カレー部のジンクス

 お店に入った時よりも外の気温は下がっている筈なのに、何故かとても温かく感じた。暴走車が迫っていないか左右を確認したら二人も同じ動きをしていて三人でツッコミ合った。笑うたびに吐く息が白いし、風が吹くとやっぱり冷たい。



「二人でカレー食いに行くなよな」

「それはマジで気を付けるよ」

「じゃあ、また」

「ばいばい」

 


 駅の入り口で別れて渉くんと私たちは反対方向に歩き出した。



「渉くんジェラだったね」



 嫉妬ジェラシーだと瞬時には伝わらなかったのか「ジェラ。」と、落とし込むみたいにいっちゃんが呟く。



「自分だけ逆方向だからね。本当はカレー部に参加したいっていうフリじゃないか?」



 じゃあ次に会う時はカレー部にしよう。渉くんは神奈川の方に住んでいる。いっちゃんと私は埼玉方面だから逆方向の電車に乗る。



 もう何年も前。割と大きな地震があった前日、いっちゃんと私は池袋でカレーを食べた。その次に会った時も別の場所でカレーを食べた。「あの次の日、地震怖かったね」なんて話して、その日をどんな風に過ごしたか報告し合った。



 そうしたら


 また翌日に規模の大きめな地震があった。それ以来なんとなくカレー部は休部中ということになっている。



「あれ、蕗の家こっちだっけ?地下鉄じゃなかった?」

「引っ越したの。同じ電車だよ、いっちゃんちより二駅くらい手前」



 そっか、と笑ういっちゃんは心なしか嬉しそうに見えた。お喋り好きだし、電車で眠ってしまっても起こしてもらえると踏んだのかもしれない。いいぞ、任せておけ。さっき飲んでいる時だって会話の途中でうつらうつらする瞬間があった。

 私は引っ越して、趣味で始めた吹奏楽の練習場に通いやすくなった。緩くて楽しいんだという話をしなかったな。でも今は一秒でも長く寝かせてあげたい。




「遠いところ悪かったね」

「何言ってんの?」




 いっちゃんの方が遠いじゃないか。彼のお人好しぶりは昔から不安要素だ。



「でもさ、席まで別々だったっていうし」



 温厚な彼には珍しく顔をしかめる。確かに今日そういうことがあった。制作側の手違いだったんだろう、いっちゃんは一つも悪くない。


 全席指定だとは聞いていたけれど、渉くんと席が離れていることは知らされていなかった。当然隣同士だと思っていたから渉くんは不機嫌になって受付のスタッフさんを少しだけ困らせた。まあ満席なので結局どうすることも叶わず、私は一番前の端の席で、渉くんは後ろの方の列の真ん中ら辺で観劇した。前列に座る女子がお団子ヘアだったそうで渉くんの機嫌が更に悪くなった。だからって、いっちゃんは何も悪くない。




「そんなこと気にしなくていいよ。今日は松葉杖じゃないんだし」



 里見八犬伝は大好きだし殺陣たても期待以上に素晴らしかった。文句なしに面白かった。舞台なんて黙って観るのが当たり前なんだから両隣が他人であったとして何も問題ないけれど、それでも渉くんの気持ちも十分わかる。特にお団子の女子。


 いっちゃんは閉じかけていた目を開いた。寝かせておいてあげたかったのに失敗した。いい気になって喋ってんじゃないよ、私。昨日は小屋入りで朝早かっただろうから睡眠時間も十分に取れているとは思えない。昨日に至るまでだって本番前は気を張っていたことだろう。




「あれは悪かったよ、本当に」

「面白いから大丈夫」




 もう時効だよ。五年も前のことを思い出して「ふふふ」と静かに笑うのは楽しかった。平日だからか電車は空いている。

 いっちゃんは明日だって本番があるのだ。明後日には千秋楽で撤収だ打上だと慌ただしいに決まっている。ちゃんと眠れる時間を確保できるのはいつになるのか。本業を休めるのならいいけれど。


 

「こっちいるんだったらたまには会おう」

「そうだね」



 これからは電車一本で会えるのだ。いっちゃんが指導者になる前はバレンタインも花火も誕生日も一緒に過ごした。お互い暇で楽だった。いっちゃんは私がどんなにたくさん食べても引いたりしない。



 車内の静けさと温かさと揺れに加えて、強くもないお酒なんて飲んだから眠いだろう。そうでない私ですら眠い。



「無理して飲むから」

「楽しかったんだよ」

「寝てなよ、起こしてあげるから」


「うん」



 いっちゃんは素直に眠ってしまった。







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る