第16話 王子様とお姫様
「ねえ、ヒツジの絵、かいて」
「君は、ここで、何を、しているんだい?」
「いいから、ヒツジの絵、かいて……」
「じゃあ、これは、どう?」
「隼人、句読点増えてるぞ〜」
「うーん、そうだね。もうちょっと自然に話せるといいかも!」
「はい……」
静香と学からの尤もな指摘に、隼人は肩を落とした。一緒に台本を読んでいた優は、心配そうにこちらを見つめている。
資料集めが功を奏し、すぐに脚本の原案は完成した。それから一週間も経たずに脚本も完成し、今は本格的な劇の練習に入ったところである。
隼人たち4人は、衣装合わせの前に台本の読み合わせをしていた。しかし、隼人の演技が壊滅的で、中々先に進まない。
「セリフは覚えてんだけどな~。言い方がな~」
「今の時点でセリフを全部覚えてるのは、素直にすごい」
「そうだね。すごいよ、黒田くん。有言実行だ」
「おう! ま、オレにかかればこのくらい余裕よ」
「ふふ。後は演技だけだね」
「…………その通りでございます」
「おーい! そこの4人! 準備できたから、衣装合わせするよ~」
「「「「はーい!」」」」
衣装係から声をかけられ、4人は即席の着替えブースに向かった。
♦
「じゃーん! どう? すっごい良い感じじゃない!?」
「うん! 隼人、いつもと違って知的に見えるよ!」
「そ、そうかな」
衣装係がキラキラと目を輝かせて感想を伝えてくる。隼人は及び腰になりながらも相槌を打った。確かに、姿見の前に立つ自分はいつもと全然違って見える。
レザー風な茶色のジャケットとパンツ。ゴーグルがつけられた、耳まで隠れる飛行帽子。白いマフラーに、茶色の手袋と長靴。パイロットである「僕」に合わせた衣装は、隼人を単なる学生から若きパイロットに変身させた。
「灰谷くん、可愛い~」
学も衣装合わせが終わったらしい。姿見から視線を移した隼人は、一拍後盛大に噴き出した。かなり凶悪な顔をした学が、「おい」と目を尖らせる。
「隼人お前、ここぞとばかりに大笑いしやがって……!」
「だってお前、それは笑うだろ!!」
学の衣装はキツネの着ぐるみだった。フードについたキツネの耳と、おしりについたふさふさのしっぽがまた笑いを誘う。堅物な学には、あまりにも可愛らしい衣装である。
「いや、でも、可愛いぜ学。一周回って似合ってる」
「黙れ」
「男子~! 静香のドレス姿、見てやってよ! 超きれいだから!!」
「ちょ、ちょっと待ってよ。恥ずかしい」
衣装係の誉め言葉に、静香は小さな声で抵抗をみせる。やがて、カーテンの中から現れた姿に、隼人だけでなく学も見入ってしまった。
バラを思わせる深紅のドレス。艶やかな黒髪を彩るヘッドドレスは、リボンと共に大きな薔薇の飾りがついている。肘まで隠れる手袋はみずみずしい緑色で、作中のバラが持つ4本のトゲを想起させた。上品なグリーンのヒールに包まれた足が、一歩一歩確かめるようにこちらへ向かってくる。
「……どうかな、2人共?」
「すっっっっっっっごく綺麗だよ! ほんとに似合ってる!!」
「俺も隼人と同意見だな。バラのイメージにぴったりだ」
隼人たちの素直な賞賛を受けて、静香の顔から緊張の色が抜ける。
「黒田君も灰谷くんも大袈裟だよ。でも、ありがとう。本当はちょっと不安だったの」
「ほんとに綺麗だよ!」
「そうそう。……ということは、後は白川だけか」
学がカーテンの向こう側を見やる。まもなく、カーテンがゆっくりと開けられた。
現れた優の姿に、隼人は束の間時が止まったかのような錯覚を抱いた。学の面白い姿も、静香の綺麗なドレス姿も、この瞬間全てが吹き飛んだ。五感の全てが白川優という人間に集約される。
いつもの栗色の髪は、ウィッグによって金色の光を放つ。身にまとっているのは、黄色のボタンが特徴的な黄緑色の上下で、茶色のベルトが優の腰回りの細さを強調している。首に巻かれた黄色のマフラーは、見る者に夜空に瞬く星々をイメージさせた。素朴な茶色の靴すら、優が履くと何か高貴な物であるかのように思えてくる。
作中の王子の格好は、基本的に至ってシンプルだ。何なら、ダサいと評する人もいるかもしれない。しかし、シンプルであるが故に、白川優という人間が持つポテンシャルを最大限に引き出していた。柔和な笑みを浮かべる姿は作中の王子そのもので。優の一挙手一投足から、隼人は目が離せない。
優はしばらく女子に囲まれていたが、その輪を抜け、ゆっくりと隼人の元へ向かってきた。女子の歓声がどこか遠くに聞こえ、優以外の全てが背景と化す。「あなたしか見えない」なんて寒いセリフ、メロドラマの中だけだと思っていたのに。
「隼人くん」
「……白川」
いつもの優は、人前では「黒田くん」としか呼ばない。漂う甘い空気に、隼人まで酔ってしまいそうだ。
「隼人くん、パイロット姿すごく似合ってる。カッコよくて可愛くて、すごく素敵だ」
どうやら優も興奮しているらしい。歯に浮くようなセリフをスラスラと並べられた。
「……おう。白川も、なんつーか、すげー似合ってるよ」
恥ずかしさから、ついぶっきらぼうな返事になってしまう。優はそれすらも愛おしいと言わんばかりに微笑んだ。
隼人は顔から火が出そうな気分になる。体中のあらゆる熱が集められ、優へと向かっていく。
「おーい、お二人さん。2人の世界なとこ悪いけど、練習再開するってさ」
「一度衣装を着た状態で練習しようって。行こう、2人共」
学と静香が遠慮がちに声をかけてくる。甘い空気は一気に霧散し、隼人たちは慌てて皆の元に戻った。
隼人は学と、優は静香と並んで歩く。小声で話しかけてきたのは学だ。視線の先では、優と静香がお互いの衣装を褒め合っている。
「なあ、白川の格好、すげー様になってるな。清水さんと並ぶと、あそこだけ違う空間になるっていうか」
「え? ああ、そうだな……」
深い意味はない、単純な感想だ。それなのに、隼人の心臓はドクンと嫌な音を立てた。改めて、前を歩く2人を見つめる。
優と静香の間に恋愛感情はない。分かっているはずなのに、楽しそうに言葉を交わす姿を見ていると、心がざわつく。2人が持つ端正な美貌と静謐な空気は、彼らを「これ以上になくお似合いの2人」に見せていた。
ぼんやりとした相槌に、学が不思議そうに隼人の顔を覗きこんでくる。隼人は2人の、特に静香を見つめながら呟く。
「いいなあ」
分からなくなっていた自分の気持ちに、今なら輪郭を与えられる気がした。
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