第3話
翌朝、教室の窓際には、いつものように彼女がいた。
濡れた制服は乾いて、雨の匂いはもう消えている。
昨日のことは何もなかったみたいに、彼女はいつものノートを開いて、黒いペンを走らせている。
私は、その隣の席に座る。
「おはよう」
「おはよう」
それだけで満たされる関係。
名前を呼ばなくても、昨日の指先の熱がふいに蘇って、胸が苦しくなる。
私は昨日の続きを探して、彼女の横顔を盗み見る。
けれど彼女は、何も言わない。
ノートの隅に小さく描かれた雨粒の絵。
そこに私の昨日が溶けている気がして、どうしようもなく切なくなる。
放課後になれば、また二人きりになれる。
そう信じて、私は何度も時計を見た。
授業の内容なんて、何一つ頭に入らない。
教室に響く先生の声も、友達の笑い声も、全部遠くに消えていく。
私の世界は窓際にしかなかった。
彼女と、昨日触れた指先と。
思い出したくて、思い出したくなくて。
放課後、私はすぐに教室に残った。
彼女も帰る素振りはない。
誰もいなくなった窓際で、私たちは昨日みたいに並んで座る。
空はまだ曇っているけれど、雨は降らなかった。
「昨日、楽しかった?」
思わず口にした言葉に、彼女は少し目を丸くする。
「楽しかったよ」
すぐにそう答えてくれた。
それが、嬉しくて、怖くて。
「私ね、ほんとはずっと、きみとこんなふうにいたかったんだ」
「うん、私も」
嘘みたいに、言葉が重なる。
こんなふうに気持ちが通じてしまったら、
いつかこの関係に名前をつけなきゃいけなくなる。
友達じゃないと、どこかではっきり知っている。
だけど恋と呼ぶには、まだ怖すぎる。
それでも私は。
濡れたままの心を、今、彼女に差し出したい。
昨日の続きの手を、もう一度、繋ぎたい。
「今日も、走る?」
小さく笑って、彼女が言う。
「雨、降ってないけど」
「雨がなくても、走りたい日もあるでしょ」
その言葉に、私は少し泣きそうになる。
彼女の手が伸びる。
私の手を、迷いなく掴む。
教室を飛び出して、私たちは走る。
何もなくても、雨がなくても。
ただこの手を繋ぎたくて。
私たちは走る。
誰も知らない、二人だけの放課後へ。
誰にも見つからない場所まで。
昨日の雨の続きが、今日の光に溶けていく。
濡れても濡れなくても、私たちはきっと、いつまでも手を離せない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます