第267話

涙を堪えようと俯いていた顔をあげた時だった。

父と母の向こう、広い部屋の隅に座っている人の気配に気づいた。



両親のことさえまともに顔を上げて見られなかった私は、部屋全体に意識を向けることすらなくて。

けれど、その存在に気づいた瞬間誰なのか閃いた。




「…―――お兄ちゃん」




日本にいるはずのない兄がそこにいるなんて想像もしなかっただけに、呼んでおきながら心臓が飛び跳ねた。



セットされていない髪をキャップで隠し、兄らしくない上から下までアンバランスな私服。

普段と変わらない両親とのギャップのせいなのか、そこにいる兄は誰よりも落胆しているように見えた。





ゆっくり歩み寄る兄の瞳は、動揺を隠すことなく怯えるように揺れていて。

「ごめん」と掠れた声で何度も呟く。




「俺のせいだ。渚を独りにして家を出たから。全部背負わせたから――、」



自らを責める言葉を並べて、腕で覆った目元は濡れている。




兄が泣いていた。




涙を見たのはこれで二度目。


一度目は崩壊した家族生活に疲れ果てて家を出た時。



二度目は今この瞬間。

他の誰でもない、それは私のせいだった。







「……ごめんなさい―――っ…」






グッと息苦しさがこみ上げ、自分のやっていたことの重さを痛感した瞬間だった。



犯した罪の重さじゃない。

家族の心に深い傷を負わせたことの重み。




家族四人が揃った瞬間。

絶対に忘れることのない瞬間。



それは自分が望んでいた形ではなかった。

ぶち壊したのは愚かな自分。



一生この十字架を背負い続けるだろう。

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