悪魔
「申し遅れたけれど、俺の名前はフラップ。…トワさんをここに連れて来たのには、ちゃんと意味がある。」
フラップは、私に1歩近寄った。
「君を助けたい、というのもあるんだけれど、実はもう1つ、目的があってね。」
「もう1つ…?」
「俺たちの国は、『妖精の国』と称されている。この街はその中でも、国の中心部にあたる街なんだ。…でも、」
私たちの間を、突き刺すような突風が駆け抜けた。
「…トワさんに、これを見てほしい。」
フラップは自身の指先で空を切ると、そこに小さなモニターようなものが浮かび上がってきた。
モニターを覗き込むと、そこに映し出されていたものは驚愕せざるを得ない映像だった。
一言で表すならば、『荒廃』が良く似合うだろう。
至る所に欠けたレンガのようなものが積み重なり、その場所を乾燥した土埃が虚しく空中を泳いでいた。
…映像はそのまま、ゆっくりと左へ流れてゆく。
映像が移ろいでゆくと、私は次第に『この場所』がどんな場所だったのか想像がつくようになってきた。
「…もしかしてここ…街だった…?」
私はは自信なく呟いた。
「その通りだよ。…この場所もまた、妖精の国の1部の街。ここから南西へ進んだ場所に位置していた。…それも、随分前の話だけれどね。」
「どうしてこんなに荒れちゃったんですか?」
「…悪魔の仕業さ。」
刹那、全ての環境音が消え去り、彼の低い声だけが耳の奥へ響いてくるようだった。
「そんな、…まるでファンタジーみたいな…。」
「君の世界では、悪魔のことをファンタジーと呼ぶのかい?」
「い、いえ、そういう意味では、。というか、…悪魔って、倒せるものなんですか?」
「悪魔は、増殖して相手を攻撃することだけが取り柄の存在だ。決して消えることは無い。…もし消えたとしても、すぐに蘇生する。」
「ウイルスみたい…。」
「……つまり、俺が君にお願いしたいことは、『君に悪魔を退治して欲しい』ということだ。」
今度は、私の周りを生ぬるい風が、全身を舐めまわすように吹き付けた。
「い、いやいや、…冗談はよしてくださいよ…。」
「冗談じゃない。君なら、悪魔と分かり合えると思うんだ。」
「……あの、フラップさん、…さっきから私、全く話についていけないのですが…」
「…そうだね。突然こんな話をしても追いつけないのは無理もない。一旦街を案内しよう。そうすれば、今の話が少しは理解出来るかもしれない。…話は、それからだ。」
フラップに手招きをされると、私は導かれるように彼の大きな背中を追った。
すぐ目の前にあった出入口のゲートをくぐり抜けると、私は思わず感嘆の声をあげた。
「わあ…すごい、」
桃源郷の中に佇む、ヨーロッパの街並みのような、……天国のような、景色だった。
洒落た街頭が照らすのは、レンガの連なる広い道。その道に沿って、茶色や白色、淡い紅色を基調とした建物が連なっている。
歩道の周りには、見たこともないほど大きな花や、嗅いだことの無い香りのする花などが飾られていた。
「とても綺麗な街ですね。」
「そうかい?…でも確かに、トワさんの住む世界ではあまり見かけないものが多いかもしれないね。」
「この大きなお花は…。」
私は、ある1軒の建物の前に植えられた、人の顔の何倍もある大きな花を指さした。
「これはルミナスと呼ばれる花だよ。この国では、5番目に大きな花だね。」
「ご、5番目…これで、5番目ですか…。」
私が花を見上げて唖然としていると、建物と建物の隙間にある細路地から、ポケットに両手を入れて大股で歩くリーガルが現れた。
「…フラップか。この人間を案内中か?」
「兄さん。」
フラップの顔色が暗くなったように思えた。
「あまり下手なことを教えるんじゃねえぞ。……人間は愚かなんだからな。」
リーガルはケッと唾を吐くと、またもや私を睨み付け、どこかへ去って行った。
本当に、苦手なタイプなのだろう。…お互いに。
「ごめんねトワさん。…兄さんはいつもああだから気にしないで。」
「兄弟なんですね。」
「…血は繋がってないけどね。義理の兄だよ。俺の本当の、」
フラップが何かを言いかけたその時、突然、立っていられないほど酷い揺れが街全体を覆った。
轟音とともに、街中に人々の悲鳴が響き渡った。
…悲しみや死への恐怖は、人間でなくても同じように感じるものらしい。
地震が発生していた時間はそこまで長くなかったはずだが、私には恐ろしく長い時間のように思えた。
「もう大丈夫。トワさん、立てる?」
「だ、大丈夫です…」
服に着いた砂を払いながら立ち上がると、手のひらに疼くような痛みがしていることに気が付いた。
…どうやら、先程の揺れで、思い切り地面に手を着いてしまったせいで皮膚が削れてしまったらしい。薄く血が滲んでいた。
「トワさん、もしかして怪我しちゃった?」
「あ、いえ、大丈夫です。このくらい。」
「…見せて。」
フラップは半ば強引に私の手を取ると、手のひらの傷に沿ってツーッと指を這わせた。
「痛い…」
ゆっくりと焦らすように傷を撫でられる度に、針で突き刺されたような痛みが、神経の奥深くにまで伝わった。
「ごめん。少しだけ我慢して。…」
彼の指が私の手のひらの端まで移動すると、あれだけズキズキと疼いていた痛みが嘘だったかのようにスッと引いた。
手のひらをよく見ると、薄く滲んでいた血も傷もすっかり治癒していた。
「これで大丈夫。もう痛くないでしょ?」
「は、はい…ありがとうございます。…それにしても凄いですね。魔法ですか?」
「うん。治癒の魔法って言う。」
フラップは、はにかむように笑った。
「さあ、これから、俺のとっておきの場所を案内するよ。着いてきて。」
それにしても、随分長い夢のようだ。
…でも何故か、この世界は居心地が良い。
空気も澄んでいて、肺の隅々にまで綺麗になりそうだ。
嗚呼…ずっと目覚めずにここに居たい。
そう思いながら、私はフラップを追いかけた。
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