天井のブルース
珍しく酒なんて飲んだから起きるのが辛かった。そうも言ってられず無理やり起きて予定通り冷蔵庫の肉まんを電子レンジで温める。一階に降りるとまだ部屋が寒かった。ここのところ毎朝、今までは温めてもらっていたのだという事実を痛感する。それがこの瞬間だった。
ポットのお湯を沸騰させて粉末のコンソメスープで肉まんを流し込んだ。体が温まって脳に血液が巡る感覚に、なんとか自活はできているという自負と喜びを微かに感じる。健康生活には程遠いけれど。
今日は昼の公演に事務所の関係者と、夜には友人が何人か来ることになっていた。昨日よりも良い芝居をするだけだ。そう思うのに、それでは昨日観に来てくれた人に申し訳ないという気持ちにもなる。俺は役者に向いていないのかな。もういっそ、誰かきっぱりとおまえには才能なんか無いのだと突き付けてくれたらどんなに楽だろう。誰も返事をしない玄関に向かって「いってきます」と呟き鍵をかける。公演は今日と明日であと4回残っている。
********************
蕗にもらったモナカをお母さんは憶えていた。
本当に嬉しそうに「これ美味しいんだよね」とニコニコしながら勝手知ったる手付きで組み立てて「はい、いっちゃん」と差し出してきた。
「ごめんね、朝ごはん食べてないんでしょ?」
「―――――食べたよ。毎朝ちゃんと食べてるから」
「観に行けなくてごめんね」なんて言うから泣いてしまいそうになる。これ以上、追加の「ごめんね」を聞くのは
モナカに口の中の水分を持っていかれたからスーパーに寄ってお茶を買って、2リットルのペットボトルを駅のホームで三分の一くらい夢中で飲んだ。飲み込むのに見上げた先は鉄パイプが張り巡らされただけの天井だった。空なんて見えない。無表情で見下ろしてくる天井には錆びが目立った。
********************
夜の公演が終わり観客席へ出て目を疑った。思い描いていた観客に混じって渉くんと蕗がいる。コートのポケットに手を突っ込んで鼻先を赤くして、何食わぬ顔で共通の知り合いたちと立ち話をしていた。夢でも見ているんだろうか、それとも昨日のことが夢だったのだろうか。
一緒にいるのは真ちゃんと彼氏さんと、もう一人は修ちゃんという男だ。バーで働いていた渉くんをスカウトしてきた、その三年後に今度はサークルで大道具を担当していた女子大生を発掘してきた男。モデル部門であったが事務所の先輩にあたる人で、何度か同じ舞台に出たことがある。彼はとっくに事務所を辞めているが交流はなんとなく残っていた。問題はあるが悪い人間ではない・・・いや、人間は悪くないという方が近いだろうか。
五人には御礼を伝えて少し立ち話に加わった。修ちゃんも一緒に三人は早々に帰って行った。真ちゃんの彼氏さんは役者だったわけでもないし、俺たちとは顔見知り程度だから所在ない思いをさせない為に長居を避けたのだろうと思う。昨日の話を思い出しながら、二人は思った以上に幸せそうに見えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます