第2話 リズもおだてりゃ木に登る?

「だからぼくは言ったんだよ、リズ。杖の研究もいいけど営業トークの一つぐらい勉強しておくべきだったって」


 悲しみに暮れて工房に戻ったリズを待っていたのは、コークスによる容赦ない追い討ちだった。


「……わ、わかってるよぅ……でも、ひ、人と話すなんて……わ、わたしには、無理……」

「それはぼくもわかってるけどさ」

「……な、ならなんで言ったの……」

「だって杖を売らなきゃ、ぼくらはこのままホームレスなんだよ? 年中野宿は嫌だよぼく」


 リズをいじめてやろうだとかいう悪意はコークスにない。

 ただ単に事実として、このアトリエが年中開店休業で赤字を垂れ流していることで辿る最悪の結末を心配して、ご主人であるリズに忠言しているだけだ。

 それに、せっかく工房の炉というお気に入りの寝床があるのに、そこから追い出されるのもコークスとしては勘弁願いたかった。


「……の、野宿? はっ、その手が」

「ぼく嫌だって言ったよね?」

「……で、でも。おじいちゃんたちと村に引っ越してくる前は、ずっとそうしてたし……」


 リズは各地を転々としていた幼い頃を思い返して、名案を閃いたとばかりにコークスへとそう答える。

 野宿であれば、家賃もかからない。

 食糧問題に関しても、リズには幸いなことに狩猟の心得があるし、一番肝心な水の問題に関しても、オルサの村から二時間ほど歩いたところには、野宿にうってつけの綺麗な湖がある。


「し、しっかりしてよリズ。工房がなくなったら魔法杖の研究もできないんだよ?」


 ただし、工房はない。

 いつ嫌いな雨に濡れるとも知れない、野外で一年を過ごすなど、コークスとしては死んでも御免被るので、必死に飼い主へとそう訴えた。


「……そ、それは……困るよ……」

「でしょ? だからアトリエを続けるためにも頑張って杖を売りに行こうよ。なんたってリズの魔法杖は世界一なんだからさ」

「……せ、世界一。えへ」


 かつて祖父と両親からもそう言われたことを思い出して、リズは思わず破顔する。

 自分の作る魔法杖は、自慢じゃないが芸術品の域に達しているのだ。

 かつて祖父に初めて作った魔法杖を見てもらったとき、そう誉めてくれた──一流の魔法杖職人から太鼓判を押してもらった記憶が、リズの職人としてのプライドを支えていた。


「きっと、リズの杖ならすぐ売れるよ」

「……そ、そうだね……えへ、頑張らなきゃ。支度してくるね、コークス」

「うん。ぼくもいい加減炭の燃え滓以外を食べたいから是非とも頑張ってよ、リズ」


 言うなり自分の部屋に駆け出していったリズを見送りつつ、コークスは煙を吐いた。

 もっとも、超がつくほどのコミュ障なリズにそれができるかどうかは全くの別問題なのだが、やってもらわねば困るのだ。

 火蜥蜴はおだてても木に登らないが、人間はその気になれば登れるだろう。


 きっと大丈夫だ。

 リズはやればできる子なのだ。多分。

 ぽふっ、と小さく火を吹いて、コークスも、寝床である炉の中へのそのそと引き返していく。


 そして、その気になったリズの行動は早かった。

 自分の部屋にあるクローゼットの奥底にしまわれていたよそ行きの服を引っ張り出して、野暮ったい作業着からすぐに着替える。

 フリルをふんだんにあしらったケープと袖付きのワンピースを身に纏い、そして羽帽子を頭に乗せたリズは、姿見で軽く自分の格好を確認した。


「この服着るの、誕生日以来だなぁ……」


 肩口の辺りまで伸ばした桃色の髪に、真紅の瞳。見慣れた自身の姿にも、少し華が咲いたように思う。

 十二歳の誕生日に買ってもらった服が、未だにぴったり着られる自分に思うところはあるが、見た感じ、変なところはなさそうだが心配だ。

 とりあえずはコークスに意見を伺うべく、リズはぱたぱたと階段を駆け降りていく。


「お、お待たせ……コークス。変なところとか、ない……?」


 工房に着くなり、炉の中に向けてリズは問いかける。

 のそのそと這い出てきたコークスは、すっかりそれらしくなったリズの格好に、思わず目を丸くした。

 その気になれば完璧な美少女が出来上がるのだから、おだててみるものだなあ。


 そう感心しつつ、コークスはリズへと問い返す。


「いいんじゃないかな。とってもよく似合ってる」

「ほ、本当……?」

「うん、さすがはアトリエの看板娘」

「……か、看板娘……えへ」


 そこまで言われると、さしものリズも頬を染めて照れざるを得なかった。


「でもリズはあんまりそういう服を着ないよね。嫌いなの?」

「嫌い、とかじゃなくて……こう、自分にはボロボロの作業着が一番似合うっていうか……服とわたしが釣り合ってない気がして……」


 あまりにも直球すぎるコークスからの質問に口よどみながらも、リズは答える。


「気のせいじゃないかなあ。リズほど可愛い女の子をぼくは見たことがないよ」

「か、かわいい……はっ! しゅ、主人を口説いてどうするの……? ま、まさか、コークス……!?」

「ぼくは女の子なんだけど?」


 リズのあらぬ誤解に対して全身で不平不満を主張するように、コークスは威嚇のポーズをとって火を吹いた。

 コークスは火蜥蜴の中では亜生体、つまり人間でいうところの思春期ぐらいの年齢だったが、人間相手にそんな気を起こす変火蜥蜴ではない。

 とにかく会話があらぬ方向に飛んでいくか、真下に沈んでいくリズのコミュ障っぷりは、幼い頃からコークスの頭を悩ませていた。


「それより杖を売りに行こうよ、飢え死にする前に」

「そ、そうだね……」


 リズはコークスに催促されて、今まで作ってきた試作品を大きな背嚢にしまっていく。

 背嚢は行商人の必需品だ。中はいくつかに区切られていて、商品と旅の必需品を同時に持ち運べるように工夫が凝らされている。

 思えば、父はいつも王都に自分が作った魔法杖を売りにいくとき、この背嚢を背負っていたものだ。


「……いってきます、お父さん、おじいちゃん、お母さん」


 リズは目を伏せ、天国の父と祖父、そして母に祈った。


「リズ、一体なにを祈ってるのさ」

「……え、えっと、魔法杖が無事に売れますようにって」

「そうかい」

「……そ、それとね、道中何事もないようにと、怖いお客さんが来ないようにと、あとよかったら相場より高く買ってくれるお客さんがきてくれるようにと」

「ちょっとだけしんみりしたぼくがバカみたいじゃないか」


 存外欲深くて図太い今の主人に、コークスは呆れの意を込めて軽く火を吹いた。

 炎の形をしてはいるが、なにも焼き焦がすことはない程度のものだ。

 つまるところそれは、人間でいうところの溜息に等しかった。

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