9.星は落ちる

 晩春から夏。晩夏から早秋。

 そして雪が降り、早春から緩やかに夏が始まろうとしている。


 今夜は先日マチがデザインし製品化した地区の夜間天候ホログラムが日付が変わると同時に実装されるので、それを見ながら反省会をする予定で、区外の閉鎖された公園の東屋に来ていた。

 東屋は屋根材のすべてが朽ちて鉄筋の骨組みだけになっていた。

 タイジが持ってきたレジャーシートの上にキャンプ用のエアマットを広げて、2人でそこに仰向けになって手をつなぎ、夜空を見上げ、星の動きや明度と彩度のバランス、地平や街の光のグラデーションを批判し批判を受けた。

 今回のデザインはやや動的なもので、2人が見ているこの時間だけ、ある星に向かうように星が動く様になっていた。


「あれは?」


 タイジはゆっくりと迫ってくるオレンジと紫のもやの手前の、人差し指を曲げたような細長い黒い星雲を指さしてマチに聞く。


「オリオン座の暗黒星雲」

「馬頭星雲か!…マジか…よくOK出たよな」


 馬頭星雲は三千年ほど昔、ある国の天文台で初めて撮影に成功した星雲の名前である。

 核分裂が唯一の発電方法とされていた時代に、今は無人となっている亡国が牽制目的で軍事武器を使いある国の核分裂発電所を攻撃した。

 ある国は国土の東側が吹き飛び、大規模放射能汚染が国土中に広がり実質滅んだ。

 ただ外交力が非常に高い国だった為、国民は汚染が広がる前に各国に亡命を果たしたが、当時は放射能汚染に対しての除去技術が拙く「汚染を運んできた」と迫害されたと言う。

 今でも放射能汚染の恐怖を忘れない地球人は多く、当時の学術的情報をこうやって衆目に出すのは何故か避けるようになっていた。


「あの赤い星」


 マチは手に持っていた指向性ペンライトの光で、馬頭の根元の赤い星を指した。


「120年前の今日消えた星なんだって。クライアントの上の人の親族が、第なん次かの遠征船の乗務員で、当時の船から送られて来た動画で馬頭星雲を見た事があって、「当時が懐かしい」って今回OK出たの」

「オリオン方面だったら第三五〇かも」

「さすが詳しい」

 

 短く笑うマチ。

 タイジはマチの笑い声を聞く度に、安堵と喉の奥が干上がる感覚をいつも覚える。

 タイジの仕事部屋には彼が産まれた時には廃盤になった宇宙船の模型が天井からこれでもか言う数吊るされて、模型清掃用の小型ドローンが定期的に動いて埃を除いている。

 マチはそのドローンの値段を聞き、その高額さに腹を抱えて笑った事がある。

 マチ自身はその遠征船に随従していた人型ドローンが好きで、年代ごとの小型模型を仕事部屋の棚に全種類並べている。清掃ドローンは欲しいけど買えないので、2日に1回、自分で埃とりをしていた。

