デタラメな地球儀
「お母さんは先週から施設で世話になってるんだ」
「―――――なんで」
「―――デイサービスみたいなとこ?の、延長?」
言ってはみたもののデイサービスも詳しく知らない。勉強不足のところに予想していない展開が次々と出てくるから呆気に取られるしかなかった。スプーンの先からポテトサラダがずり落ちそうになって、慌てて口で迎えに行く。指を折られてから以前よりも輪をかけて不器用になった。字もヘタクソだし、お箸の持ち方なんて最悪だ。
渉くんがマグカップを宙ぶらりんで傾けている。そのまま動かないから
********************
「お母さんの実家に行くんだ」
お母さんの出身地って聞いたことあったっけ?富士登山以外でいっちゃんが何処か地方へ出かけた話を今までに聞いたことはあっただろうか。
だめだ、好きな洋楽が流れてくる。くだらない話の途中なら人を黙らせてでも聴くけれど今はそうではない。
「お母さんの妹が一緒に住まないかって言ってくれてるから」
「―――——お母さんの実家って?」
「―――——何処だよ?」
「――四国」
四国って何処にあるんだろう。県が四つあるのは知ってる。九州は本当は県が九つも無いと聞いてから、最近まで何年も
「ここからここまで暗記してきたら60点あげる」という地理のテストで6点も取れなかったことがある。担任の先生に呼ばれたから職員室に行ったものの、先生も私も黙り込むこと五分間という地獄を過ごした。夏休みの宿題を提出しなかった為に校内放送で呼び出された時よりも気まずい時間だった。
「なんだそのハイレベルな話」
「蕗どうやって六大の法学部に入ったの?」
「一か八か数学」
先生がそうしろって言ったんだもん。さもなくば理系の大学に行けって言われた。どうよ?さもなくばって。
本当は調理師とかの学校に行きたかった。美味しいご飯が食べられればそれで良かったのに。あとは化学が得意だったから、漢方の勉強がしたいと漠然と曖昧に考えていた。だけど漠然でも曖昧でもいけない時が訪れるのだ、生きていれば。
「
渉くんは鼻で笑うけれど私だって何も対処しなかったわけではない。先生もそこを理解してくれていたからあんなに気まずかったんだと思う。努力したってできないものはできない。
「胸を張って言うな」
「あー、だから方向音痴なのか」
「もうやめて、地理の話は」
あーっ!あーっっ!声を出して耳を何度も塞いで開いてすぐに飽きた。これでは地理の話だけでなく二人の会話も聞こえない。玉子が美味しいとか言ってるだけの内容であってほしい。なのに、そんな話はしていなかった。
四国へ行っても、いっちゃんは仕事の心配は無いのだそうだ。
「母さんの実家が本屋さんやっててさ、教科書とか卸してる代理店の。俺もよく知らねえんだけど」
「ああ、本屋の」
「代理店な、うん」
本屋の代理店、何ぞや。私と渉くんの反応は微妙なものになった。よくわからないという点は共有できたように思う。あとから調べたら教科書やドリルを扱う店のことらしく、地域に学校が存在する限りは安泰そうだ。四国は水が綺麗だから食べ物も美味しいんだって。
「―――――みかん県?うどん県?」
「あと二つはよ?」
「いつ行くんだよ?」
生まれるよりもうんと昔に流行った音楽が店内を流れてゆく。ざわめきが一層、私たちの沈黙を照らし出した。まだ一つ季節が先の歌。知りたいのは
「みかん県。年明けたら。」
「―――――すぐじゃねえかよ」
「―――—――――うん」
また沈黙が訪れたのは、いっちゃんが無理して笑ったからだ。彼ならもっと上手く笑えるはずなのに。どうしようもない事態なのだという絶望が伝わってきて、それに圧倒されてしまって何て言えばいいのかわかんない。どうしてそうもぎこちない笑顔になったのか、いっそ笑わないでいてくれたなら。知りたいことは一番聞きたくない言葉なのではないか。嫌だよ。
あんた役者だろ。いつまでも
恋人が去る駅のホームで春先にちらつく雪を見る、そんなフォークソングが聴こえる。耳を傾ている人が多いのだろうか。店内がさっきよりも少し静かに感じた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます