カーテンコール

茅花

舞台袖のメランコリー


 エレキギターの生音が十代の頃みたいに胸を抉る。チューニングが始まってしまった。



 箱側の気遣いで「よかったら」と置かれた目の前のモニターは、三十分後の開場時間がきたらエントランスの昇降口に移動される。出演者による今日までのダイジェスト映像がエンドレスで流されていた。見知った者の出て来ない、はっきり言って興味の無いその映像をもう何十周も見ているが、頭になんか入ってこないから暇つぶしにはなる。



 一時間以上も前から地下のライブハウスでパイプ椅子に座っていた。座っている以外にできることが無いから身動きも取らず、これ以上は無理というくらい安静にしている・・・筈なのに、快方に向かう気配が見られない。なんなら悪化してないか?体の震えとおかしな汗が止まらず、つま先で発生した熱が体中に広がってきているように感じていた。寒いのか暑いのかわからない。頭のてっぺんまでボウッとする。


 耐えろ、今日これが終わらない限りは病院に行かないと決めたのは俺自身だ。逆に病院へ行こうと決めている自分に驚いている。そのくらい緊急事態。




ワタルくん大丈夫なの?」



 さっきからフキが足元でしゃがみ込んでいる。市販の鎮痛剤とペットボトルの水と、あとなんか冷えるやつを持って集合時間よりもだいぶ早くから駆け付けてくれた。病院行けよ、なんて蕗は言わない。




「イテエよ」



 思わず出てしまった舌打ちに蕗が真顔になる。違うんだ、蕗に向かってしたわけじゃないんだ、そんなことするわけ――――――




「何キレてんの」

「あ、いや」





 これはマズい。マズいぞ、面倒くさいことになる。脂汗に加えて冷や汗も浮き出る。これでは風邪をひくかもしれないという不安まで込み上げてきた。冗談じゃねえぞ。そんなにバイト休めねえんだよ、死活問題だ。




「心配してるのに」


 


 悪かったよ、と口に出すのは簡単だった。でも口先の謝罪が事態を悪化させる可能性は極めて高い。オンナに向かっては殊更に。しかも相手は蕗だ。更に悪いことに彼女も今、極限に近い状態で普段より判断能力が低下していると思われた。



 ただでさえ泣きたいのに、親身に接してくれていた蕗の顔から表情を消してしまうという大失態。自らのあやまちではあるが、これは一大事コトですよ。彼女を知る者ならどんなお調子者でも「やっちまったな」と冷やかすことすらも憚られる。だって蕗の真顔は怖い。

 

 抑揚が無くなっても喋ってくれているうちは良い。これが黙ってしまったら第二形態、蓄積されていた怒りを理路整然と放出するのが第三形態。蕗はとても静かに怒る。獄卒が如く冷徹に、しかし静かに。逃げ道なんて全部塞ぐのは、そこに至るまでは目を瞑っていたという事実を突き付ける過程に過ぎない。限界を踏み越えた者に容赦など不要なのである。


 基本的には穏かでにこやかで朗らかな蕗が氷のように冷たい表情を浮かべたのを、いつだったか一度だけ見たことがあるんだ。誰に向けてだったかも憶えていない。あのバッチバチに乾燥した氷点下の雰囲気を思い出したくないのは俺だけではない筈だった。それ故にか、最終形態まで見たことのある者は俺の身近にはいない。





「・・・・・しょうがねえだろ、今んなって代役なんて立てられるかよ」




 しょうがないだなんて自分の正当性を主張してしまったように自分でも聞こえて、眩暈がする。でも蕗は答えてくれた。




「・・・・・・・・・・立ってやるぞ?」

「・・・・・・・」




――――――そう言って欲しい気持ちがなかったわけではない。


 というより本当は、飛び付きたいような有難い申し出だった。そうしてもらった方が絶対に良いに決まっている。今日観に来るような奴らなんか飛び上がって喜ぶだろう。蕗は天才だった。彼女が同性でなくて良かったとこぼす役者を何人も知っていた。俺もその一人だ。

 


 蕗の顔には並々ならぬ覚悟が窺える。



 だからダメだ。




「させるかよ」




 蕗の覚悟に安堵が浮かび上がった。ように見えたのは希望的観測で、脳がそう見せただけの幻かもしれない。誰も見たことの無い怒りの向こう側に送り出してしまった可能性も低くはない。


 なんで



 なんでこのスーツ、こんなに線香臭いんだよ。それは前回着用したのが葬式の時だったからだ。いつだったかは思い出せない。いつだっけなんて考えるような、そんな心境でも状況でもない。どうでもいい。ほらクリーニングに出しておかないから。だから今、それどころではないんだって。落ち着けよ俺。



 今ここに答えは一つしか無いんだから。




「俺が出る」 




 蕗の猫みたいな顔が満面に緩むから、それを見て今度こそホッとする。さっき真顔になるまでだって随分と張り詰めていた。責任感と―――――――


 本当は絶対にやりたくないけれど、仕方が無いなら、自分が出るしかないというのなら、どうしてもそれ以外に方法が無いのなら、私が出る。そんな顔をしていた。本意ではないんだろうが顔に出すのが上手いんだ。嫉妬するくらい。




「すんませぇん、モニターいいっすかぁ?」

「はぁい。お願いしまぁす。ありがとうございましたあ」



 もう時間か。モニターを回収しに来たスタッフには蕗が愛想よく対応してくれた。

 ああ、そういえば営業やってたんだっけ。きつかっただろうな。絶望的に向いてない。

 




「渉くん、わかるよ。怪我した時って“イテェ”よりも“やべえ、どうしよう”ってなるじゃん」

「それなんだ、マジで」

「いいよ、無理して喋んな」




 さすが。


 さすがだ。よくわかっている。かつて、ひととき相棒だった者よ。




「大丈夫だ。大丈ばせるよ」




 自分に言い聞かせるように威勢よく放った言葉とは裏腹に、背もたれに体重をかけながら、そうっと椅子から立ち上がる。振動が響かないように。昨日も一昨日も痛くて眠れなかった。やっと眠れても寝返りを打つと痛くてビックリして起きた。少しでも動くと、折れたと思しき、でもどの指だか判別できない足に息が止まるくらいの激痛が走る。ライブハウスが貸してくれた小道具の松葉杖には慣れるまで時間がかかりそうだ。でもあると楽。


 蕗も支えようとしてくれて両手を差し出してくるから、二人で顔を見合わせて「ひゃっはー」と思い出し笑いをする。こんなことが前にもあったよな。あの時は逆だった。


 

 見てろよ、俺だって。




「やってやらぁ!」


「よっしゃぁ!行ってこい!」


「応!」




 桜木と流川がやるみたいなローファイブを交わす。俺が流川ってわけじゃないけど桜木は絶対に蕗だ。バチンッと景気の良い音が響いた。こんなシーンも昔あった。急にアドリブをかまして来た蕗に応えられたのが嬉しくて誇らしかった。



 あの頃が最高に楽しかったな。俺にとっては黄金時代で、あれは人生のハイライトだった。










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