20.決して会えない

「今度入院する事になったんだよ」


 彼が唐突に言った。

 取り違えの話をして1カ月ぶりのやり取りだ。

 案の定距離を取ってくれている事にマチは安心しつつ、どこかでガッカリもしていた。

 その感情は自分勝手だと充分に分ってはいても。


「は…?何で?」

「実は腫瘍があって、それの摘出。予定では1カ月ほど」

「…お見舞いに行って良いですか?」

「え?…」


 互いにしばらくの沈黙。


「会って話したがらない人かと思ってなかったよ」

「あ…まぁ…基本的には会いませんけど、色々お話した間柄ですから…私は友人と思っているので」

「友人」


 彼は軽い笑いを漏らした。


「ちょっと無様な感じになってるかもしれないので、来る時は連絡してよ。後、着いたらナースステーションにも連絡を」


 病院名と住所と部屋の号室を彼女に伝えた。


「そろそろ名前を教えてもらっても?」

「あ…タイジです。タイジ・ハギワラ」

「ハギワラさん。了解です」

「お見舞いの品で何か希望はありますか?」

「手術まで食事制限があるから…本当は甘いものが凄く食べたい」


 コロコロ笑う彼女。


 マチアはナースステーションにタイジ宛ての見舞いの品を預けた。


「中身は何ですか?食べ物ですとお食事の制限があるので…」


 ナースが事務的に問う。


「食べ物では無いです。模型です。ハギワラさん、造船のお仕事をされているので」

「分かりました。お預かりします。面会はされていかれますか?術後なので短い時間でしたら大丈夫ですよ?」

「…病室の外からはできますか?」

「大丈夫です。入室される時は消毒が必要なので近くの看護師かこちらに申し出てください」

「はい」


 彼女は教えてもらった病室に向かった。

 全ての病室が廊下側から室内が見えるようになっていて、彼の病室も同じだった。

 彼はベッドで眠っていた。

 心音と呼吸と同調して壁の計器がゆっくりと点滅していた。

 彼女は病室と廊下を隔てるガラスに触れた。

 ずっと手足が震えていた。

 何て声をかけたら?罵られたら?冷たくあしらわれたら?

 ここに来ると決めた時からずっとそう思い続けて来たけれど、心のどこかで「大丈夫」と言う言葉があったから来れた。

 全部受け入れる、と。

 彼は髪に少し白いものが混ざっていた。

 前からあった眉間の皺が少し深くなっている。

 時間の経過を感じるけれど、変わっていなかった。

 けれど、何かの影を感じた。もう時間がないのだと感じさせる影。

 もっと早く彼に会いにくれば良かった、という後悔が彼女に落ちて来たが、今でないと駄目だったんだと言う確信がそれをゆっくりと打ち消した。

 これまでの事が無かったら、自分の中のモノを乗り越えて理解して受け入れて受け流す事は出来なくて、こうやって今の気持ちで会おうと言う気持ちにはならなかった。

 そして、こうして彼を見て側に彼を感じて、これが最後なのだと心から感じれた。 


 彼女は面会を終えた事をナースステーションに伝え帰ろうとし、エレベーターまで来ると立ち止まった。

 彼の居る病室沿いの廊下を見、それから足早に病院を出た。

 出来る限り早足で。

 

「私達は会えない…」


 口の中で一度だけ呟いた。

 彼は死ぬだろう。

 会わないと決めたあの時以上の胸の苦しさ。

 確信があった。

 もう声を聞く事も出来ない。

 本当に二度と会う事も出来なくなる。

 涙が溢れた。

 これだけの時間が過ぎて、何故忘れる事が出来なかったんだろう。

 友人になろうと決めて、友情に代わる事を願っていた。

 こんな執着なんて要らなかった。

 あの頃の様に、何だかんだと自分を正当化して逃げ出してしまえばよかった。

 直ぐにその考えを打ち消す思いが膨らむ。

 でも、嬉しかったんだ。

 生きてくれていて。

 側に居るのは自分で無いけれど、安心して幸せそうだった。

 それが本当に嬉しかった。

 それを知る事だけでも出来て。

 向こうの家庭の話を聞く度に胸が痛んでも。

 彼にはそれが必要なのだから。

 自分が何も言わない事で、彼が安心して幸せになれるならそれでいい。

 こんな苦しくてもいい。

 それで彼が苦しまないのなら。

 ずっと泣き続けてても良い。


「…!」


 堪えきれず彼の名前を呼んだが、声には出さなかった。


「…!…!……!」


 

 後悔しかなかった。

 どれだけ言葉を重ねても、ただ自分は傷つきたくなかっただけ。


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