消灯エレジー②
あの日の夕方、そうやって居場所と肩書を一つずつ失った。少し雪の降る年明けだっただろうか。途方に暮れる暇も余裕もなくフリーターに戻った。自分の代わりなんて幾らでもいる。それこそ掃いて捨てるほど。新しく団体を探す意欲も無かった。
「一人で気ままに、誘われたら客演するっていうのもいいかもよ」
そう蕗は言ったが、そんなオファーが黙っているだけで入って来ることは無い。自分から売り込みなんてできるもんか。友人が少しはいないわけでも無かったけれど、誰だって自分のことで精一杯だった。立っていた舞台は一気に遠い場所になった。堕ちるのって速いんだ。
それが退屈だったのは初めだけで、シェイカーを振るだけの一年間も振り返ってみれば楽しかった。喪失感は気付けば埋まっていたように思う。あっという間だった。もともと巻き込まれた形で始めた芝居だ。一時はこれしかないと思っていなかったわけでもないが、手にしたのも手離したのも人の都合という点で諦めがついた。
でも一花はそうじゃねえだろうが。これがやりたいですって決めて突き進んできたんじゃねえのかよ。なのに、なんでだよ。
エキストラのバイトを一度だけ俺もやったことがある。あの時も誘われたからやった。朝は早えし、時給は安いのにクソみてえに待ち時間は長えし。あれも冬だった。球場に何時間も座らされて風邪をひいた。もう二度とごめんだと思ったね。そんなことだって一花は文句も言わず我慢して努力してきたじゃねえか。
なんで一花から取り上げんだよ。もっと適当に生きてる奴なんか幾らでもいるだろうが。俺でもいいじゃねえか、なんで俺じゃなくて一花なんだよ。俺には失うものなんてないからかよ?取るものがねえから取らねえなんて良心的じゃねえか。なあ、誰だか知らねえけど頼むよ。一花から芝居を取り上げないでくれ。
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懐かしい曲が店内を流れてゆく。俺らが生まれる前の歌だ。でも聞いたことない人なんかいない有名な歌。
「もう決定なのか?」
「うん」
「―――――帰って来るんだよな?」
一花は黙る。蕗の顔は見れなかった。
あくまでライトに質問したつもりだった。そう聞こえなかったのならば自分の大根っぷりを恥じるしかない。なんだったんだろう、あの積み重ねた日々は。俺ですらそんな風に思うのに。
一瞬、バカみたいなことを言いそうになった。
お母さんだけ帰ってもらうのではダメなのか?
あまりにも愚問だった。そんなわけにいく
「一緒に看てくれる人が増えるのは心強いね」
蕗のフォローは讃美歌みたいに優しく響く。それは今だけの、この瞬間だけだったとしても、俺の飲み込んだ言葉を、雁字搦めでお手上げの一花を救った。そうであってほしいと願う。蕗の言う通りであってほしい。
無責任な大人が投げかける言葉には影響力がある。後になってから「こうすれば良かったのに」とか言い出す場合まである。そうしようとしていたのに反対したような者に限ってそんな余計なことを言ってくるのだ。こっちの考えていることを話してみたところで関係ない。聞く耳を持たないって最初に言った人間は天才だと思うぜ?
まあそのくらい神経が腐っていなければ他人の進路に口出しなんかできないだろう、自分が何ひとつ面倒を見たわけでもないくせに。ただ、そんなクソみてえな言葉でも自信たっぷりに言われるとその時は信じてしまう。そういうことはある。立派な人間になりきるっていう思い込みの激しさも、自分の正当性を主張したいが為にムキになってるだけの感情でも相手の気持ちを絡め取っちまえるものだと知った。そこらへんは演者として勉強になったが、芝居に活かせたかというと微妙なところだ。試す前に終わってしまったもんだから。
俺と違って一花は全うに生きてきたからさ。いい子で健全に生きてきた。そういう言葉を真面目に受け止めてしまうかもしれない。でもそれは表面上だけで、従って丸く収めたと思わせておきながらひっくり返す隠れた我の強さを持っている。
そういう力があるんだってことも、世渡りが下手じゃないことも知っている。そう俺は信じている。どんな困難な状況だとしても一花ならひっくり返すって俺は信じてるよ。あいつ結構腹黒いところがあるから。なあ頼むよ、ひっくり返してくれ。いつも俺のやりたくてもできないことを切り拓いて見せてくれる、一花は俺の希望なんだ。誰かの犠牲になんかなるなよ。そんな終わり方ってねえよ。
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