第2話
相変わらず陰鬱な気分のまま私は大学に進学した。文学部のキャンパスでは、新歓の出店が並んでいた。私は文芸サークルを探していた。「現代文学研究会」の立て看板が目に入り、人ごみをかき分け、近づいていくと出店に座る人物が目に入った。その人物に視線が釘づけになった。美人だったからではない。その人には独特の風格を纏っており、私はオーラの実在をその日から信じるに到った。色で言うと黒のどこか禍々しいオーラで自分と似たものを感じた。その人物が森田真紀さんだった。雷に打たれるような衝撃とはこういうこと言うのかと思った。
これは一目惚れだと思った。人生で初めて女性に恋愛感情を抱いた。
私は少なからず動揺し混乱していた。美幸の不機嫌な顔が頭を過ぎった。人格に新たにバイセクシャルというコンポーネントが加わってしまったのだ。どれだけマイナーな属性が加わればいいのかと暗い情念と恋情が渦巻いていた。出店の前を行ったり来たりしながら、遠目から真紀さんを観察していた。都合のいいことに辺りは新入生でごった返していて、身を隠すことができた。出店に座る前から入会を決意していた。もしもそれが文芸サークルではなかったとしてもきっと加入していたに違いないから。この女性のことをもっと知りたいと思った。三〇分ほど出店の周辺をうろついていたが、遂に意を決し彼女の前に立ち「あの、読書会に興味があるのですけど?」と言ってみた。声が震えた。微笑を浮かべた真紀さんは「行っていますよ。どうぞ」と席を薦めてくれた。一通りサークルの説明を受け、新歓コンパの日取りを教えられた。その場で入会を表明すると「じゃあ、後で文室に部室にするね」と言う。
真紀さんは私の秘密の管理人だった。サークルで唯一彼女だけが私が「男」であることを知っていた。いつも先輩の男たちが「森田っていい女だよな」と言って憚らなかった。森田さんは森田さんで先輩のセクハラ発言を意に介していなかった。大人の余裕があった。彼女と最初に部室で交わしたちゃんとした会話を、今でも鮮明に覚えている。村上龍のSM小説が話題なっていた。私が「SMはちょっと。あそこまで行くと着いて行けないんですよ」というと、真紀さんは「え?どういう意味?」と意外そうに詰問され、言い淀んでいると「どうして?SMは本質的なことよ。サディストでもマゾヒストでもない人間なんていないんだから」と続けた。それは偏見にも思えたが、とにかく、すべての人間は倒錯しているというのが、真紀さんの言動を理解するための常数であると理解した。
新歓コンパのときトイレで、真紀さんに秘密を告白したのだった。「喉仏が見えないから気づかなかった」と言った真紀さんは、秘密は守ると約束しながらそのことは流し、話題を転換して、私が童貞だと知ると「今日はあなたの部屋でお泊り会ね」と言われた。
マンションの部屋に入るとすぐ、照明を点けてから、真紀さんは私を壁に押しつけた。唇で唇を塞ぎ、私の口に舌を侵入させる。私も抵抗しなかった。男にとって何かしら強い意味がある童貞という刻印は邪魔だった。童貞喪失を単なる通過点にしたかった。無意味なものに憧れた。年上女性による筆おろしという伝統的行為はそのために打って付けに思えた。激しく接吻していると、そこを触られもしないのに、私は勃起もしないままショーツのなかに射精した。スカートまで染みが広がる。羞恥で逃げ出したかった。「あら、お漏らし」と言った真紀さんは私のショーツのなかに手を差し込んでゲル状の精液を掬い取り、私の鼻先にちらつかせてから口に含む。そのまま接吻される。自分の精液は苦かったが真紀さんの吐く息は甘かった。苦くて甘いファーストキス。喉にむず痒い違和感があった。
私は粘つく股間を洗いたくて「シャワーを」と懇願したが、それを無視して真紀さんは私を引きずるようにしてマットレスの上に押し倒した。仰向けになった私に覆い被さった真紀さんは右手で私の腕を掴むと、舌を突き出して、私の右手の掌をその突端で愛撫する。掌から快感が身体の全体に広がり、そこを中心に磔になっているようだった。それは力を用いない征服だった。掌から腕を伝って腋へと真紀さんは舌を這わせていった。私自身も知らない新たな性感帯が次々に暴かれていく。首筋から顎に伝った舌はやがて唇に到って、深いキスが始まった。私は無駄な抵抗を諦めた。部屋に入ったときから強張っていた身体の力が漸く脱けて快楽に身を委ねることにした。そこでやっと、私の腕を掴んでいた手を真紀さんが解放した。脳に集中していた血液が、股間に循環した。萎びた小魚のようなそれは甦生し、脈打つのを私は感じていた。鬱によるインポテンツが恢復していた。私の股間に手を添えてから「脱ごうか?」と真紀さんが言った。真似るように真紀さんそこに触れると、そこは滑らかに濡れていた。二度目の精を発する。もはや恥ずかしさは消えていた。
お互いの胸のボタンを外していく、照明に照らされた真紀さんの産毛が美しかった。お互いのブラウスを脱がし合い、スカートのホックを外し、ファスナーを下ろす。ブラジャーとパッドをむしり取られる。自主的に腰を浮かせるとスカートとショーツを同時に脱がされる。マットレスに精液が滴る。二人は一糸纏わぬ姿で向き合った。二人きりのとき、真紀さんは私を「純子」と呼んだ。「それで、純子ちゃんは女の子なのに、女の子の私とセックスがしたいの?」。私は素直に「はい」と返事をした。バッグから取り出したコンドームの封を口で千切って「お利口ないい返事」と私の耳元で囁きながら、女性上位に真紀さんが挿入する。自然の本能にスイッチが入る。いつしか部屋中に野獣のような声が鳴り響いていた。身体を反転して、獣がしないような体勢でも性交した。私は童貞の軛から解放され自由となった。このときもなぜか美幸のこと思い罪悪感が募った。
真紀さんによる訓練という名の躾が始まった。
★
学年が上がると、真紀さんは「実家が遠いのよ」と言って、私のマンションに住み着いてしまった。卒論を残すのみとなった真紀さんはほとんど大学に通う必要がなかったのだが。私が昼間に留守にしているあいだに段々と荷物が運び込まれた。一番驚いたのは組み立て式パイプベッドが届いた時だった。躁状態になっていた私はあっという間にベッドを組み立てた。哲学読書会も順調でデカルトとスピノザのあいだを往復していた。哲学とセックスに溺れていた。
森田さんが主宰する哲学読書会で、私は日本に帰国したときに喪失したはずの神と新たに出合っていた。哲学者の神に出合ったのである。教科書的な通説では、デカルトの神とスピノザの神は全く異なる。デカルト的な神はキリスト教的な人格神であるとされ、スピノザの神は「神即自然」と言われるように擬人化されざる自然あるいは宇宙そのものだった。ところが三原さんのおそらくは異端的な解釈では、デカルトの神もまたスピノザの神と同じく宇宙のことだった。神は世界の流動だった。私たちはその流動に内在する渦に過ぎない。三原さんはデカルトの弟子スピノザをデカルトの師匠に仕立て直した。その神ならば私も信じられると思った。その神なら日本にも在るのだから。いや日本という事物もまた神という無限実体の様態なのだ。
私と森田さんとのあいだの争点は自由意志を認めるのか否かに絞られていた。一方でデカルトの『情念論』を自らの倫理学の典拠とする森田さんは自由意志に固執していた。他方でスピノザに傾きはじめた私は自由意志に対して否定的になっていた。無からの創造のような意志という概念は受け入れがたかった。意志と自由を切り離して、後者の所在を探していた。自由は真紀さんとの行為のなかにある気がした。
私は頭の上でYの字に手を拡げ、自分が組み立てたベッドのレールに赤いロープで縛られている。必然をもって徳となせということで、この緊縛状態にあっても私たちには自由意志が精神において残されていると、デカルトなら主張するだろう。この行為のなかで、私に意志などなかった。意志を奪われることこそが自由であり快楽だった。スピノザは情欲を厳しく批判したし、人間の本質を構成する様々な欲望からの自由こそが至福であると考えた。至福に到達した人間が賢者あるいは高貴な者と呼ばれた。私はその手前に至福がありえると思う。その至福が全くの誤読だとしても構わなかった。今真紀さんに縛られ責められながら、私は意志への欲望から解放されて自由であった。その快楽は単に肉体的なものでも、単に精神的なものでもない。肉体と精神の並行論。肉体に起きていることは、同時並行的に精神にも起きている。
裸で汗と愛液を垂らしながら、真紀さんが騎乗位で激しく腰を振っている。私は哲学のことを考えているのか、緊縛セックスのことを考えているのか分からなくなった。私は静かに狂い始めていた。
UNDER THE BLUE 不破純 @jun_fuwa
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。UNDER THE BLUEの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます