束の間のソレアード
「蕗は今何やってんの?」
「その髪色パンチ効いてるね。舞台の上から見ても目立ってた」
いっちゃんが私のホットホットピンクを引っ張る。職場でもインナーカラーを変える度に「これは地毛か」と引っ張られる。
「まだ営業やってんの?」
「この頭で営業は無理だよ。今は弁護士事務所で経理やってる、つーか会ったじゃん。市ヶ谷かどっかで」
「あー会ったよね、どっかで」
紆余曲折あったことは黙っておこう。今日は楽しいだけの日にしたい。
「お待たせしました」と中ジョッキが三つ届く。いただきます、と三人で手を合わせた。改めて乾杯だ。再会に祝福を。
「いっちゃんこの前ドラマ出てたよね」
「一瞬ね」
「なんだよ、一瞬でも出る時は言えよ。次何か決まってるのか?」
「――――いや、しばらくゆっくりするよ。指導だけ」
渉くんが咳ばらいをした。私も喉が渇いている。こんなに喋るのは久しぶりだった。笑うのもだ。
「バク宙はもうしないと思ってた」
指導者側になったんだし。今までの単なる三枚目とは違う、そういう見本となる演技を意識していたようにも感じたから。ビールが染み渡る。喉が潤ったところで私はいっちゃんを労った。
「しちゃったよ。自己アピール」
いっちゃんは小劇場で舞台に出た時、カーテンコールでそういったアクロバティックなパフォーマンスをすることがあった。それはその団体さんとの関係性というか、そこでのいっちゃんがどんな存在であるかを計り知れる機会でもある。宙を舞えば自由にやらせてもらっている証拠だった。虐げられたり疎まれたり、嫌われたりしていないのだと安心したものだ。人当たりの良い彼に限ってそんな心配など必要無いことは判っているのだけれど。いっちゃんを嫌いな人なんかいないだろう。いたら変な人だ。関わっちゃいけない。
「渉くんは舞台とか出ないの?」
「―――――今それどころじゃねえかな」
「まだゲイバーで働いてるんでしょ?」
「ゲイバーではないけどな。やってるよ、バーテンダー」
いっちゃんの方が渉くんよりもお兄さんなのに渉くんと呼ぶし、渉くんは一花と呼び捨てにする。面白い関係だった。
渉くんがメニューを見ながら「そうだ」と何かを思い出した。
「先週くらいに真ちゃんがさ、彼氏さんと来てくれたんだよ。今一緒に住んでるんだって」
「マジで!?」
真一さんは渉くんのいた劇団の先輩にあたる人で、とっても可憐で気配りのできる優しいお姉さんのような
「ひょお、よかったね!!!でも大家さん知ってんのかな?」
「どっちがネコかタチかをか?」
「それは直球すぎるな」
隣のテーブルの人がこの話に耳を傾けているのを感じる。飲食店ではすべきでなかったか、ドン引きしているのかもしれない。会社で話したら周囲はこういう反応になってしまうであろう、控えめにいえば赤裸々な会話ができる二人が私には楽しかった。社会人になってからは「これを言ったら引かれてしまうだろうな」ということを恐れてセーブしながら生きていた。悪目立ちはしたくないし、大人にならなければならない。
「言わねえだろ、大家さんだって知りたくねえよ」
「しかしながらそれによって部屋を貸すかどうかの判断をですね」
「大家さんが腐女子である確率は低いと思っとけ」
「諦めんな蕗、渉くんはゼロだとは言ってない」
真一さんの超絶イケメンな彼氏さんには何度かお会いしたことがある。初めて見た時なんて運命の人かと思ってしまったくらいだ。
「蕗のライバルいつも男じゃん」
「真一回に至っては惨敗だし」
「やめろよ、涙が止まんねえから」
物腰が柔らかくて優しそうだと思っていたらその通りで、しかも話していて楽しい人だった。私は多分だが見る目はあるのだ。選ばれないだけで。
「でも見抜けなかったんだね」
「私のことはいいじゃん。真ちゃんが幸せならいいでしょうよ、どっちがタチでもネコでも」
「それに尽きるよな」
「だから直球には気を付けろって」
あの人はどうしているかという話題が出ることがあっても、それほど詳しい近況なんて誰も知らないものだ。希薄になっていたのか、そもそもがそんな関係だったのか。私自身、気付けば当時の知り合いで会ったりするのはこの二人だけになっていた。それすらも何年かに一回。
舞台に出演する時にだけ連絡を寄越して、わざわざ観に行ってもそれっきり御礼の一言もないような知り合いが何人か思い浮かんだ。そういう間柄と呼ぶのならば、そんな間柄は私の人生には必要が無い。まあ私が相手にとってその程度の人間であったと言われれば、そうですかとしか答えようが無い。
********************
お店を変えずに三人で閉店間際まで居座った。途中、私は笑いすぎたせいか軽い過呼吸に陥りかけた。笑い方を忘れていたのかもしれない。それか今までつまんなかった分、一気にきたか。
散々笑った後、いっちゃんが唐突に言った。
「お母さんがさ」
「―――――うん」
「―――――どうした?」
私と渉くんは神妙に息を飲む。猫背もピョンと伸びる。酔いなんかぶっ飛んだ。
「テレビの上に妖精みたいなのがいるって言うんだよ」
「みたいなの」
「いつ?」
「昨日の朝。そんで俺役者じゃん?ほんとだ、お母さん捕まえてくるねってテレビの上で妖精捕まえんじゃん」
いっちゃんがゴツゴツした両手で妖精を包み込む。
「ほら、お母さん捕まえてきたよって見せるんだけどさ、まだテレビの上にいるって言うんだよ」
「――――――――っは」
お母さん、よかった。お元気そうだ。涙が出てくる。
安心したら想像した光景がシュール過ぎて、私と渉くんは「あっはー」と猿みたいに手を叩いて笑った。嫌だね、酔っ払いって。いっちゃんは嬉しそうだけど不服そうだ。
「どうしてくれんだよ俺の小芝居を」
「大丈夫だ。今めっちゃ報われた」
「うん、報われたよ。アーメン」
いっちゃんのお母さんは急な病気をした後で少し変わった言動をするようになってしまった。私が出会った時には既にそうだった。話で聞く限りではなんか可愛いんだけど、現実的にはそれだけというわけにはいかないだろう。
いっちゃんはそのことで稽古に遅刻してしまうことだってある。苦言や嫌味をいう奴だって少数だけどいた。それも「お母さんいないと何もできないわけ?」なんて的外れで失礼な言葉を使って。
「喋んなブス!黙っとけ!のっぺらぼう!」と噛み付きそうになるのを何度この二人に押さえ付けられたことか。
「よかった、お母さん元気そうで」
「一花ツッコミの腕が鳴るじゃん」
「でもさあ俺ツッコミじゃないじゃない?」
いっちゃんの笑いは万人向けではないかもしれない。狙っていない何気ないエピソードが面白いタイプだ。前の彼女にフラれた時の話なんて、そりゃもう。
いや、そんなことよりも。
私も渉くんも「お母さんは元気?」と聞けないでいたから。前に会ってから時間が少し空きすぎてしまった。だから、いっちゃんの方からお母さんの話を切り出してくれたのは助かった。お母さんが元気でいてくれて本当に良かったと心から思う。
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