4.浅はかさ -2-

 延々と愛好家が存在し続けた為に廃れないものは山ほどある。

 彼女がまたがりるそれもそう。

キーをシリンダーに差し込み、後輪の前にあるキックスタートペダルを軽く踏み込み手ごたえのある場所を探し見つけ、ハンドル左のフロントブレーキを握り込み、そこから勢いよくペダルを踏みこんでエンジン起動させたこのバイクも、そう言う山ほどあるものの一つ。

 エンジン機構こそこのバイクの原型が誕生した時代の物と同じではないが、好事家達の三万年にわたる絶え間ない執着から、キックペダルを使用したキックスタート式のバイクは今でも市場に出回り生産され続けていた。

 彼女もその好事家の一人で、経済的に余裕が出来てから購入した最初の移動手段がこの中古バイクだった。

 エンジンの震えを全身に感じながら、襟元を前に伸ばして鼻先を突っ込み、自分の体臭を確認した。

 分からない程の震えがずっと手に取り付いている。掌が汗ばんでいる。

 サイドミラーに引っ掛けていたジェットタイプのヘルメットを被り、シールドを下すとバイクを出した。


 待ち合わせた場所は大型量販店の裏手の駐車場で、目印は駐車場の端に壊れたまま放置されている警備ドローンにした。

 彼女が着いた時には以前彼が言っていた四輪駆動車が止まっていた。

 運転席に見慣れた姿が見える。

 彼女はバイクで近づき運転席側に横づけして、エンジンを切ると車のウインドウが下がった。

 互いに見慣れた顔が互いを見る。

 彼女が片手を挙げて挨拶をすると、彼は分り易く全身でため息を吐いた。


「お前さ、何考えてんの?友達無くしたい?」


 怒りではなく呆れている声。


「…こういうの頼める知り合いって居ないんだもん」


 モグモグと答えた彼女に、彼は彼女にヘルメットのシールドを上げるように手ぶりをした。

 マチは従ってシールドを上げた。


「…お前、外国人だったの?」


 モニター越しではない生身の彼女を見て、思わず言葉が出た。

 マチの髪の色はこの国では良くある色だが、瞳の色は鮮明な青と緑とヘーゼルが混じり、顔立ちは北欧圏の人種の特徴が出ていた。

 地球では、何十世紀にも渡って起こっては止んでを繰り返した戦争やエスニッククレンジングがある。

 混ざり淘汰されたいくつもの人種があり、マチの祖もその一つで現在ではどの人種も純血と呼べるものは一つとして残ってはいなかった。

 何度も起こった戦争の結果としてこの国は亡命民を受け入れ、この国に住む国民は様々な色素を持つようになったが、この国の固有人種が持つ顔の特徴はわずかながらも根深く残り続けていたが、マチは異なっていた。

 モニター越しからでも、「濃い顔だ」とは思っていたが生身だとそれが更に際立っていた。

 顔が良いと言う簡単な言葉じゃ済まない。

 こちらを見て明らかに動揺してる彼の様子に、マチは居心地悪そうに、自分の頬を手の甲で擦りながら言った。


「父方にあっちの人が居て隔世遺伝」


 彼女は自分の容姿を見た人が態度を変えるのを、これまで何度も見て来た。

 欲望に応じないと、容姿を口汚く罵られた事も数えきれない程あった。

 一番重たかったのは親に似なかった事。

 耐性はあったけど、この顔を見て態度を変えられてしまうのはやっぱり傷つく。

 彼ではなく、別に相手を探す事も勿論考えた。

 けれどこの見た目に耐性のある人の方が良かった。だから彼にした。

 彼女は意識してそれを表情に出さないようにした。

 

 もう帰りたい。


マチは、無意識にシリンダーに差し込んだままのキーを触った。


「…ま、あれだ。茶飲みに行こ。話はそれからでいい?」


 彼がいつも通りの様子になって、マチはホッと息を着いた。

 頷いてシリンダーからキーを抜くと、バイクを降りた。

 マチの立ち姿を見て彼は少し驚いた。

 胸から上しか見た事が無かったがもっと背が低く華奢だと思っていたが、骨格がしっかりしていて筋肉質に見えた。

 デスクワークにありがちな姿勢の悪さは余り無く、首から背筋にかけて綺麗に伸びていた。

 彼は気を付けているが自分がやや猫背である事を思い出して、少し背中を伸ばした。

 マチはバイクにヘルメットをつなげると、ハンドル中央にある計器の中の帰巣モードボタンを押しそれが起動したのを目視した。

 その様子に彼は好奇心に負けて思わず聞いた、


「ワンコシステム?」


 と帰巣モードの愛称で聞くと、彼女はいつも見る冗談めかした口調で、


「そう。いい子だからちゃんとお家に帰れるよ」


 そう答えシートを優しくなでた。

 すると計器のナビスピーカーから本来なら帰巣モードの開始アナウンスが流れるはずが犬のひと鳴きが飛び出て、彼は思わず噴出し笑った。


「自分でそれやった?」

「かわいいやろ」


 したり顔で彼女が笑い返した。

 バイクが帰路に向かったのを見送ったマチが助手席に乗り込むと、近くの喫茶店のドライブスルーで飲み物を買っいまた同じ駐車場に戻った。

 エンジンを切って続く沈黙。二人とも手元のカップに視線を落としたままだった。

 車内にはかすかな男性用香水の香りが満ちていて、それに紅茶とコーヒーの臭いが混ざっていく。


「これ、香水?」


 何か話さなければ、とマチが手元の紅茶のカップに視線を落としながら聞く、


「ん?あ、そう。アルファルド。知ってる?」


 そう言えばこういう類の話題は今までしたことが無かったな、とタイジは対面での副産物に気づく。


「うん。コル・ヒドラエ使ってる」

「ヒドラエ?意外」


 コル・ヒドラエはアルファドと同じ調香師が出した香水の名前である。

 タイジは以前店頭で試香をして香りを知っているが、マチが着けているにしてはちぐはぐさを感じた。


「ほら」

 

 マチは腕を伸ばし、数時間前に香水を着けた手首の内側を彼の方に向けた。

 動いた事でコル・ヒドラエのバニラとスモーキーな甘い香りが彼に届いた。

 彼はその無防備さに呆れ、彼女の手を人差し指で軽く押し返し、


「…話の続き。お前どうしたの?何か病気?」

 

 白い手首の透けて見える静脈の青を見ながら問う。


「………私さ、学生時代の同級生とルームシェアしてるんだけど…。皆どんどん彼氏作ったり、その延長で何したとか、もっとエグい話しするのよ。………私は仕事ばっかりで正直焦って」

「…そういう事ね……そういうのはさ、好きな相手とか恋人としたいと思わない訳?」

「在宅勤務だからそういうの無いし、…私こういう見た目だからこれに抵抗が無い人が良かった…」

「…そういう事をしたらこれまでのやり取りがしにくくなる、とかは考えた?」

「…考えた」

「…」


 誰と肉体関係を持つかは成人後は自己責任だ。

 婚姻による配偶者や恋人が居れば別。彼はそう考える類の人種だった。

 これまで互いにそう言う話はしなかったし、する必要も無かったし互いのそういう話には興味が無かった。

 ただ、ずっと、彼の中でそう言う欲が無いわけじゃなかった。

 今も、そう言う関係になってこじれたくない考えと、構わずしてしまいたい欲望が静かに陣地争いを続けている。

 モニター越しでも、マチは綺麗な女だった。

 笑った時の表情が子どもみたいで、可愛いと感じたこともあった。


 明確な答えが出せずに居るとマチの視線を感じた。

 彼女の方へ顔を向けると、マチも彼を見ていた。

 彼女の瞳の表面はガラスの様になめらかで光を映している。

 三色が混ざる光彩の中央の、黒の瞳孔の奥が揺らいで見えた。

 彼はその揺らぎの奥に、何かが見えるような錯覚を覚えた。

 

 自分の顔?

 違う?


 見たかったものが見えてるような気がした。

 軽いめまいが額の奥でした。


 マチは、困った表情でこちらを見続けているタイジの顔を見た。

 モニター越しで見た顔と遜色がない。

黒の髪と黒ぶちの眼鏡。33歳と聞いていたがやや童顔なので若く見えた。

 彼女は夜の街で生計を得ていた経験から、人の外見に対するジャッジは無意味だとしていたので、タイジの容姿に対してもただ、「中肉中背のやや童顔な成人男性」としか認識していなかったし、生身を目の当たりにした今も変わらなかった。

 ただ、いつもは眼鏡のレンズ越しで分かりにくかった目の部分が今は良く見えている。

 明るいヘーゼル。光の当たり方で瞳孔が小さくなっている。

 人の目を見つめる事に慣れていない彼女だったか、点になっている瞳孔を何故か見続けてしまっていた。

 不意に、マチのジャケットのポケットの中で犬が一つ吠え、バイクがマチの自宅駐車場に到着した事を知らせた。 


「キーにも入れてんの?」

「ははは」


 醒めたように二人は意識を戻し、自分達の方へ手をひっこめた。

 彼女の目を見た事で、何故が今までのこだわりや抵抗が消えていたのを感じて、彼は軽く息を一つ着くと手に持っていたカップをドリンクホルダーに納め、照れ隠しに自分の首にあった凝りを撫でて言った。


「おし。行くか」

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