レジェンドな木刀

 蕗には以前よく、お母さんのことで話を聞いてもらった。俺があまり家に居られないことを気にかけてくれていた。心配してくれたのは蕗だけじゃなくて渉くんもだ。二人は特に親身になってくれていたと思う。





 何年か前によく二人で遊んでいた頃の、その少し前。蕗は以前勤めていた会社で退職願を出したが受理されなかった。



「出社しなくて良いから辞めないで欲しい」とのことで、会社のホームページの更新や伝票整理を家に居ながらやっていたから時間を作ることは可能だという話だった。


「お母さんにごはん作りに行こうか?」と提案してくれたのでお言葉に甘えてしまったりした。俺が家を空ける時間は昔から付き合いのある近所の森田さんがお母さんを看てくれていたから、それはそれは嬉しい申し出だった。少しでも負担を分散できるのなら自分の後ろめたさも軽減されるようで有難い。ずるいのはわかっていた。それはそれで後ろめたかった。


 家が近いわけではないから時々ではあったが、蕗は電車を乗り継いでお母さんに手作りの総菜を届けにきてくれた。俺は彼女にフラレたばかりで、「混乱させるといけないから」と蕗はお母さんに姿を見せることはしなかった。だから届けてもらったものは森田さんに渡していたのだけれど、いつの間にか俺の仲介無しで森田さんとやり取りするようになっていたようだ。どうも蕗は、うんと年上の女性から気に入られる傾向にある。




 ********************




 初めて会った時から、蕗は明るいのに何処か不安そうに見えた。明るく振舞っているのではなく、きっと明るいのは間違いないのだ。本人は何も言わないが蕗には根深そうな陰を感じていた。同じように付き合っていてもそれに気が付かない人だって勿論いただろう。表には出さず上手く隠していた。


 蕗はお母さんにしてくれたみたいに人に尽くしてしまうところがあった。そこに付け込む人間だっているかもしれない。




「俺が話しようか?」



 いつだったか聞いてみたことがある。


 指に包帯が巻かれているのを見て自分がしかめっツラになるのを止められなかった。あれは明らかに折れていた。ろくでもない男が一緒に住んでいる――――正確には蕗の家に住み着いているという噂を聞いたことがあった。怖くて離れられないのではないかと。


 脈絡は無かったけれど何のことだかは察したみたいで、蕗は小さく「はっ」と息を漏らして首を横に振った。触れない方が良かったのだろうか。知られたくないから黙っていたことだったとしたら――――――




「いっちゃんありがとう。でも大丈夫だよ。もったいないから」

「何がだよ」




 どういうことだよ。聞いたことねえよ。でもちょっと笑ってしまった。



 なんとかする。そう呟いた蕗は俯き加減で目を合わせてくれなかったけれど、表情が明るくなったような気がした。そうであってほしいという願望が見せた幻かもしれないけど。


 こちらから聞き出すようなつもりはなかった。相談してくれた時は全力で手を貸すまでだ。




「でも、ここ一発の時はお願い」

「―――わかった。真ちゃんとか連れてくるよ」



 俺がそう言うと蕗は一瞬考えた後で盛大に吹き出した。それから二人で大笑いした。




「怖すぎる」

「怖いだろ」

「ウケんね」




 真一お姉さんは蕗が危機ピンチだと知れば、切っ先の染まった木刀をたずさえて助太刀に現れるだろう。目を血走らせ手の甲に筋を見せながら「柿を剥いた時に色が付着してしまっただけよ~ぅ」と本人が言い張る伝説の木刀を握りしめて。




 ********************




 蕗と最後に会ったのは、派遣された養成所のある四谷付近でだった。昼にコンビニへ出かける途中で蕗を見かけた。何人かの同僚らしき人に囲まれて楽しそうにしていた。見かけたことを連絡してみると、転職して初出勤した日だったらしい。あのコミュ力の高さは何なんだ。


 ここ一発は来なくて済んだのかな。そう思って安心したっけ。役に立てなかったことが寂しいと今でも少しだけ思っている。










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