4.浅はかさ -1-

「そう。お願いしたい」


 彼女は作業デスクの上の4つのモニターの一つで起動している通信ソフトの画面に映っている相手に答えた。

 相手はしばらく手元に視線を落としながら黙っていた。

 彼の手元のキーボードのライトが、眼鏡のレンズに反射してチラつく。

 相手は彼女の友人で、ネットの空間デザインのコミュニティで知り合ってから半年になる男性で、彼女よりは10歳年上で同じ都区に住んでいる。

 彼は元々気象デザインをしていたが視力が低下した為デザインの仕事を辞めて、現在PCモニターの設計の仕事をしていた。

 彼女は天候デザインのアルゴリズムプログラムの一部に苦慮していて、それに関する情報をコミュニティで募っていた時に彼が以前作ったプログラムの話をした事が知り合うきっかけだった。

 このネットのコミュニティは前時代の活字を多用したものに加えアバター使用がほぼ通常となり、犯罪抑制の為匿名性が乏しくなっていた。

 使用できるアバターも個々人の嗜好のものの使用は法的に認められているが、ネットへの生体認証の義務化が進んだ為、成人後は納税の義務と共に生体情報と同等の情報を持つアバターの作成が法的に決められている。

 一般的には防犯としてネットを介して外部とやり取りする場合、相手のセキュリティ度によって生体アバターが嗜好アバターを使うのだが、2人はその辺の価値観が同じコミュニティで知り合った当初こそ生体アバターを使っていたがアバター情報の送受信の負担が大きくスムーズなやりとりが難しかっのでアバターを使わずやり取りを始めていた。

 互いの印象は彼は彼女に対しては、


「顔は良い変人」


 で彼女の方は、


「元同業者の眼鏡の年上男性」


 だった。

 やり取りを初めて一年以上が過ぎるが、ずっと互いにその印象は変わらず、勤務時間の違う時間の合間に通信をつなげ技術の相談や下品な雑談や趣味の映画や模型の話をして過ごして来た。

 

『本気で本気?』


 彼の音声ではなくフォントがモニターを横切った。


『嫌じゃ無ければ』


 マチもキー入力してフォント出力し、まっすぐにモニターの彼を見た。


 怖くない。通り過ぎたい。終わらせたい。


 マチは何度も頭の中でその言葉を繰り返した。

 元々表情が少ない為今の彼女を見ただけだと淡々としている様に見える。

 その実は、心臓の音が胸骨を押している錯覚を起こすくらい強く打っていて、口の中は干上がって何度も呼吸を忘れていた。

 キーの上に置いたままの指先が震えて聞こえない位小さい音を立て続けている。

 二人がやり取りをして来た中で一番長い沈黙が続いた。

 彼は熟考している時に出る口元を触る癖を何度かした。


 これで絶縁されても仕方がない。


 首の後ろが寒くなりそれが這いまわる様な感覚をマチはじっくりと味わった。早く答えて欲しかった。


 私は可愛い方じゃない。性格だって女らしくない。だから気味悪がられ気持ち悪がられて絶縁されても仕方がない。私はこういう外見で生まれてしまったから。


 続いた沈黙の後、マチのモニターのスピーカーからキー入力の音が聞こえた。


『迎えに行くから待ち合わせ場所と時間決めて』 


 フォントが流れた。彼はまだ手元を見ていて表情は分からなかった。

 マチは震える喉から一呼吸吐いてキー入力をした。心臓の音がまだ止まない。怖さと驚き。


『分った』


 答えるとマチはいつも通信を始める時間と、互いの住居の中間当たりのスーパーの大型駐車場を入力した。

 まだ指先が震えて珍しく何度かタイプミスをした。

 彼女がタイプミスをすると彼はいつもからかったが、今回は無かった。

 


「着いたら連絡するわ」

「うん」

「今日はこれで」

「うん」


 彼は一度もこちらを見ずに通信が切れた。

 マチはとんでもない事をしたんだと、やっと自覚を持った。 


 彼は通信終了したモニターに表示されている通信ソフトの登録者リストを見つめ続けていた。

 正しくは最新通信順に並ぶそれの一番上の『machi_Fomalhaut』というネット偽名。

 彼女からの願いを了承した。

 うなだれ、拳を額に当てて頭の重みを支えた。

 困惑している時の癖が出る。


「まじかー…」


 彼女の願いは、初めてした以降一回もしたことが無いから慣れておきたい。

 

 空間デザインのコミュニティで知り合った。

 彼は気象デザインを生業にしていたが交通事故が原因で視神を損傷し、現在はPCモニターの設計の仕事をしていた。

 デザインへの未練はずっと消えず、時々そのコミュニティを訪れていた。

 その中である日、天候デザインの情報を求めているアバターが居た。

 Fomalhaut。フォーマルハウト。

 みなみのうお座のα星の名前。天体に相当詳しくないと出てこない名前。

 普段はアバター同士の対話を見るだけの彼だったか、珍しく話しかけた。

 それが始まり。 

 その内、生体アバターすら使わず話すようになった。

 女性は防犯上、嗜好アバターを使用する人が多く彼の周りも殆どそうだったが、


「危ないかぁ…そうだろうけど何かあったら即警察呼ぶだけだし。本当に何かしようって人はこんなめんどくさく時間かけないですよ。何かされてもどうしようとか悩んで泣き寝入りはしないし、持ちうる全ての力で社会的に「この人は犯罪者です」って晒し者にするだけだし」


 知り合って間もない頃、アバターを使わない通信をする危機感の無さに、年上男性として注意する気持ちで注意したら、マチは淡々とした声で返して来た。

 若いから危機感が薄いのだと思ったけど面白いと思ったし、正直年若い女性との対話に飢えていた。

 ただ、話す数と時間が増えれば増える程、趣味やデザインに対する思考や生活習慣の共通点が多く、下らない話しにも率直にコロコロと面白い角度から話題を広げていく彼女は、話し上手だと分った。

 とても明るいわけではないけれど、相手をしっかり見て相手の小さな動向に合わせて言葉を選び、時には選ばず、「取り繕う」という感情を作らなかった。

 時々話すこれまでの職歴や経験から、少しの苦労と悩みを抱えて順当に親元から自立して生活している23歳の人間じゃないんだな、と思うようになった。

 何より彼女は自覚があって隠してはいるが、過敏で洞察力が高く、こちらの少ない言葉の中でその奥の物を拾い上げて来る。

 何度驚かされたり自分の形を知らされたか分からないし、それに苛立った事は何度もあった。 

 もっと知りたいと思わなかったことが無いわけじゃなかった。

 もし彼女の望みを果たさなくても、会って話せるだけでも良いと思った。


 話題の尽きない女友達。


 今回の申し出に対して、驚きと混乱とわずかに喜びが確かにあった。


 彼自身、自分の外見に格別な自信があるわけではなく、この国では極々平均的だと思っていた。

 若い時から女性から特に好かれたわけではなく、親しくなって恋人になる、と言うパターンがほとんどだった。


 視線を通信ソフトの登録者リストの一番下の名前に落とす。

 最終通信日時は一カ月以上昔の日付。


 その女性名を見ると今回の申し出を受けた事に薄い罪悪感を感じた。

 それは恋人の名前。

 付き合って一年目に仕事で国外に移住して半年がたった。

 大気圏上にめぐらされた高度100キロメートルの軌道リングを利用した格安のシャトルを使えば一時間で会いに行けた。

 けれど、三交代制勤務の彼とのすれ違いは日を追うごとに増えて行って、一番最近は通信で話したけれど、何を話したのか何も話さなかったのかすらよく覚えていない。

 彼女からの連絡を待つ事や、待たせている自覚に正直疲れていた。

 そういう中でマチとの対話はただ楽しかった。

 勤務先の同僚や友人との対話では得られない何かがあった。

 

 その彼女とそういう関係になった後、どうなるんだろう?

 これまでのように話せる様になれず、終わるのか?


 肉体関係だけのものに成り下がるのだけは嫌だった。

 会ってちゃんと話そう。

 彼女のがこういう風に、思考ベクトルが可笑しな方に向いた事を言い出すのはこれまでに無かったわけじゃなくて、大体が内省がはかどり過ぎていた時だったから。

  今回もきっとそう。

 ひょっとしたら、この先から通信以外でも会って話せるようになれるいい機会になるかもしれない。


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