでして優が気づいてほしい人は誰なのか。本当は聞きたくてたまらない。それでも、隼人はこらえた。たった1人で人知れず頑張る優にかけるべき言葉は、そうじゃなかったから。


 自分を恥じるように優は顔を伏せる。隼人は大きく息を吸い、言葉を発した。


「いいよ」


 優が弾かれたように顔を上げた。壁から背を離し、目を瞬かせながら隼人を見つめる。隼人はもう一度、ゆっくりと繰り返した。


「オレの前では、王子じゃなくていいよ。ただの白川優でいい。だって、」


 言葉を切る。脳裏にこれまでの出来事が蘇った。


 いつだってそうだ。「隼人の一番になりたい」と言ってくれた時も、「好きだ」と伝えてくれた時も……。いつか優が隼人をそう評したように、優もまた、自分の想いをまっすぐ伝えてくれる人だった。


「自分や人と本気で向き合っている白川は、いつもカッコいいよ」


 自分にできる最大の賛辞を、隼人は優に贈る。その言葉を受けて、優の顔がくしゃりと歪んだ。細められた瞳には、光が戻っている。その心に届くように、隼人は震える手を取った。


「もしも、白川が王子を演じるのがしんどくなったら、俺がフォローする。絶対離れない。だから行こう、みんなの所へ」

「うん。……うん」


 小さく頷く優の手をとり、隼人は歩き出す。その背に、優が声を投げかけた。


「隼人くん、ありがとう。隼人くんも、いつもカッコいいよ」

「……そりゃどーも」


 分かりやすい照れ隠しに、優が無邪気な笑い声を上げる。仕返しに、手に込める力を強くしたが、同じ力で握り返された。親指で手の甲を撫でられ、もどかしさに息が詰まる。


 4回目に指を絡めたのは、隼人の方だった。勝手が分からず、第二関節のところで指が止まる。そんな隼人のためらいを、優は指を深く招き入れることで受け入れた。重なった温もりがやけに心地よくて、離れがたいとさえ思ってしまう。


 その気持ちの名前を、隼人はもう知っている。

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