17.2の続き

「引き取り養子縁組をした親類の子であるアサヒは貴方の実の子どもである」


 叔母からの話しでは、マチが子どもを取り出したその前々日、彼女の父方の親類の女性も同じ病棟に入院していた。 

 その親類筋はマチも良く知っていた。

 現在マチが養子として引き取り育てている娘・アサヒの父親の様である。

 つまり、その日生まれたのはアサヒである。

 書類上は。

 しかし、叔母が伝えた内容はこうであった。

 アサヒの父の祖父はその土地でも有力な人物で特権意識が非常に強く、孫にあたるアサヒの父はその後取りにあたる。

 必然的にその子になるアサヒに対して過度な干渉と期待がかけられていた。

 しかし、その子は死産で産まれた。

 それを知った祖父は激怒し死産を恥としてそれを何とか隠蔽しようとした。

 そして、それに巻き込まれたのがマチであった。

 マチの子どもは心音無かった為死産とされたが、取り出した際心音が辛うじてあった事が分かった。

 それを知った祖父は権力と金に物を言わせ、看護師と医師を買収してマチの子どもと先に死産として生まれた子を取り替えたとの事だった。

 

 アサヒを引き取った際に取寄せた出生証明に記載されていた生誕病院名が、マチが入院していた病院と同じであったことは彼女もしっかり記憶している。

 アサヒの誕生日がマチが死産した日の前々日であった事は少し驚いたが、彼女を娘として引き取る事になった事も何かの縁と思い、


「こんなこともあるんだな」


 と言う程度にしか感じていなかった。

 にわかには信じがたい話だった。

 ただ、アサヒには確かにマチと似ている箇所がいくつかあった。

 親類でも似ている事は良くある話だ。

 叔母との通信を終え、マチは椅子に座ったまま考えた。

 アサヒを引き取ると決めたのは自分だ。

 養子であろうが、彼女が成人した後も出来うる限りのことをするつもりで引き取った。

 実子だとして?

 話しが飛躍し過ぎて自分の感情が追い付いて来ていない事を彼女は自覚した。

 とりあえずは、事実確認が大事だ。

 

 マチは立ち上がると作業部屋へ行き幾つかある棚の一つの引き出しから死産した際に採取した臍帯の入ったケースを取り出した。

 臍帯を保管する事は昔から続いている古い習慣だ。

 これと自分の細胞と、先日医療用インプラントを埋め込んだ際に一緒に潜在疾患検査で分かっているアサヒのDNA情報を親子鑑定の出来る研究所に出そう。

 


「どこ、行くの_?」


 居間で出かける準備を始めたマチに、アサヒが拙い言葉使いで聞いた。

 アサヒの難聴は先天的な物ではなく後天性で、中途難聴と呼ばれる類のものである。

 現在の医療技術では先天性であろうと根治が可能となっていてアサヒもマチに引き取られですぐに治療を受け根治はしているが、難聴となってからごく最近まで言葉を聞かずに生活居ていた為言語の習得が遅れていて、これは今の医療でもどうする事も出来ず言語聴覚士ととの言語療法とアサヒ本人の努力が言語習得の道につながる。


「疎区の、公園へ、遊びに行こうと、思ってるの。一緒に行こ?」


 単語ごとに区切ってマチがアサヒに応えると、アサヒはぱっと顔を輝かせて自分の部屋へ飛んで行った。

 しばらくすると外出用の子ども用リュックをパンパンにして居間に戻って来た。

 出掛ける時に毎回起こっている事にマチは苦笑いをして、


「カバンの中身は、公園で、必要な物だけ、持って行ったら?」


 マチが提案をするとアサヒはかなり不服そうな顔をしたが、ちょっとの間思案し居間の床に座ってリュックの中身のすべてを出して選別を始めた。

 お絵かきセット。使い差しのノート。粘土。着せ替え人形。人形用の着替え一式。マチから強奪した旧式の小型タブレット。アサヒの着替え。替えの外履き。学校の好きな授業の教科書。


「アサヒ。いっぱい持って行ったら、この間みたいに、「代わりに持って」って言われるの、私は嫌」

「えー!アサ、持てない!」

「だから、アサヒが、持って歩ける、分だけ」

「え~…」


 更に不満気にマチを睨みつけた。

 その表情にまたもマチは苦笑いした。

   

 アサヒの選別が終わったので疎区の緑地公園へまでドライブをした。

 アサヒは助手席でずっととりとめのない事を話し続けた。

 マチの家に来た当初はほぼ話さない子だったが、難聴の治療が終わったからは溢れる様に言葉を話し出した。

 最初は文法も発音も滅茶苦茶で、言いたい事がマチに伝わらず良くかんしゃくを起こして泣いていた。

 マチも何が言いたいのか分からず、こちらが言った事も理解されず、何日も何日も気を病んでいてアサヒと衝突する事が多かった。

 それからしばらく経ち、アサヒの主治医の指示で言語聴覚士との言語のリハビリが始まって、少しずつ癇癪を起すことが少なくって、対話と呼べるものが出来るようになって来た。

 こういう状態で学校ではどう過ごしていたのか不思議に思い何度かアサヒの担任に話を聞きに行ったところ、アサヒは学校では全く話さず同級生とも遊ばない大人しい生徒、として認識されていてネグレイトや障害の有無に関しては見て見ぬふりをされていた。

 マチは主治医と相談してアサヒを別学校へ転校させ、転校先にはアサヒのこれまで過ごした生活環境や障害について学校側とじっくり話し合い現在に至っている。

 結果、アサヒは良く笑い良く怒り良くお腹を空かせ、良く食べ良く汚して良く眠った。


「マチ。アサ、あれ食べたい」


 公園に着いた早々、駐車場内にある移動販売車両を目ざとく見つけて指さした。


「お腹空いたの?」

「うん!」

「朝ごはん、ちゃんと食べないからだよ」

「はぁい」


 マチにコニコニ顔を向けてそう答え、アサヒは背負ったリュックを上下に揺らしながら移動販売の方へ向かった。

 このアサヒの態度を見る度に、自分はやっぱり甘いんだろうな、と最近良く考える。

 けれど、アサヒのコロコロ笑う顔が見たかった。

 車からカバンを降ろしアサヒの後を追って販売車両に行くと、アサヒはフランクフルトをマチは熱いお茶を注文した。


 公園は疎区と都区の境の市街地を見下ろす形で丘陵地にあり、規模は都区でも最大の22ヘクタール。

 歩道以外は芝生が全面に敷かれ、季節ごとの樹木や花々が管理の元に手入れされ、今の季節はミモザアカシアの木々が黄色の花を盛大に咲かせている。

 風が吹く度にミモザの柑橘系の様なかすかに甘い花の香りが広がった。


 アサヒは舞い散るミモザの花を追いかける。

 手には食べかけのフランクフルトを持ったままで、いつか転んで泣くんじゃないかとマチは内心ハラハラして見ていた。


「マチ!!見て見て!」


 風の中を飛ぶ黄色の花に向かって両手をいっぱいに伸ばしてジャンプするアサヒ。

 そして着地したと思ったらそのまま膝から崩れ転んだ。

 服も髪もフランクフルトも芝生まみれになって起き上がると、しかめっ面でマチの方へ歩いて来た。

 黙って草と砂まみれになったフランクフルトをマチに差し出した。

  

「何?」

「ん」

「ん、じゃ分からないよ」

「ん!!」

「言葉を声に出さないと、私は分からない」

「んん!ん!」

「私はアサヒじゃないから分からない。声に出して、言いたい事は言わないと」


 この話さなくなるのはアサヒの悪癖である。

 マチの家に来た当初話さないアサヒに対してマチは色々先読みをして接していた。

 そこでアサヒは「言葉に出さなくても察してくれる」と学習してしまった。

 言語聴覚士の指導でその悪習慣を改善させ、意志を言葉にして発声させる為、マチには先読みをしたフォローをせず、分からない事は分からない、言葉に出さないと人には思いを伝える事が出来ないのだと悪癖が出る度に教える様に言われていた。

 その度にもめて喧嘩になるが、少しずつそれを乗り越えて言葉を思いにして声を使って伝えて来る様になってきていた。

 その様子を見ながら、もし子どもを赤ん坊の時から育てていたら、こうやって話すようになって意思疎通が出来るようになる喜びが味わえたかもしれない、とマチは感じずにはいられなかった。

 今鑑定に出している結果について。

 子どもは死んだものだと6年間も考え続け、何かある度に思い出していた苦しみは何だったんだろう、と考えないわけではは無かった。

 人の道に外れた事をした父方の親族には言いたい事も沢山ある。

 全てを明らかにして良いものなのか、あれがらずっとマチは考え続ていた。

 マチの顔を睨み続けているアサヒと視線を合わす為にマチはかがんた。

 アサヒは何度か瞬きをしてから、しかめっ面を少し緩ませると、


「フランクフユト、あらって」

「分かった。洗ったの食べるの?土着いたから、ばい菌着いてるよ?」

「あらったらきれいじゃない?」

「うーん…私だったら食べないかな」


 そうアサヒに答えると、彼女は瞬時に顔をくしゃくしゃにして泣きだした。

 アサヒがこうなると手が付けられなくなるのでマチはそのままの体勢で彼女が泣き止むのを待った。

 このコロコロ変わる様は困る事も多いけれど、マチには何にも代えられない救いになっていた。

 マチの子どもの頃は、泣けば親から殴られ笑っても親から怒鳴られる事が当たり前で、感情を抑制する癖がついてた。

 周囲の同級生達の親を観察する様になってから、うちはおかしいんだ、と気付いたがもうどうする事も出来ず、親から抑圧されるままに生きた。

 感情を出すのが正直怖い。

 今でもされがあるけれど、アサヒはマチのそういう部分を手加減はしなかった。

 10でぶつかって来て10が返ってくる事を望む。

 それがマチの中の抑圧された子ども時代を刺激して、時にはアサヒを羨み、けれどどう言う形であってもマチの感情を受けてくれる強さに憧れただ愛し始めていた。

 誰はばかることなく「私はこの子が大好きだ」と言っても良い存在が居る事が、これほどの救いになるとはアサヒを引き取ると決めた当初は、彼女自身も考えもつかなかった。

 鑑定結果がどうであっても、アサヒを自分の子どもとして育てる事はあの話が出てくる前に決めて事だから変わるはずもない。

 問題は、手元にあった臍帯が誰か、と言う事だ。 

 叔母の話しでは死産で生まれた親類の子と言う話だが、それすら眉唾物だった。

 真実を知りたいのなら、自分の力と意志で動かないと知りたい真実にはたどり着けない。

 ただ思うのは、これを明るみにして誰が幸せになれるのだろう。

 子どもすら無事に産めず結婚すらまともに続けられず自分を責め続けた6年。

 自分の子どもでは無いと知らず障害のある子どもを育てた6年。

 そして、鑑定結果次第ではもう一人の子どもの親が浮き彫りになるかもしれない。

 マチは鑑定をせず自分一人の胸に納めてしまった方が良いのではないか?と考え続けていた。

 ただ、自分一人の胸に納めてしまうにはアサヒが問題の中心にあり過ぎた。

 成長して自分の出生に疑問を持つ時が来るだろう。

 その為に全てを明らかにしてアサヒに話せる状態にしておくべきではないだろうか?

 そこまで考えが行きつくといつも行き詰る。

 恐らくアサヒが成長する時までこれは延々と考え続けていくのだろう。

 そう行きついた時、アサヒは泣き止み、園内に備え付けられているゴミ箱にフランクフルトを捨てに行き、服に着いた芝生をはたき落としながらマチの元に戻って来た。

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