2.手紙
「え?」
再生紙の便箋に墨汁で書かれた文面を読み、その内容に一瞬思考が止まった。
この時代、紙は自然資源を無為に浪費する製品として位置づけられている。
『再生紙』と呼ばれるものは『古紙』と呼ばれる紙繊維を再生技術で洗浄し再度紙として何度も何度も再利用されているもので、紙繊維を得る為に植物を伐採する事は世界資源保護法で禁止されている。
紙を手紙として使用する文化も何世代も前に廃れた技術で、疎区と呼ばれる郵便庁管轄の通信ライン普及が進んでいない地域ではその地方独自に伝統技術として残っている日本和紙技術を元に手作業で古紙を再生紙にしている。
この手紙が送られて来た住所もその疎区の一つで彼女の親族が住んでいる。
文面を目で追い全てを読み終えると表情の失せた顔のまま手紙を畳み封筒に戻すと、前掛けのポケットにしまう。
左親指の爪表面に埋め込んであるフォンのボタンを右手の指で叩いて起動させる。
フォンの透過性光素式モニターが表示されそこから手紙の送り主に通信予約を送信しフォンを閉じた。
書面の内容を要約するとこうなる。
「引き取り養子縁組をした親類の子である朝陽は貴方の実の子どもである」
彼女は2年前、親類の娘を一時的に預かり去年養子縁組をし養子にした。
親類は娘が産まれた直後に離婚しており娘は父親が親権を持ち養育していたが、数年前に失業し生活保護を受けていたが2年前娘を置いて行方不明になっている。
娘は難治性難聴(現在の医療では小児難聴は出生時に100%発見され完治が可能となっているが、後天性のもので複合的なウイルス感染が原因となっている難聴は難治性難聴と呼ばれ未だ完治が難しい)を持ち、父親はほぼ放置状態で養育していた為、聞こえない事から言語等の発達が遅れており軽度知的障害と言う診断がおりていた。
発達障害と言う概念はこの時代では社会的にはほぼ廃れているが古い慣習や教育を受けた世代が多く住む疎区では未だ差別は存在していた。
娘が住んでいた場所も疎区の一角で孤児となった子どもを引き取りたいと言う親類は一切いなかった。
孤児を引き取る国営施設はあるが今の時代子どもの数は未だ少なく、国営施設に収容される子どもは娘のような障害を持つ子どもがほとんどで、障害の無い子どもは列となっている養子縁組待ちの世帯に早々引き取られる。
収容された子ども達は成人年齢に達すると国から手当を受けながら国営施設を出て独自の生計を立てなければならないのだか、障害を持つ人間の雇用は少なく大抵が生計保護を受け貧困となりそれを元に精神を病みただ生かされるだけの人生しかなくなる。
「私が引き取ります」
床が見えなくなるほどゴミが散乱した居間で、何人もの大人が一人の子どもを押し付け合う話し合いの腰を彼女がそうやって折ったのは2年前の冬。
床からにじむ様に汚れが広がる子ども部屋へのドアの向こうに娘は息をひそめている。
通信承認の返事は直ぐに届いて、彼女はドローンが手紙を届けに来た綿花を育てている温室のある屋上から、階下の自宅の仕事部屋に移動しPCデスクの前の椅子に座り2×2で並べた仕事用の液晶モニターを起動した。
デスク横の彼女とほぼ同じ背丈のある旧式PCタワーの起動ボタンを押した。
世間ではキーボードもモニターも透過性光素式の物が多くなっているが、使っている感が好きで彼女は旧式のエコプラスチック製のキーボードを使っていた。
通信ソフトを起動し通話を開始した。
通話先への通信音が流れ、画面に70を過ぎた老女がひとり映し出される。
去年大病して何とか小康状態を維持しているらしいが、老いと病からすでに時間が少ないんだと彼女は叔母の細くなった顔と肩を見て感じた。
「伯母さん久しぶり。伯父さんは?手紙貰ってその事で話したいんだけど」
「マチ」
伯母は目を潤ませて彼女の名前を呼んだ。
虐待を受けていた彼女(以降、マチと記載)が大学合格を機に同居していた実家から逃亡する際、この伯母夫婦は当面の資金援助と法的保証人となり住居確保の助力をしてくれた。
もう18年も前の話となるが、今でも定期的に連絡を取り合っている。
マチと血が繋がっているのは伯父の方であったが伯父はマチの父の兄弟で、今も昔も「田舎の親戚づきあい」と言うのを続けなければならない為、マチの事は気にかけてはいても表立って動く人では無かった。
マチの父は居住地区でも有名な癇癪と凶状持ちで、法的には児童への身体的虐待は裁判受けずに実刑となるのだがマチの父はマチと妻を衆目でも罵り暴力をふるった。
何度か警察沙汰にもなったが母が父を擁護する為厳重注意扱いとなり暴力はずっと続いた。
そういう人間を父に持つマチに近づく人間は、彼女が逃亡して一人暮らしをして親とは関わりの無い人間と接する様になるまで伯母以外居なかった。
逃げると決め、法定保証人のサインの要る書類を抱えて泣きながら伯母夫婦の家に来た時、叔母は二つ返事で引き受けてくれた。
親類の情が理解出来ないマチが大事にしたい人の一人だった。
その伯母の様子ですぐに分った。伯父は話す事から逃げ、伯母に全部押し付けたんだ。
「…そっか。で、あの手紙の事って本当?」
「ごめんね…マチ…あのね…」
後になって思うのは話す内容は散々たるものだったが、唯一の救いは話してくれた人間が伯母な事だけだった。
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