追憶とモナカ
電車で眠ってしまったのは勿論眠くて
よく眠れた満足感はあるが、もっと話がしたかったと思うと悔やまれる。しかも蕗は自分が降りる駅から二駅も乗り越して俺の降りる駅で起こしてくれた。それから反対側のホームで上り電車に乗って帰って行った。
スーパーに寄っておこうかな、という考えは冷蔵庫の中と明日のタイムテーブルを思い浮かべるとすぐに立ち消えた。明日の朝は肉まんを温めればいい。スーパーの前を通り過ぎて家路を急いだ。蕗の気遣いを無駄にしてはならない。早く寝るんだ、明日も早いぞ。
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寝る前に明日の準備をしておこうと思った。風呂が沸くのに異常に時間がかかったから、その間にやっておけば良かった。今日少し変更があったから台本に目を通して、忘れないように再びバッグにしまう。配られた差し入れはテーブルの上に出した。財布は落としてない、Suicaはチャージしてある。
「あっ」
自分一人しかいない一軒家に、自分の声が一瞬だけ響いてすぐに静けさが戻る。柱時計も機能しなくなって久しい。聞こえるのは待機電力の音くらいだった。お母さんが近所の介護サービス施設に入居してから明日で一週間経つ。
「これ、お母さんにね」
「わ、ありがと」
電車を降りてから蕗がくれたのは多分、自分で挟むタイプのモナカかと思われた。
「これマジでやべえから」
そう言って何年か前にももらったことがある。会社でお土産にもらったら美味しかったから取り寄せたんだって言っていた。おもちが入っていて確かに美味しいモナカだった。リハビリがてら無理のない範囲で指を動かした方が良いだろうという、お母さんへの心遣いも感じられた。明日の朝お母さんに持って行ってあげよう。
一緒に電車を降りた時に蕗が渡してくれた紙袋には和菓子屋の店名が印刷されている。こんな風に、よく遊んでいた頃はお菓子と一緒に作り置きの総菜が入った紙袋を渡してくれることが何回かあった。
テレビか何かで紹介されたのを見たのか、瓶詰のサラダが食べたいとお母さんが言ったことがあった。それを話したら蕗が、種類ごとにタッパーで小分けにした野菜を持ってきてくれた。衛生面を危惧したとかで消毒した空っぽの瓶も一緒に、「食う前に詰めなはれ」というメモ付きで。
今日は袋が軽いからモナカだけだと思って油断していた。蕗も外で働いていると言っていたし、お手を煩わせなくて済んだと思っていたのに。
紙袋にはモナカと一緒に陣中見舞いと書かれた熨斗袋が入っていた。きっと今電話をしても出ないか、寝てるから明日にしろと邪険なふりをされるかどっちかだろう。
ため息が出た。自分のことばっかりで情けなくなる。
やっぱりちゃんと話がしたかったな。引っ越したとは言っていたが今どうしているのか。今日会った感じだと前よりも明るくなった気はして少し安心したんだ。陰りが晴れたというべきか、憑き物が落ちたのだろうか。そうであってほしい。蕗のことがずっと心配だった。
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