幕間のセレナーデ

 3カ月前 12月





「凄いね!いっちゃん、まだバク宙とかできんだね」

「まだって言ってやるなよ。まだ現役だぞ」




 観劇後の興奮冷めやらぬ私をあしらうように―――いや、違うな。そうじゃない。渉くんが明らかに私をあしらった。渉くんはクールなんだ。というか冷めている。・・・うん、一緒か。


 いっちゃんは一昨年、三十歳になる年の春のことだ。所属していた芸能事務所で演技の指導者側になった。役者と兼業しながら既に他の事務所や養成所に派遣されたりもしている、と聞いたのはその年の初めに会った時だ。

 じゃあ年が明けて7月で三十二歳になるのか。




「一昨年って、そんな前かよ?・・つっても俺なんかもっと会ってねえけど」

「初めっつってもバレンタインだよ」



 その前に会ったのは更に前年に行われた葛飾の花火大会だ。いっちゃんは私のことを暇だと思っているみたいでよく誘われた。その年はやたらと会う機会が多かったように思う。




「えっ、付き合」

「ってねえよ。わかってんだろ?」

「・・・そうだよな。あービックリした」

「すんな。考えて!」




 いっちゃんの好きなタイプはずっと年上の女性だった。いつも二回りは上。三つも四つも年下の私をそういう目で見たことは一度も無いはずだ。私だっていっちゃんをそんな目で見てない。それにいっちゃんは花火大会の日、茣蓙ござを用意していた。電車に乗ろうというのに丸めた茣蓙ござを抱えて現れたのだから。いっちゃんの本気を見せつけられたと思った。誰が何と言おうと彼は、花火を楽しむのが目的で葛飾まで赴いたのだ。


 茣蓙まで準備してクーラーボックスを持っていないのは何故かと尋ねると、食料は現地で調達するという答えが返って来た。



「ますます本気じゃねえか。一花いちかそういうとこあるよな」

「うん、ある」

 


 変なところに拘るっていうか。もっと気にすべきことには無頓着だったりするのに。

 それは例えば「今の怒っていいところだよ!?」という時とか。




「俺は前に三人で上野で飲んだ時以来だな」



 渉くんが細い首をゴキゴキ鳴らす。そういうのは良くないんだって医療従事者の妹が言ってた。なんで良くないのかは説明されたけれど知らない。

 渉くんの言う、品川で飲んだ日は楽しかった。帰りに駅まで向かう途中、というかお店を出てすぐに三人まとめて暴走車に轢かれそうになった。ギャーッ!と叫んで怒った後で爆笑したのを思い出す。


 それはいつだっただろう。楽しかったのは憶えているのに。



 いっちゃんはまだ到着していないけれど、とりあえず渉くんと二人で中ジョッキをぶつけ合い再会を祝うことにする。ドリンクを頼まないのではお店に申し訳ないし早く飲みたいし。上野駅近くの焼肉屋さんは平日だからか混んではいなかった。




「でもその後にまた偶然いっちゃんと会ったんだよね」


「偶然って何処で会ったんだよ。運命デスティーノか?」

「待って、思い出す。運命ではない」


 待てトランキーロ


 お店に着くまで寒さでブルブル震えていたというのに、ジョッキまでキンキンに冷えたビールが美味しい。


 いっちゃんとの偶然の再会を思い出した。一昨年の今くらい、十二月だった。転職して今の職場に初出勤した日。午後に一息ついた時スマホを見たら、お昼休みの時間に職場の近くで私を見かけたのだと連絡をもらっていた。その日の夕方に待ち合わせて晩御飯を一緒に食べた。カレーじゃない何か。


 その頃にはいっちゃんは多分忙しかったから、遊びに行こうと誘われることは無くなっていた。私も落ち着かない日々を送っていたのだと思う。いっちゃんに会ったのはそれが最後だ。




 ********************



 いっちゃんは講師の仕事で一ヶ月に何回か四谷へも来るらしい。会社が近くだから時々会おうね、なんて言ってると会わないものだ。




「まあ、そういうもんかもな」




 渉くんのバイト先には、ずっと前いっちゃんと二人で飲みに行ったことがあるけどバーテンダーがとても板についていた。ちゃんと働いてるんだね、と二人で囁き合った。


 何年かぶりに会う渉くんは少しだけ落ち着いたように見える。たぶん昔がチャラすぎたせいもある。中性的な顔が綺麗で男女問わず人が寄って来て、慣れているのか適当にあしらうのが上手い。人たらしのくせに人間関係を面倒くさがる面倒くさい人だった。その距離感が私にはちょうどよかったんだけど。いっちゃんが三十二歳なら渉くんは三十歳か。じゃあ私は三月に二十八歳になる。




「そうだ蕗、お母さんのこと何か聞いてるか?」

「やだ、聞いてないよ。どうしたの?何か、」

「いや俺も知らないから、どうしてんのかなって」



 カラン、という扉の開く音と店員さんの「いらっしゃいませ」が聞こえる。同時に外から冷たい風が入ってきた。店に入って来た人が待ち合わせだと説明している。いっちゃんは役者だから声がよく通った。しかも本番直後で喉もあったまっている。




「お。来た来た、主役」

「どんな嫌味だよ」

「そんな意味で言ったわけねえだろ」

「渉くん鬼すぎる。わたおに」



 全然上手くねえからな。と言って渉くんは鼻を「フンッ」と鳴らした。笑ってんじゃん。

 



 ******************




「一花が舞台に出るっていうから一緒に観に行かないか」



 渉くんから誘いがあった時には楽しい予感しかしなかった。いっちゃんからその舞台の御案内は来ていたから、私は観に行こうと決めて既に会社にも休みをもらってあった。渉くんもその日はバイトがあるから一緒に観に行くのはその回の前日の夜公演ソワレに決まった。それが今日だ。



「終わったら飲みに行こうぜ。一花も来れるって」

 



 思わず「わあっ」と声が出る。私はこの日を楽しみに、というよりは、この日だけを楽しみに生きてきた。

 オレンジ色のダウンを着たいっちゃんが女性店員さんの後ろをヘラヘラ笑いながら歩いてくる。本人はヘラヘラしているつもりはないんだろうけど。



「ああいう顔なんだよね」

「膝みてえな顔してんな」

「足の裏よりはいいでしょ」

「いいのか?」



 いいのかな?わからない。でもどっちにもきっと良いところがある。



「お待たせ、お待たせ」



 案内してくれた店員さんに生ビールを3つ注文して、一緒に肉を頼んだ。焼くための生肉。

 いっちゃんが椅子に座る前から軟骨から揚げを一握り口に放り込んでいる。よほどお腹が空いているんだろう。おしぼりで手を拭く順番タイミングがおかしい。



「座って食べなさい」

「今座ろうと思ったのに」


 


 二人と出会ったのは私が大学の演劇部で大道具をやっていた時。四年生になる春の、もう引退する間際で急にオファーが舞い込んだ。忌まわしいから経緯は忘れた。彼らもそれぞれ別の団体で活動していて、いっちゃんは現在の事務所で、渉くんは消滅して今はもう存在しない劇団にいた。






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