見目麗しきグラトニー①
本当はずっと断っていた。舞台に出るなんて金のかかることできっこない。友達なんかいないからチケットなんて捌ける気がしないし、バイトを何日も休まなければならない。そんなことより興味が無かった。やっとのことで生活しているのだ。何ひとつ大袈裟なことは言ってない、言葉の通り生きているだけで精一杯だった。
お金持ちの家に生まれたかったとまでは言わないが、人並みの家に生まれたかった。母があんなにも惚れっぽくて、すぐに男に捨てられてしまうのはどうにかならないものか。どうして俺のことなんか生んだ。ずっとそう思いながら生きてきた。
高校二年生になる直前、母が新しい男を作って遂に家を出ると言った時は肩の荷が下りたような気持ちになった。退学することになったこともちょうど良いと思った。身の丈に合っている。これでやっと身の丈に合う生活になる。最小限の荷物だけを持って、母が家財道具を取りに戻って来るよりも早くアパートを出た。
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苦労したといえば、働こうにも賃金が低いことだ。18歳未満では車の免許も無いし就ける職種は限られる。だから夕方からは皿を洗いながら、住む場所を確保する為に住み込みで新聞配達をするしかなかった。自転車は練習したらその日の内に乗れるようになった。
今考えても、高校生になってすぐ中華料理屋で皿洗いのバイトを始めたのは悪くない選択だった。我ながら先見の明があったのだと思う。同級生たちよりも早く親元を発つのは予想していたから、それほど慌てることも無く対処できた。
食費を浮かせる為に飲食店のバイトを選ぶことが多かったかな。部屋を借りられるようになって少しして新聞配達は辞めた。皿洗いは厨房の見習いをさせてもらえるようになって、掛け持ちでデパ地下のバイトを始めた。遊ぶ時間なんて無かったけれど生活は安定し始めていた。ただ、母も相変わらずだった。
高校を中退して一年ほど経った頃、デパートの休憩所で知り合った派手な女からバーでバイトをしないかと持ち掛けられた。なんとなく面接に行くと、まだ十八歳にはなっていなかったけれどオーナーが気に入ってくれてその場で採用が決まった。給料は今までで一番良い。中華屋の見習いを辞めるまで一ヶ月待ってもらい、バーテンダーのバイトを始めることにした。
そのバーに客として来ていたのが修ちゃんだ。コンスタントに仕事があるわけではなかっただけで、モデルっていう肩書に嘘はない。そこはまあ、エキストラに産毛が生えたみたいなものだと考えてほしい。
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