第11話 尾緒神くんと私の関係

 尾緒神は、まだ彼の掃除場所にいた。少人数教室の前で、生徒会長と何やら話しをしている。廊下の角を曲がったところで、私はそれを遠巻きに見ていた。何を話しているのかは気になるところだが、あの間に入っていって尾緒神を連れ出すほどの勇気が今の私には無かった。影になるところで背中を預け、尾緒神の用事が終わるのを待つ。

 待っているその間に、私の足はどんどんと地面に縛り付けられていくようで。勇気がすり減ってしまっているような気がしていた。


 3回目くらいの時だったと思う。私が様子を伺うように彼らを覗くと、尾緒神が私に気が付いた。彼が私に視線を送ると、生徒会長が何かを警戒するように睨みを効かせながら此方を振り向く。目が合ったので、隠れることを止めて仕方なく前へ出てお辞儀をすると、会長は優しく微笑んだ。

 会長は、尾緒神に何かを言い残すと、そのまま此方の方へと歩いてくる。

「期待しているよ」

 私の隣を通り過ぎるとき、会長は確かにそう呟いた。

 私は黙ってそれを見送った。今は、その言葉がどういう意味かなんてどうでもいい。


 ここまで来たって言うのに、私の足が動くことはない。尾緒神を前にして、私は再び恐怖に襲われる。もうどうでもいいと割り切ろうとしても、割り切れない鎖に繋がれてしまっている。

「思っていたより遅かったな。俺はてっきり、今回も掃除中に俺が見えるところで待ってくれているものだと思っていた」

 尾緒神の足が私の視界に入ってくる。私は顔を上げられない。

「なにそれ、恋人でもないんだし。そんなこと、毎回はしないよ」

「恋人なら、俺は掃除をさぼって帰っている」

「はは、何だそれ」

「……。こんなことを言うのもなんだが、俺は人に好かれることが怖いんだ」

 突拍子もないことを言われる。私が顔を上げると、尾緒神は窓の外を見ていた。その瞳は、私と同じ様に暗い。

「まあ、そんなことはどうだっていい。それより、やるんだろ?鍵を盗んだ真犯人の捜索」

 尾緒神はなんでもなかったかのように淡々と話を続ける。私は、何も言うことが出来ずにいた。俯いて、ただそこに立っている。口が、動かない。

「赤堂さん?どうかしたのか」

「……。」

 ああ。そういえばと、尾緒神は口にする。その言葉は、私に重くのし掛かる。

「休み時間の時に、噂の将河辺さんとやらに会った」

 尾緒神は、それを隠すことはなかった。自分から話題に出してくれた。

 緊張で、ぎゅっとスカートを掴む。心臓がばくばくして、次の言葉を逃さまいと聴覚が勝手に研ぎ澄まされていく。そして、裏切られた時のためにと彼から逃げ出す為の言葉が頭の中に沢山浮かび出す。

「なあ、赤堂」

 ドキリとした。なんだかんだで、私はこの時初めて尾緒神に呼び捨てにされた。普段はさん付けだからか、心理的な距離を一気に詰められたような気がした。心臓に何かを突き刺されたような気がした。心地よいような、そうでないような。不思議な思いだった。

 その、いつもより低い尾緒神の声は、なんだか怒っているようでもあり、私の心に何かを訴えかけて来ているようでもあった。彼はゆっくりと歩みを進め、私とすれ違って背後に立つ。顔は見えない。彼はただ、声の圧だけで私に問う。


「灯火は、まだ消えていないか」

 同情も、哀れみも、下心もなかった。それは、私が好きな作品で使われた、私の大好きな言葉。つまりは、私には通じる言葉セリフ。彼はただ、まだ戦えるかと私に問い掛ける。怯える私に、逃げるのなら逃げればいいと突き放している。ここで私が無理だと言ったら、立ち向かう為の、反逆の火が消えてしまったといえば。私の視界にいない彼は、きっとこのまま消えてしまうだろう。彼はきっと、自分が信じて貰えるかどうかなんてどうだっていい。私が尾緒神を信じられなければ、それはそれでいいと私を切り捨てしまえる。尾緒神は多分、そういう人だ。

 でも、だからこそ、こいつは私に対して気持ちの悪い下心を抱いていないと思える。簡単に切り捨てられるということは、変に固執されている訳でもないのだ。

 彼は、そういう目で私を見ていない。側に居たいのなら勝手にすればいい。私が屋上に行くようになって、近くでいても何も言わなかった時に思ったことだ。来る者拒まず、去る者追わず。尾緒神は基本、そういう姿勢だ。私が自分の意志で尾緒神から離れる分には、未練なんて残らなさなそうである。

 ここで私が逃げたら。多分、私はもう彼の隣には立てなくなる。

 そうすれば私は、ただ救済を享受するだけの、戦場には立てない被害者になることになる。それが悪いことだとは言わない。時には、誰かにただ助けて貰うだけのことだって必要だ。

 でも、今の私がそうなりたいかと聞かれれば、たぶん違う。

 私がなりたいテレビの中のヒーローは、絶対に諦めたりしない。同じ台詞を言われた画面の中のヒーローは、歯を食いしばって立ち上がった。俺はまだ、戦えるぞと。


 そうだ。

 私の目指すヒーローは、こんなところで立ち止まっちゃいけない。


 紅いマフラーを握る。春も、夏も、秋も、冬も。一年中私が付けている、勇気の御守り。私にとっての、私がヒーローである証。

 振り返る。手は震えている。自分が今、どんな顔をしているか分からない。きっと複雑な顔をしている。けれど、どんなに酷い顔だったとしても、ここで顔を上げなければいけないと思った。

 尾緒神は、ただ突き放しているだけではない。逃げるなら逃げればいい。彼の振る舞いがそう語っていることは確かだろう。だが、それだけじゃない。尾緒神は私にこうも伝えている。


 だが立ち上がるというのなら。

 その時は、一緒に戦うと。


 大切に守り続けて来た、心の灯火か無理矢理に燃え上がらされる。

 私は、後ろに立った彼に背中を預けた。

「当然だろ。バカ野郎」

 立ち上がれ。失敗を恐れるな。裏切りを恐れるな。私は、私だ。

 私が好きな画面の中のヒーローなら、裏切られるかもしれなくても、きっと人を信じることを止めはしない。私も、そんな人間になりたい。強く、ありたい。

 背中がぞわりとした。尾緒神は、酷く冷めた目で私を見ていたのだ。私の答えを聞いて、彼は「そうか」とだけ言って前を向く。尾緒神の背中からは、強さのある1人ぼっちが持つ独特な雰囲気が発せられていた。孤高の虎という言葉が、まさしく似合っていると思う。でもそれは、ただ素晴らしいものでもなく、寂しさや哀愁もあった。

 いつか私も、彼に私を頼らせてやりたい。対等な友達として、隣に立ちたい。


「眠い」

 そんな異質な空気も、その言葉1つでぴしゃりと途切れてしまった。

 私の方に振り向いた尾緒神は、いつもの気怠げな様子で人畜無害なさまに戻っている。

 こいつに私の人生を預けてもいいのかと、心配になるような気の抜けた顔だ。

「うーん。なんか悪いな、眠くていつもの調子が出なくて。ちょっと冷たかったか?」

 頭をぽりぽりと掻きながらそう言われる。これは、尾緒神なりの謝罪なのかもしれない。でも、その必要はない。そんな尾緒神が、私の心に火を付けたのだから。

 私は尾緖神の背中から離れ、彼の顔がよく見える位置へと周る。

 そんなことより

「なあ、尾緒神」

「ん、なんだ」

「お前は、私でシたのか」

 軽く笑い掛けてみながら様子を見る。手足の重さはなくなっていて、何故だか自然と聞くことが出来た。頭が、冴えてきているような気がした。私は、私の全てを持って尾緒神の回答を待つ。

 誤魔化されると思ったが、尾緒神は素直に答えてくれた。

「俺達は、そんな関係でもないだろ」

 多くを語るまでもなく、彼は心底興味のない顔でそう言ってみせる。寧ろ、その気があるのならここで突き放すとでも言いたげな顔であった。

「ふっ。そりゃそうだ」

 軽く笑ってしまう。そうだ。私達はまだ出会ってから1ヶ月も過ごしてはいないではないか。そんな相手に好意を抱くのは少し変だ。

 そんな、建前。当たり前を壁にした拒絶。

 私の勘が訴える。やっぱり、尾緒神は他と違う。でもそれは、単に異性に興味がないだけの男だとか、他人にそこまで興味を持たないから、傷つけられない適度な距離を私の都合で保てる都合のいい男だからとかじゃない。

 こいつは、私に似ている。私に似て、そう簡単に人を信じて頼れなくなっている。多分、尾緒神も私と似たような何かを経験している。

 だからあんな、中学を卒業する直前の私みたいな目が出来るのだろう。私もきっと、國火下にこんな冷たい目をしていた。1人で戦う腹づもりを決めた、誰も寄せ付けたがらないような冷酷な目を。


 あの日、私が國火下へ向けた言葉を思い出す。

 あれは、失望を伴った明確な拒絶であった。


 今の尾緖神は、拒絶はあれど失望はない。

 私に、よく似ている。


 ぐっと拳を握る。私が尾緒神と一緒にいる本当の理由は、たぶんこの親近感だ。

 こいつなら一緒に抗ってくれる。同情や哀れみじゃなくて、シンプルに私と同じ感情で。この理不尽な世界に抗いたい気持ちを、尾緒神となら共有出来る気がする。

 だからきっと、私は尾緒神と一緒に戦いたいと思わされたのだ。


 そうだ。一人では戦えない私には、彼が必要だ。


 尾緒神が首をかしげる。

「どうかしたか?」

「いや、なんでもない」

 私はたぶん、笑っていたと思う。同じ思いをした人に出会えていたことが分かって、きっと嬉しかったのだ。そうに、違いない。

 誤魔化すように言葉を見つける。

「そうだ、将河辺に目を付けられることになったって、何があったんだ?」

 私がそう聞けば、尾緒神は面倒臭そうにしながらも教えてくれる。私達が7時間目の授業を受けている間に、屋上で何があったのかを。何を教えられて、何を宣言されたのかを。

 取り敢えず、尾緒神が何かをされたようではなくてよかった。

「そうか。それを聞いてさ、私が。私がもう火は消えているって言っていたら、尾緒神はどうしてたんだ」

 そんなこと、言わなくても分かるだろうという顔をされる。それからそっぽを向いて、答えを濁らせられた。

「さあ、どうするつもりだったんだろうな」

「なんだよ、それ」

「知らん。ただ、取り敢えず、まだ最後には一緒に笑ってくれる奴が居て良かったとは思ってるよ。1人で頑張ったところで、感謝も称賛もないからな。確かに何かを成し遂げた筈なのに、そこにあるのはただ空虚な時間だけ。そんなのって、悲しいだろ」

 尾緒神は多分、過去の自分を思い返してそんなことを言っている。その気持ちは私にもよく理解出来る。卒業した後、1人で頑張ったと喜ぶも、どうしようもない空しさが押し寄せて来ただけのあの時間を思い出す。だから私は、次こそはと意気こんだのだ。

 前を向くことで、少しでも未来に期待することで。その空しさを、少しでも取り除けるように。

「私にも、その気持ちはよく分かるよ」

 少しの沈黙の後、尾緒神が声を出す。

「そう考えると、失敗しても笑い飛ばせてしまう分、いつもよりも幾分か気持ちが楽になるな。だって今回は、失敗してもお前がいる」

 それも、私が好きな言葉。昨日も、同じ様な言葉を投げかけられて、私は前を向くことが出来た。

 ……。分かっている。この感情はよくない。

 私達の関係は、たぶん普通じゃなくて、歪なものだ。

 でも、そんな歪な友達関係それでも、私には必要なもので。

 私は、友達の為にも、奮起しなければいけない。

 落ち込む時間はもう終わりだ。私は、いつもの私に戻るべきである。

「ハッ。なに言ってるんだよ、尾緒神」

 私は数歩前に出て、尾緒神の前で親指を自分に向けてす。紅いマフラーを、なびかかせて。

「失敗なんてない。私は負けないんだぜ。相棒」

 ふっふーん。と、胸を張りながら、前から言ってみたかった言葉を口にする。尾緒神の前でなら、私はまだ自分の勇気を振り絞れる。ここが、境界線がけっぷちだ。ここが、彼がいなくなれば、私は。

 尾緒神は、軽く笑う。

「ばーか。お前、昨日の挑戦状では一度落ち込んで何も出来なくなってたくせに」

 うぐ。痛いところを突いて来るな。

「あ、あれは。その、違うくてだな」

 もごもごと口がもたついてしまう。上手い切り返しが思い浮かばない。

「と、とにかく!今回は大丈夫だ。お前が将河辺さんと話をしている間にも、私は私で情報を集めたり、纏めたりしていたんだからな!」

 そう言って、ポケットの中から尾緒神に買って貰ったメモ帳を取り出す。

「なんだ、早速使ってくれているのか」

「あたぼうよ!私の情報整理能力は尾緒神より凄いんだからな?今回の鍵の事件も、実はもう全て解決しているのだよ、尾緒神ワトソンくん」

 気まずかった筈なのに、私はいつの間にかまたこうして尾緒神といつものように会話をしている。この時間は、心地良い。


 私は今度こそ、私の青春を手に入れる。尾緒神となら、それが出来るかもしれない。少なくとも、こいつが私を裏切るまでは、私はこの楽しい時間を取りこぼしてしまわないように頑張りたい。


 いつか、こんな次善な関係じゃなくて、本当の友達関係を結べるようになるまでは。

 その時、隣にいるのが尾緒神なのか。それは、未だ分からないけれど。


 中学と同じ結末にだけは絶対にしない。


 そんな思いを、また胸に秘めた。

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