19.思った事、決めた事
「ハヤセさん。お昼は外?」
昼休みの時間になり、手元の資料を片付け始めたハヤセにマチが声をかけた。
「その予定ですけど」
「お客さんから素麺もらったからお昼それ食べない?ごっそりあって全然減らなくて困ってる」
「今から茹でるんですか?」
「そう。ツユは作ってあるから」
「手伝います」
作業部屋の台所で大鍋で湯を沸かし、4束の素麺を茹で、冷蔵庫から既に作り置きしてあった素麺ツユの入ったポットと小皿に盛った薬味を12種類出した。
「薬味の種類多すぎません?」
「そう?白ごま。ネギ。刻み海苔。みょうが。ワサビ。生姜。トマト。モッツアレラチーズ。わかめ。錦糸卵。油揚げ。大葉。好みもあるだろうけど美味しいよ」
「うちだと、ネギと刻み海苔、生姜くらいです。いつもこのくらい作るんですか?」
「私一人の時はハヤセさんのとこと変わらなかったけど、アサヒがあれもこれも、って入れ始めたら増えてったの」苦笑い。
「子どもって凄いな」苦笑い。
仕事部屋の一番陽の射し込む窓辺に作った来客スペースに茹でて氷で〆、ザルにあけた素麺と薬味皿とポットを運び、それぞれ自分のツユ猪口と箸を持って向い合せで席に着いた。
「いただきます」
「いただきます」
手を合わせ合掌をして食べ始める。
「僕、大学時代に留学してたんですが、向こうの人の目にも日本人の白米と麺に対する執着は異常だって写ってましたね」
「1万5000年位前に出来たらしいね。1万4000年前までは原料の小麦は輸入に頼っていたけど、一番の輸出国が無くなったら今度は麺食べたさに、人の住んでない国土の50パーセントにまでなってた過疎地域に国費で農業ドローン配備して、大規模小麦畑作っちゃうほどだもん。凄い執着よ」
「現地のルームメイトも行ってました。日本人頭おかしいって」
「文化自体が独特だからね…。今みたいに外国からの移住とか移民がほとんど無かった時代はもっと酷かったらしいね。政府も教育も」
「学校通うだけなのに服装から髪型、髪の色まで同じくしなきゃならないって、今考えても軍隊でもそこまでじゃないですよ」
「本当。私がその時代に産まれてたら迫害対象だし」
「聞いたらあれかと思ってたんですが、マチさんのそれって移民が起源なんですか?」
「うん、そう。爺様が移民軍ロシア人。私の親には出なかったんだけど隔世遺伝で私に出たの。珍しい?」
「僕はそれほど珍しいと思ってないんですけど、年末に僕の同級生の忘年会にマチさん同席したじゃないですか?その時の同級生から昨日聞かれたんです。どう言う人なのかって」
「…帰り際に連絡先交換した人?」
「そうです」
「なるほどね。…実は年明けてから食事に行かないか誘われたんだけど断ったのよ」
「…こういう事聞いて良いのか迷ったんですが、マチさんって僕が来てから特定の人と付き合ったりして無いですよね?」
「特定じゃない人とも付き合ってないよ」
「どうしてですか?」
「それは好奇心?」
「好奇心3割、残りは同級生への言い訳に使える情報収拾」
「正直さに免じましょう」
マチは箸を置いて少し遠い目をした。
「遊びでも試しでも恋愛が出来ない重たい人間なの。離婚した事を引きずってる、と言うのは無いんだけど、どうしたら人を好きになれるのか分からなくなっちゃってるのよ」
「恋愛に関係なく会って食事する相手でも?」
「難しいね…。この髪ね」
マチは自分の頭をおどける様にポンと叩いた。
「人避け。実は白髪は1割も無いの。こういう色をした方が顔が女性っぽく見えないからわざと。自分の外見がどんなので、どう言う風に思われるかは大体は理解してるから」
「やり過ぎじゃないですか?」
「自意識過剰気味な自覚はある。でも、向けられる好意や欲に対して答えられる余裕が私にはずっとないの。たぶんこの先も」
