消灯エレジー①

 自分がいた劇団が消滅した日のことを思い出した。


 夕方、ある日突然のことだった。何曜だったかの稽古日に主宰から解散についての説明を受けたのだ。ショックではあったのに、なんだかとてつもない安堵を感じた。とっくに空っぽだったのだと気付く。いつまで続くのかと不安だった、この虚しさが断ち切られるのだと胸を撫で下ろした。公民館の冷たい和室の温度を啜り泣きの声が余計に下げる。その日は確か雪が降っていた。


 所属したきっかけは修ちゃんに誘われて出た初めての舞台ということになる。同じく客演で出ていた役者と仲良くなり、フリーならば自分のいる団体に来ないかと誘われた。持ち掛けてきたのは真ちゃんだった。初めのうちは楽しくて仕方なかった。一生懸命に取り組めることに出会えた、気がしていた。周りのことなんか見えないくらいに。見えないから幸せでいられたのだと今は解る。


 二十人にも満たない団体で、主宰のやり方についていけないと退団する者が一ヶ月に少なくとも一人は出た。すぐに人員は補充されるが、次第に減ってゆく傾向にあった。主宰に気に入られなければ得られるものは無い。重要な役どころなんて、媚びることのできない自分の手には永遠に入りそうもない。いつしか稽古も本番も主宰と取り巻き達の内輪ウケにしか見えなくなっていた。



 通りすがりのような端役を宛がわれる度に、自分は必要とされていないのだという現実が恐怖に変わる。そんなことは今まで生きてきて当たり前だったのに。でもこの世界でなら、努力すれば、長く居れば―――――そのどれもが此処では無関係だった。他団体から客演のオファーが来ることだけが不安を払拭させてくれた。


 入団してから一年が経つ頃、今度は真ちゃんが退団することになった。俺の扱いも顕著に悪くなって、台詞も出番も短く名前も無いような役しか回ってこなくなる。真ちゃんはそうなることまで予想していたのだろう。


「渉のこと引っ張り込んでおいて悪いとは思ってるの」そう申し訳なさそうに言った。だから一年は我慢してくれてたんだろ。俺は引きめたんだっけな。


「誰もついて行ってるわけじゃねえだろ」というのは別に真ちゃんを安心させる為に出てきた言葉ではない。残っている誰もがいるだけだ。何処へいってもやっていける奴なんか周りを見ても何処にもいなかった。俺だってそうだ。追い腹を切る選択肢だってあったのに、そうしなかったのが何よりの証だ。俺が在籍していたのは二年にも満たなかった。



 冷めた目で地獄絵図を眺めていた気がする。解散の表明に際して女優たちは嗚咽しながら意見を言った。どうしても解散してしまうのか、というようなことを口々に。嫌だ、即ち困ると。そうだろう。此処から放り出されたら女優を名乗ることなんかできなくなる。喪失感も、それを嘆いて何処かにぶつけたい気持ちも理解できた。でも共感はできなかった。



 それらの恨み言をぶった斬るように「全員に魅力が無いといけないんだ」と声を荒げた人物が在った。立ち上げ初期から在籍しているという男だ。


 団体として存続するには人気が出なければならない。個人が各々で人を惹きつけるものを持っている必要があるのだ。それを持っている奴が誰か一人でも此処にいるか。



 憤りを隠そうともせず強い語調で話すなんて、彼にしては珍しかった。昼食には食パンを一斤。何も塗らずに食べるようなとっつきにくい奴ではあったが、揉め事が始まれば間に入り無言で制するような、それができる男だった。奇を衒ったキャラクターで変人を装うことも多かった裏では殺陣を習ったりワークショップに通ったりと、ひけらかさぬ努力を重ねているのを知っている。実力も経験も其処では誰よりあっただろう。それはしかし残念ながら、小さな団体の中での話に限る。狭い狭い世界でのことだ。


 それでも彼は今此処に居る誰よりも広い世界を見ていた。それ故に努力だけではどうしようもないのだという悲痛な叫びは説得力を帯びて全員に突き付けられる。肝要である、彼の求めるような魅力は今この部屋にいる誰からも見つかりそうにないことを残酷なまでに知らしめた。


 さめざめとそれまで泣いていた女たちも目が覚めたのか黙り込む。思い出せよ、俺らなんか掃いて捨てるような有象無象の集まりだ。駅前でビラを配って何十人かに一人くらいから公演に関心を持ってもらえれば御の字という程度の。

 ただ、そうでない団体がどのくらいあるだろう。



 もはや存続することに意味があるとも思えなかった。主宰は英断を下したのだと言えよう。


 翌日にはホームページも削除され何もかもが白紙になっていた。そんな時ばかり素早いという虚しさは渇いた笑いに似ていると思った。誰の心に留まることも無く、もう思い出されることもないだろう。あの稽古の日々も観客で起こった笑い声も微かな歓声も全て無かったことになった。



 ―――――失意だ。


 失意である。それだけがほんの少しだけ焼け残ってすぐに消え去った。










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