第11話 王子様と「なじみになる」
たった1日来なかっただけなのに、随分と久々な気がする。放課後、空き教室に灯る明かりを見ながら、隼人は唇を引き結んだ。ドアにかけた手は緊張で少し汗ばんでいる。
教室の前で立ち往生してから、既に数分が経過していた。しかし、足は一向に動かない。鞄の中にある「星の王子様」が、ずしりと存在を主張する。それは焦がれていた特別の重みであり、積み重ねてきた不誠実の重み。
自分が何を言うべきなのか。この期に及んで、隼人は分からないままでいた。いや、本当は分かっている。分かっているから、怖くて足がすくむ。自分の行動が優を傷つけると知っているから。でも。
「君が自分の想いをまっすぐ伝えてくれる人だって、知ってる。だから、隼人くんは僕にとって憧れで、特別な人なんだ」
他ならぬ優がかけてくれた言葉が、隼人の背中を押す。ドアを開ける手に迷いはなかった。
「……よお」
「やあ、黒田くん」
我ながらぎこちない挨拶だったが、優はお得意の完ぺきな笑みを浮かべてみせた。本に栞を挟むと、隼人が自分の正面に座るのを待っている。完全にいつも通りの行動だ。
いつも通りじゃないのは隼人の方だ。鞄から取り出した本を胸に抱えた状態で、ドアの前に立ち尽くす。呑気に座るつもりはなかった。
そんな様子を見て、何か察したのだろう。優は席を立つと、こちらに向かってきた。
隼人が「ありがとな」と本を差し出すと、優は受け取る。足早にカバンの中へおさめると、こちらに戻ってくる。咄嗟に身構えたが、一人分の距離を空けたところで足が止まった。気まずい空気を誤魔化すように、優が話し出す。
「もう読み終えたんだね。難しいことを要求したかもって思ってたから、ちょっとびっくりしちゃった。すごいね、黒田くん」
「正直なところ、オレもびっくりしてる」
本を借りる時、優は「その本を読み終えるまでは、放課後の集まりはなしにしよっか」と言っていた。その時の控え目な笑みを思い出し、胸がチクリと痛む。このまま疎遠になる可能性を踏まえた提案だったのだと、今なら分かる。
「あはは。でも、嬉しいな。それだけ楽しんでもらえたなんて。正直、ちょっと強引だったなって思ってたから」
「……白川が強引なんて今更だろ。なんなら、初めて話した時もそうだったし」
「そうかな? 僕の記憶では、むしろ黒田くんの方がグイグイきてたけど。顔には出なかったけど、すごくびっくりした」
「それはまぁ、うん」
反論の余地がなくて黙り込むと、優がクスクスと笑う。楽しそうな様子とは裏腹に、その肩は不自然に力が入っている。
緊張しているのは自分だけじゃない。その事実が隼人の舌を滑らかにした。一番初めに伝えたかった言葉がするりと出てくる。
「『星の王子様』、貸してくれてあんがとな。すげえ面白かったよ。『大切なものは目には見えない』っていい言葉だなって、素直に思った」
「そっか。気に入ってくれたならよかった」
「おう」
感謝を伝えたところで会話が途切れる。自分の気持ちを上手く言語化できないのが悔しい。優は穏やかな笑みを浮かべて、隼人の言葉を待っている。
「でさ、もう1つ印象的だったのがあって。『なじみになる』って言葉なんだけど」
その言葉に優が目を瞬かせた。「変か?」と尋ねると、慌てて「そんなことないよ」と両手を振る。
「ただ、ちょっと意外だったかも。その言葉、僕も好きなんだ。でも、あんまり感想で語られないからさ」
「一番有名なシーンに比べたら地味だからな。オレ的にはイチオシのフレーズだけど」
このセリフが登場するのは、一番有名なシーンの少し前にあたる。地球に降り立った王子は、1匹のキツネと出会う。早速遊びに誘うも、キツネは「君とはまだなじみになっていないから」と断った。
不思議に思った王子が「なじみになる」とは何かと尋ねると、キツネはこう答えた。それは「絆を作ることだ」と。そうすれば、互いが互いにとって、この世で唯一無二の特別な存在となる……。
「このセリフを読んだ時にさ、思い出したんだ。白川がこの前言ってくれたこと。その、ずっとオレの一番になりたかったってやつ」
気恥ずかしくて優の顔を見れない。ややあって、優が独り言のような声量で呟く。
「……覚えててくれたんだ」
「そりゃあ、あんなこと言われたらな。それに、忘れたり、なかったことにしていい言葉じゃないだろ」
逸らしていた視線を重ねる。優の完ぺきな笑みが崩れた。期待と不安が入り混じった瞳が、食い入るように見つめてくる。
今、隼人の目の前に立っているのは「王子様」じゃない。1人の傷つきやすい青年だった。愛おしさと罪悪感が同時に込み上げて、声を上擦らせる。
「だから、考えた。白川が言いたかったことって、何だったのかなって」
「うん」
「この言葉を聞いた時、思ったんだ。白川が言いたかったのも同じだったんじゃないかって。『王子』とか『モテ男』とか、そういうの全部抜きにして、ただの白川優としてオレと仲良くなりたい。一番になりたい。そう言ってくれたんじゃないかって」
共に時間を過ごす中でなじみとなった彼らのように。立場も都合も関係なく、絆で結ばれた関係になりたい。願わくば、一番に。そう思ってくれたのではないか。
「いや、勝手な想像でしかないんだけどさ! でも、もしそうだったらオレは」
口の中に唾が溜まる。心臓が口から飛び出しそうだ。もしそうだったら、オレは。
「すげえ嬉しくて、そんで、すげえ苦しい」
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