「男友達でも?」
「…昔いたんだけどね。失敗しちゃったのよ。親しくなって中身を知ってしまうと、どうしても情が湧いてしまう。その情が互いに不快じゃ無かったらくっつく。それが健全だってのは分かるんだけど、ね」
ハヤセは少し考えて、
「奴にはマチさんには好きな人が居るから諦めろ、って言っておきます」
「好きな人って…」苦笑い。
「聞いてる感じだとその男友達に未練がある風に感じましたから」
「あー……未練、か」
「そういう外見してても、結局は寄ってくるのは寄って来るから諦めた方が良いですよ。男の俺が言うんですから」
「…」
「その男友達ってヨリ戻せないんですか?」
「別れたの10年前」
「…ん?…それって前にコミュニティで何度も顔合わせてるって人ですか?」
「…よく覚えてたね」
「え…それなら連絡取ってみたら良いんじゃないかと思いますよ?10年も過ぎてたら大抵の男は細かい事は忘れてたりしますし」
「…実は向こうは私が誰かは明かさず、嗜好アバター経由で連絡は取ってる…」
「どうして自分が誰かバラしてないんですか?」
「食い気味に聞いてくるね……友人になろうって思ったの。向こうは結婚してるし」
「…既婚か…」
「……10年前の…初めて知り合った時…向こうには恋人が居たのよ。……私との関係性が近づいて来た時には別れてたらしいんだけど、それが分かったのはもう会わなくなった後でね…。どんなに縁があっても巡り合わせが毎度毎度悪い」
そう、薄く笑って小さくため息をもらすとマチは目を伏せた。
その夜の事。
左親指に埋めてあるチップが受信ライトを点灯していた。
フォンを起動して受信書類の画像を表示した。
一読して、二読して三読してフォンを閉じた。
足早に屋上の温室に行き全ての窓と扉の施錠ボタンを押し、絞り出すように言葉の無い声を上げた。
頭の端の冷静な部分が、今夜はアサヒが施設泊りなのが良かったと思っていた。
そのままその場に蹲った。
届いた書類はアサヒとマチの親子鑑定結果と、臍帯とマチの親子鑑定結果だった。
書類が明記しているのはアサヒとマチ、臍帯とマチは親子ではないと言う文字だった。
臍帯は状態が良くなかったが、12箇所の鑑定研究所の内11箇所が親子ではないと鑑定結果を上げている。
アサヒに至っては12か所すべてが親子ではないと結果を出していた。
臍帯は親子でないと思っていた。
自分や元配偶者と似ている朝陽はただ似ている他人だった。
これはどう言う事?
自分の子どもは生きているか死んでいるのかすら分からない。
手元にある臍帯の子どもは誰の子ども?
伯母が言っていた事は?
集めた書類の示した取り違えは?
私の子どもはどこ?
パニックを起こしかけるが、頭の端の冷静な部分が考えや感情を覆うと感情の波が平たんになっていく。
父が母を殴り倒す様を初めて目の当たりにした5歳のその時、この冷静な領域が彼女の中に出来た。
感情の振れ幅や身体的苦痛が大きくなるとこの領域が彼女の思考も感情も呑み込み泣かず動揺せずにやるべき事が出来るようになった冷徹の源。
これがあるおかげで乗り越えれた事もあったが、人間らしい感情を隠して自分の心を見失わせた原因でもある。
直ぐにこれからどうするか考えた。
国内すべての遺伝子研究所からの回答が出ている。再度の鑑定は無意味だ。
少し考えて、マチは全てを知らなかった事にしてしまおうと決めた。
実子ではない事は今現在の状況と変化がない。
親戚達がしでかした事は、彼らの言動から思うにマチが騒がない限りは何もしないだろう。
タイジには、もう何も言わない。
おそらく連絡は来ないか距離を取るだろうから。
そしてマチはその日の内に鑑定結果のデーターと臍帯も破棄した。
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