18.しかけた事

「こんにちは」

「お久しぶりです」

「お久しぶりです。以前頂いた資料ありがとうございました。書いてあったパーツ合いました」

「あ。良かったです。珍しいバイクに乗ってるんですね」

「去年、たまたま市場で見かけたんです」


 マチは10年乗り続けて居るバイクについて嘘を吐いた。


「昔知人も同じ車種に乗ってて懐かしいです」

「そうなんですか。バイクには?」

「妻が危ないからって」


 妻と言う単語にマチは胸が痛んだ。

 痛んだ事に驚きながら自分の未練の姿に納得した。

 忘れるんだ。以前の様に心の隅に片付けて。


「転倒防止システムが有能になりましたけど万能じゃないですしね。賢い選択だと思います」

「若い時に転倒して怪我をして、それが原因で季節の変わり目や気圧の変化で神経痛や熱が出たりしてたんですよ」

「そうなんですか」


 覚えている。

 彼の腕の中で眠った事。裂かれる痛み。当たり前の様に食事を作り食べ時間を過ごした。

 マチは無意識に胸元の服を握った。痛みを抑えつける為に。

 

「海外勤務していたと言う話はお話ししましたよね?」

「はい。造船の大学に通われていたって」


 彼が夢をかなえた事が嬉しかった。

 

「妻はそこで通院していた病院の医師だったんですよ。それから何度か手術して完治出来たんです」

「良かったですね。こっちに居た時は治療されなかったんですか?」知らない態を装う。

「一回の手術じゃ完治は難しかったので…。その間に働けなくなるのは難しかったので。向こうの医療技術だと日帰り手術で済んだので」

「確かあちらの医療技術は特殊だって聞いてます」

「おとめ座の帰還船の話しは知ってますか?」

「はい。60年前でしたっけ?」

「そうです。その帰還船に乗ってた人間が持ち返った技術らしいです。意識を肉体から完全に分断させ、肉体側の時間経過を一部逆行させて破損直前まで戻しその情報を意識側に送る。で、意識側で「肉体の形はこうなんだ」と認識すると、それが意識と肉体の共通情報として固定されて、肉体側の破損個所が破損していない物として再構築するそうです」

「すこし量子もつれに似てますね」

「近い技術らしいです」

「凄いですね…共通情報を意識的に変えると色んな事が出来そう」

「妻の話しでは意識を肉体から分断させる技術も、肉体側に固定化する技術も帰還船員のみにしか理解できないそうで、世界的に広がるのはまだまだ先だそうです」

「…でも、治って本当に良かったですね」

「ええ。10歳の時から20年以上続いてた奴なんで…。こういう日が来るとは思っても居なかった」


 一緒に居た時間は1年と少し。1年に4度季節は巡って季節の始まりと終わりには必ず熱を出して頭痛に眉間の皺を深くしていた。

 今の彼がどういう表情をしているのかは分からないけれど、あの痛みから解放されたのだと分かって安心した。

 季節が巡る度に彼を思い出していた。

 雨が降る時も、夏が終わり風が熱を持たなくなった時も。

 空を見て、どこかで彼も空を見ていたら良い、と思った時期もあった。

 でもそれは全部過去の事。

 忘れて今を進んで行くんだ。 


「子ども居るんですか?」

「そう。娘が一人。前の妻との間に。そちらは?」


 何度目かの通信でやや言葉使いが互いに砕けて来ていた。


「娘が一人。親戚の子を引き取ったんです」

「…親戚でも自分の子どもじゃない子どもを育てるのは、なかなかできる事じゃないね」

「あの子の親が行方不明になって、障害もあるので国の施設に入れるのも忍びなかったので…。私は結婚していたんですが、その時死産していて」

「…思い出したくない事だったら…」

「いえ。それ自体はもう過去の事だと整理できているんですが……」

「…」

「ちょっとややこしくて重い話なんですが、聞いてもらっても良いですか?」

「俺で良かったら」


 マチはアサヒの出生にまつわる話をした。

 取り違えの可能性。

 自分の持つ臍帯が実の子ではない可能性。

 入院した当時、死産は3人であった事。


「…子どもは、実子であっても養子であっても元々育てるつもりだったので、特に問題は無いんです。この事実は、娘が成長してから自分の生体データを見た時に私との血縁関係が無い事で分かる事なので、法的にも整備してしまおうと考えているんです」

「法的に?」

「出生登録上、私は養親、となっているんです。今回の親子鑑定の結果で実子と分った場合、出生登録をこのままにしておくと将来ややこしい事になりそうで。記載変更が出来るのなら実子に変更したいんです」

「それは良いね」

「ただ、一つ懸念が…」

「何?」

「今回の鑑定結果で、臍帯も娘も私との親子関係にないと分った場合です…」

「あぁ…」

「当時の病院ではその日は3人の子どもが亡くなっていて…。入院時期が同じ子どもで生きたまま退院してる子どもは5人いるんです…」

「…当時の記録は?」

「病院自体はどの法人傘下に、入っていない個人経営のもので…私が退院して一年後に閉鎖されてます。患者記録や医療記録は法律上半年の監査期間の後、医療庁が不要と思った物は消去されてます。鑑定結果が出た後、弁護士を使って開示請求を出そうとも」

「…そうなった場合、お子さんを探すの?」

「…迷ってます。…そうなると大事になって、人の命に係わる話でもあるので法にも抵触してくる可能性も出て来て…少なくとも2人の亡くなった子どもの遺体を調査しなければならないですし、生きているであろう子どもの親子鑑定も…私一人が自分の子どもを探す為に、そこまでの事をして良いのか…」

「それは…」

「と言う感じなんです。参りますよね。どこかで見た映画みたいなお話です」


 マチは勤めて他人事のように明るい口調で言った。

 

「…コチカさんはどうしたい?」


 コチカはマチの使う嗜好アバターのID名の一部で、二人は互いのID名の一部を取って、コチカ、カパルと呼び合っている。


「…私は…鑑定結果がどうであってもこの話は闇から闇に葬ってしまった方が良いのでは?と少し考えています。明るみになっても幸せになれる人は少ない気がして…」

「…自分の子どもだと思って育てている親にしたら…」

「…そうなんです…」


 そこで沈黙が広がる。マチは意を決して、


「…全部は鑑定次第で、今考えている事もただの取り越し苦労である可能性もあるんです」


 マチがこの話をタイジにしたのは、絶対的な距離を作る為だった。

 訳ありは誰でも嫌厭する。無意識にでも勝手に思い遣ったり、世界が違うのだと距離を作る。

 友人になろうと思っていても、未だ心がざわつくのにはマチも疲れていた。

 相手の環境が重ければ重い程人は距離を作る。

 それを利用しようと思っていた。


「…あの、話を聞いてくれてありがとうございました。お話した手前で何んですが、出来ればここだけの話しと言う事にしてもらえればありがたいです」

「勿論」

「ありがとう」


 マチは明るい声で礼を言った。

 胸の奥では、冷たい痛みだけが広がった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る