 互いに好きな物に対する愛着と凝り方が自分と同じで、安心して笑えた。

 モニター越しにマチの模型を見たタイジは物凄く欲しがった。

 来年のタイジの誕生日に復刻版だけど探して贈ろうと計画していた。


 まだ会えていたら。


 期限をマチはずっと感じていた。最初の時から。

 それはタイジの恋人の存在があったからだった。

 タイジはこの関係になってから一度も恋人の話をしなかった。

 正しくは、互いにタイジの恋人の話に流れが行かないように調整をしていた。

 マチアは期限を意識する度に、開けてはいけない箱が開きそうな気持になり、良くない、と押し込めていた。 


「これはもう少し詳しくなりたい」


 タイジは彼女のシャツの裾から手を入れ肌越しの肋骨のラインと、その上に続く膨らみを触った。

 いつもは手に当たる下着の感触が今日は無く、ただ肌が呼吸に合わせて暖かく動いていた。


「…あれ?また準備万端?」

「…反省会しようって言い出したの突然だったら、忘れて来た」


 真実は闇から闇へ。


「こんなおさまりの悪いのがあるのに、忘れる?」

「おさまりが良い方が良かった?」

「んー?」


 屈託なく笑うマチ。

 シャツ越しに彼女の胸の間に顔を埋めるタイジ。

 シャツから衣類洗剤のかすかな香料と、バニラと木の香りの遠くに感じる青い柑橘系の香りが彼女の体温で温められ、タイジの鼻腔に広がった。

 彼女が息をするたびに、少し冷えている彼女の胸の奥の体温に彼の指が沈む。

 固い少しだけ癖のある彼の髪からは、スタイリング剤の香料と、彼の部屋で使ったシャンプーと分る香りが彼女に届く。

 彼女はその髪の中に指を潜らせた。髪の根元に残っている湿りを感じる。


「髪濡れてる。お風呂入って来たの?」

「うん。入って来てない?」 

「反省会だから要らないと思って」

「風呂が要るか要らないか確認が要るな」


 タイジは彼女の片腿を抱えその足首を自分の肩に乗せた。


「いや。本当に入って来てないから」彼女は少し抗おうとした。

「要らないでしょ」


 それがじゃれ合いだと二人はよく理解していた。


 シートとエアマットがざわついて鳴く。


 互いに向かい合い、抱き合うようにつながる。

 たくし上げたシャツの下の背中の肌に指を立てると、指先に汗が落ち込む。

 タイジの腿に座る体勢で息を吐きながら彼女はつぶやいた。


「…熱い…」

「熱いな…」


 しがみつくように彼女を抱き寄せて、更に深く差し入った。

 息のような悲鳴のような声が、どちらかの喉の奥から漏れた。

 夏になり切らない季節の夜の野外だったが、ここまで内側から体温が沸き上がった事は今まで無かった。

 アルコールに酔ったような定まらなさ。

 体液が着き、肌が擦れ、熱を持った肌に触れまた高い熱を持つ。

 熱が重なる様な錯覚を覚える。

 押す度に熱が高くなっていく。

 マチの口から嬌声が漏れ出す。その声を聞くとタイはいつも満たされ、もっと、と感じる。

 彼女を押し広げていく。

 波が来る。

 止まるように彼女が抗うと、彼はしばらく動かずに抱きしめる。

 彼女の内側が強く縮んでは、わずかに緩むを繰り返し始める。

 その動きに反応して彼の抱きしめる腕に力が入る。

 衝動に負けそうになる。

 少し動くだけで漏れる声が聞こえる。

 このまま動きたい。

 急ぎたいと彼は言葉で乞う。

 マチは彼の口を塞ぎ、「まだ」と優しく囁くと汗に濡れて肌に張り付く髪を払い、不意に空を見上げた。

 星が回り迫っていた。

 ホログラムの動きでは無かった。ホログラムが動く時間は終わっているはず。

 彼女は、プログラムミス、と言う言葉がかすかに浮かんだが、今はどうでも良かった。

 見える星の数はホログラムで作った以上の数で、北極星を中心に円を描きそれぞれが違う瞬きを繰り返している。

 その回転を見ているせいか、迫っている波に抗っているからなのか、マチは体がふらつき眩暈を覚えた。


「タイ…あれ…」


 空を見上げたまま彼に空を見るように促す。

 見上げたタイジも同じものを見た。


「…目が…回る…」


 彼が呟いた。

 馬頭星雲の上の赤い星が迫る。


「…べテルギウス」


 マチが星の名前を呟く。

 彼は迫っている射精感が眩暈と一緒になっていた。

 気持ち悪くはなく、むしろこのまま揺れ続けていたかった。

 それは彼女も同じで、彼の入る足の間から額の奥へ、絶頂感に似た感覚が何度も走り、頭全体が揺れている心地よい錯覚を覚えていた。

 突然、何故かこのまま今抱いている人を離しては駄目だと感じ、彼を抱く手に力を込めた。

 彼女の胸の奥でくすぶっていた彼に対する劣等感や、気持ちを言えない事で歪に捻じれた執着が全て、額から抜けていくような感覚の中に消えていく。

 彼の中で、彼女の体と射精感への執着が薄らいでいく。


 どう言う形でもいい。

 居てくれれば。

  

