杖職人のリズティアラ

守次 奏

第1話 崖っぷちのリズ

『ねえ、おじいちゃん。あの杖はなぁに?』


 それは、とても素敵な杖だった。

 人々は金色に光り輝く杖を持って、奇跡にも似た魔法を唱えている王様を見つめ、涙を流していた。

 だが、幼い頃の少女──リズティアラ・エストレヤには、魔法が起こした奇跡よりも、その奇跡の元となる魔法杖に目が吸い寄せられていたのだ。


『これは「王笏おうしゃく」。この世で最も偉大な魔法杖じゃよ、リズ』


 今でもリズティアラ──リズは覚えている。

 祖父が見せてくれた、あの高貴なる黄金の輝きを。

 王笏。それは、全ての魔法杖の頂点に君臨する、万能にして最強の魔法杖。


 リズたちが暮らす、「イーステン王国」の王権を証明する輝ける杖を人々はそう呼ぶのだ。

 これほどまでに美しい杖がこの世に存在するという事実に、幼いリズの心は神の存在に立ち会ったかのように打ち震えた。

 そして、リズは考えたのだ。


『ねえ、おじいちゃん! わたし、あんな杖が作りたい! ううん、いつか、「王笏」を超える杖を作ってみせる!』


 この世において、「王笏」に敵う杖はない。

 祖父のように凄腕の職人であったとしても、最古にして頂点たるあの魔法杖に並び立つものは作れていない。

 だからこそ、作りたいと願った。


 唯一無二にして完全なる、「王笏」すらも超える、自分だけの魔法杖を。

 その夢を叶えるために、リズは寝る間も惜しんで、村外れのアトリエに引きこもって、魔法杖の研究と鍛造に勤しんでいたのだが。


「リズ! いるかしら!?」


 それは、突然の来訪だった。

 リズは、玄関先から響く聞き慣れた客人の声に、思わずびくりと肩を振るわせた。

 声の主は、この村の実力者にして、今リズが暮らしている家の大家でもある女性だ。


 ビアンカ・カーマイン。

 街道から外れた場所にひっそりと佇み、外との往来も少ないオルサの村において、唯一村の玄関口となる商会をやっている、村長のような存在でもある。

 多忙なビアンカがわざわざ、なんの用で家を訪れてきたのかについて、リズも心当たりはあった。


「……う、うぅ……ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……だ、誰か助けて……」


 咄嗟にアトリエの隅に隠れたリズは、弱々しい声で呟く。


「はーい、リズならここにいますよー!」


 しかし、炉の中から聞こえてきたその声は助け船を出すどころか、地獄にリズを蹴落とす追い討ちにも等しいものだった。


「コークスの裏切り者ぉ!」


 眦に涙を滲ませて、リズは叫ぶ。


「諦めなよリズ、多分年貢の納め時ってやつだからさ」


 声の主である火蜥蜴サラマンダー──コークスは、のそのそと寝床である炉の中から這い出てきて、溜息を吐き出すように煙を吹く。

 リズにとって、コークスは単なるペットではなく、長年の付き合いがある友人のような存在だった。

 だが、時折こうして言葉でリズの背中を刺してくるから油断ならないのだ。


「う、うぅ……嫌だ嫌だ行きたくない行きたくない……」


 それでも尚、抵抗するようにリズは、ガタガタと震えながら目を閉じ耳を塞いだのだが。


「ありがと。コークスは偉いねぇ……さあリズ! 引きこもってないで出てきな! 五分以内に出てこないと来月の家賃二倍にするからね!」

「いっ、今行きますぅっ!」


 声色からして、冗談ではなかった。

 そんな横暴がまかり通った日には、ただでさえ少ない財産が一気に枯渇するから、たまったものじゃない。

 ビアンカの脅し文句に屈する形で、リズは慌てて玄関へと飛び出していく。


「……お、お待たせしました……へへ……」


 引き攣った笑顔を浮かべて玄関にやってきたリズを出迎えたビアンカの表情は、案の定険しいものだった。

 そして、無言で一枚の羊皮紙を突きつけてくる。

 リズはその内容に目を通すと、思わず真顔になって絶句し、見出しに書いてある文章を復唱する。


「……な、なにこれ……? 家賃、滞納のお知らせ……?」

「見ての通りさね、あんたは三ヶ月も家賃を滞納してるのさ」

「えっ……や、家賃なら、その……いつも通り、わたしの、口座から……」

「その口座にある金なら、とっくに尽きてるよ」

「えっ、あっ」


 魔法杖職人だった祖父と、両親を失ってからリズは遺された蓄えを切り崩す形で暮らしていたが、とうとう恐れていたときがやってきたというわけだった。


「で、なにか言い訳することはあるかい? リズ」


 ビアンカはぞっとするほど綺麗な笑みを浮かべてそう問いかける。

 笑顔とはこれほど恐ろしいものなのだと、リズは初めて知った。

 基本的には気のいい女性なビアンカだが、こと金銭絡みの事情に関しては容赦をしてくれないのだ。


 見知った仲だとはいえ、かつてないほどに修羅の気迫を纏っているビアンカに対して、リズが反論することはできなかった。


「……あ、ありません……」


 半泣きでリズはそう答えるのが精一杯だった。


「一ヶ月だ。一ヶ月でこれまでの家賃とアトリエのテナント料を全部払ってもらうよ。今回ばかりはビタ一文たりともまけられないからね」

「そ、そんな……っ」

「そんなもこんなもないよ、ゼクタルの爺さんが亡くなっちまってから魔法杖のアトリエは開店休業、跡継ぎのお前さんは工房に引きこもって出てこない挙げ句に家賃を三ヶ月も滞納してるんだ。これでもあたしは三ヶ月待った。ゼクタルの爺さんの顔を立ててやったんだよ。むしろ優しい方だと思ってほしいね」


 ビアンカは溜息混じりにそう告げると、踵を返して玄関から去っていった。

 これからどうしよう。だらだらと冷や汗を流して、リズは去り際に押しつけられた家賃滞納のお知らせを一瞥する。

 元々裕福でなかったリズの家は、祖父と、立て続けに両親を流行り病で失ったことに加えて、リズが引きこもって魔法杖の研究をしていたせいで加速度的に困窮していた。


 この現状を打開する方法は幸い、あるにはある。

 問題はその方法をリズが実行できるかどうかなのだが、その可能性については絶望的だ。

 だとしても、やらなければ借金は返せないし、日銭も稼がなければ飢えて死んでしまう。


「……い、嫌だよぅ……ひ、人と関わりたくない……」


 十五歳の春にして、己の人生が崖っぷちに立たされている悲しみにしくしくと涙を流しながら、リズはアトリエに引き返していった。

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