第9話 王子様の誠実さ
「おはよう、黒田くん、灰谷くん」
「あ、おはよう清水さん!」
「おはよう」
静香から挨拶をされたのが嬉しくて、隼人は勢いよく顔を上げた。つい手元に力が入ってしまい、慌ててカバーに皺が入ってないか確認する。席に着いた静香が、そんな彼の様子を見て目を丸くした。
「あれ? 珍しいね、黒田くんが本を読んでるの」
「あー、それは……」
まさか、静香とお付き合いするための布石だとは言えない。露骨に目線をそらす隼人を見かねて、学が簡潔に説明する。
「白川から借りたんだとさ。最近仲いいんだよ、こいつら」
「そうだったんだ。2人がそんなに仲がいいなんて、知らなかったな」
「それはその、話してみたら意外と気が合って! 本はそう、友情の証的な!?」
「ふふ。そんなに照れなくてもいいのに」
必死に言葉を重ねる隼人に、静香がクスクスと笑う。どうやら微笑ましいと思ってくれたらしい。実際には、「僕とも仲良くしてほしい」発言からのゴリ押しに次ぐゴリ押しなのだが。真実は時に残酷である。
「なんだか、2人が気が合うの分かる気がする。白川くん、すごくいい人だし」
「……うん。本当に、いい奴だよあいつは」
静香の真っ直ぐな言葉に反応が遅れた。答えながら、自然と手元に目線が向く。
本は布製のブックカバーに覆われていた。このカバーも優が貸してくれた物だ。深い青を基調としたデザインで、金色のインクで星あちこちに星が描かれている。
鞄からすっと取り出した辺り、愛用しているカバーなのは明らかである。しかし、優は隼人にあっさりと差し出した。「良かったら、これも使ってよ」なんて、控えめな言葉と共に。
当たり前のように差し出される献身に、隼人は何も返せていない。向けられる笑みも、重ねた手の温もりも、惜しみなく与えられる「特別」も……。何一つとして、無償で受け取っていいものなどないのに。
隼人が落ち込んだ気配を感じ取り、静香が言葉を探す。慌てて取り繕おうとしたが、学が助け舟を出す方が早かった。
「そういえば、清水さんも白川と仲が良いよね」
「え? えっと、うん。仲が良いのかは分からないけど、時々話すよ。白川くん、よく図書室で本を借りてるから」
「本の貸し出しを通じて仲良くなった、って感じか。図書委員ならではだな」
「本の趣味が似通ってたから、つい話しかけちゃって。それから、本の感想を言い合うようになったの」
どうやら「共通の趣味大作戦」は実体験によるものだったらしい。どうりで今までの作戦に比べて、内容が具体的だった訳だ。また面白くない気持ちが沸いてきそうで、隼人は黙って聞き役に徹する。
「でも、意外だったな。白川くんが『星の王子さま』を読んでいたなんて」
「意外?」
「うん」
黙っているつもりが、思わずオウム返しをしてしまった。肯定する静香に、学が「確かに」と頷く。
「あいつのキャラなら、ゴリゴリの純文学とか読んでそうなイメージだよな」
「……白川、清水さんとはどんな本の話してたの?」
「夏目漱石とか、宮沢賢治とか、日本の作品が多かったかな。てっきり、海外の作品は読まないタイプなのかと思ってた」
「へー。この本、めっちゃ気に入ってるっぽいのにな」
「そうだよね。じゃないと、わざわざ付箋を貼ったりしないだろうし」
静香の発言を受けて、改めて本を見る。色褪せて印刷が滲んだ表紙。全体から漂う、日焼けした本特有の焦がしたキャラメルのような匂い。ページの端が少し寄れているのも、何度も何度も読み返した証拠だろう。
「そんな大切な本を貸すなんて、よっぽど信頼されてるんだね、黒田くん」
「だな。よかったじゃん隼人」
さりげなく励まされたのに気付き、俯きがちだった顔を上げる。2人は穏やかな笑みを浮かべて、続く言葉を待っていた。その優しさに背中を押され、隼人は口を開く。
「──突然で悪いんだけど、2人に聞きたいことがあって」
「うん」
「おう」
「自分の一番好きな本を人に貸すのって、多分本好きにとってすごく大きなことだよな。その気持ちに応えるためには、どうすればいいと思う?」
親しい静香にも言わないで胸の内に秘めていた、大切な本。それを優は貸してくれた。黒田くんに読んでもらえると嬉しい。そんな何気ない言葉に、ありったけの想いを込めて。
「オレさ、本読むのすげえ苦手だし、読み切ったとしても小学生みたいな感想しか言えそうにないんだ。それでも、何か返したくて。だって」
優の華奢な背中を無意識に見つめる。考えるよりも先に本音が漏れた。
「オレ、すげえ嬉しかったから」
本やカバーに限った話じゃない。コーチ役を引き受けてくれたのも、「ずっと隼人くんの一番になりたかった」と打ち明けてくれたのも。本当は、とても嬉しかったのだ。
ただ、そのひたむきな想いと向き合う勇気がなかった。一度向き合ってしまえば、自分の曖昧な感情にも名前を付けなければならなくなるから。
そうして積み重なった不誠実の山を、隼人は学に指摘されるまで見て見ぬふりをしていた。一線を引かれているのは優も気付いていたはずだ。
それでも、彼は本を差し出した。一番になりたい相手に対して、まずは自分の一番を預ける形で。その誠実さに、隼人は今度こそ応えたかった。
二人から生暖かい視線を感じる。耐えきれなくなって、隼人は「何だよ!」と声を荒げる。
「いや、青春だな~と思って」
「だね。それにさっきの黒田くん、ちょっとグッときたかも」
「エッ!? そ、そうかな!?」
「うん。なんだか、『はじ●てのおつかい』を見ている時の気持ちになっちゃった」
「あー、ちょっと分かる。物陰からこう、『がんばれ』って応援してる気分だよな」
「こういうのって、外野の方が状況を把握できるものね。微笑ましさともどかしさが半々っていうか」
「そうそう」
「何で2人ともナチュラルにオレの親目線!? てか、質問の答えは!?」
「心配すんなよ隼人」
「わっ」
学が雑に頭を撫でてくる。呆れたような笑顔には、昨日忠告を受けた時の厳しさは見当たらない。
「今のお前なら、俺達を頼らずとも自分で答えを出せるよ。考えるのは後からでもできるんだし、まずは本を読んでみろって。『お前に読んでほしい』って言われたんだろ?」
「黒田くんなら大丈夫! 今みたいに自分の想いをまっすぐ伝えたら、きっと上手くいくよ」
「自分の想いを、まっすぐ伝える……」
それは、奇しくも優が特別だと言ってくれたところだった。丸まっていた背中が伸びていくのが自分でも分かる。自信と共に湧いてきた勇気を、隼人は満面の笑みを浮かべることで表明した。
「──分かった! ありがとう2人共! オレ、色々と頑張る!!」
「おう、頑張れ。多分お前の場合、本を読み切るのが一番の課題だと思うから」
「『星の王子さま』は挿絵も多いし、そんなに話も長くないから、集中すれば1日で読み終わると思うよ! 頑張ってね」
「二人共マジで親みたいなこと言うじゃん……」
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