 彼女は波から抗うのを止め、強い仕草で彼に口づけた。

 彼女が波を受け、彼は沈む場所がのたうつ事に抵抗しなかった。

 そのまま彼女を抱き、彼女ののたうちが強くなるのに合わせ、何度も深く沈む。

 奥へ先へ深く強く。

 体の奥から絶え間なく出てくる心音の混ざるモノを、彼女の中に入れたい。

 思いのまま彼女を後ろへ倒し、彼女ののたうちに合わせ強く体を押し続ける。

 彼女も追うように沿うように、彼の荒い息を聞きながら、自分の波と熱に従って体を波立たせ彼にぶつけた。

 馴染みのある、昇る白いはためきに合わせ声をあげ、やがて全てが明転した様に白くなり果てた。

 生々しい肉の拍動が、何度も何度も彼女の中を打つ。

 二人は気を失うように身を投げ出し、そのまま強い眠気に少しの間だけ落ちた。


 息を吹き返す様に深く息を吸った時、彼女は目を覚ました。

 動かない星空が見える。    

 隣を見ると、間近にタイジの眠っている顔が見えた。

 額に汗をにじませて規則正しい息を繰り返していた。 

 それを見ていると涙があふれて来た。

 手を伸ばしてタイジの頬に触れた。確かに触れれて、安心を覚えた。

 彼がゆっくりと目を開けた。彼女が泣いている事に眉をひそめた。


「…どうした?」

「…分かんない」


 疲労から満足に体を動かせず、ゆっくりと腕だけ動かして手の甲で彼女の涙の跡をぬぐった。

 ぬぐった先から落ちて来る。


「…悲しいとか痛いとかじゃないから…」


 自分の手でも涙をぬぐい頬に触れている彼の手を握った。


「…何というか…タイの顔見てたら少し怖くなって…」

「…怖い?」

「…動かないんじゃないかとか…何だか怖くて…」

「…動いてるよ」

「…うん」

「こっち」


 そう言って彼は腕を広げて彼女に来るように促した。彼女は乱れた服を軽く整えて彼の肩口頭を預け、体を着けて横になった。

 しばらく彼女は彼に顔を押し付けて声を出さずに泣き続け、少し落ち着いてからかすれた声で、


「…ごめん。私…ほっとしたからこんな感じで涙が出たのかも」

 

 と彼女自身も、とり止め無い、と自覚しながら話した。


「そか…」


 彼は彼女の頭を手で優しく叩き撫でた。


「…少しね、感情を抑えてしまう癖があって…今みたいになったら抑えが効かなくて…」

「そか…人それぞれだけどさ…出せる時は抑えないで出したら…?」

「…出す…か…」


 彼女は体を少し起こして思いのまま、彼の頬に頬を着けて愛おしんだ。

 息と共に伝えたかった言葉を声に出さずに、唇だけ動かして小さく呟いた。

 涙と酷い劣等感が湧き出る。

 もう嫌だという思いと、このままずっとと言う思いがフラフラとバランスを取っている。

 思いを声に出せれば。

 出して彼が去ってしまったら?ただでさえ脆くなってしまった関係だと言うのに…

 気付かなければ良かった。近づかなければ良かった。

 あのままモニター越しに、とりとめのない話をし続けていれば良かった。

 無くす事がこんなに辛くなるのなら、進まなければ良かった。

 変わろうとしなければ良かった。

 マチは両肘を着いて上体を支え彼を見下ろす体勢になった。

 進まなければ良かったと言う思いは、否定した。

 進まなければ、こうして彼を知る事は無かった。

 顔を真っ赤にし、とめどなく涙を流し続ける彼女の顔を彼は見続けていた。


「…泣いてる本当の理由話せる?」

 

 見透かされている事に焦りながら、それを隠しながら静かに首を横に振るマチ。


「じゃあ勝手に解釈していい?」


 彼女は思わずふっと吹き出す。彼のこういう所も好きだった。

 彼女が浅く頷く。涙は止まっていた。


「そうだな…何か壁があるのは分ってる。誰でもあるだろうし。俺もあるし。」


 そう言うと、彼女の顎先にたまっている涙を指でぬぐい取った。


「何かあって泣いてるのは、マチがさっき言った通り抑えていたのが出て来たから、と言う事にする」

「…うん…」

「取り合えず、俺の前では泣けばいいし怒れば良いし……いや~、怒られるは嫌かなぁ…マチ怖そうだし」


 彼女がまた吹き出した。彼は、こうやって自分の言葉で彼女が笑ってくれる事がいつも嬉しかった。


「つまりは、沢山笑って悲しんで楽しんで怒ればいいよ。俺は見てるから」


 彼女はその言葉にしばらく呆然としていたが、自分で頬の涙の痕を掌で拭うと、


「分かった…よろしく」


 マチはにっこり笑った。

 彼は腕を広げ彼女を招き入れた。

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