第10話 勇気がなくて
掃除の時間が終わる。あの後、私は尾緒神を訪ねる勇気がなかった。
会いに行こうとは思ったけれど、どうしてか足が向かない。
尾緒神のことは信じられないと思っているくせに、裏切られることが怖いのだ。あの日の親友だった人のように、尾緒神もどこかで私を使って自分を慰めていたら。私は、また1人になってしまう。尾緒神は他の人とは違う。そう自分に言い聞かせていたのに、そうじゃないと分かってしまうのが、現実を知ってしまうのが凄く怖かった。
男なんて、ただの猿だ。女は敵だ。
高校では違う人生を送ろうと思ったのに。結局は同じ道筋を辿らされることになってしまうのだろうか。怖い。怖いよ。
夏の屋上は、この学校の中で一番太陽に近い場所。でも、照りつける太陽の光も届かない日陰で、私は膝を抱えて俯いている。背中かららは、放課後の音が聞こえる。誰かと談笑し、楽しそうに笑う声や、部活動に励む薔薇色の学校生活の音が、私の心を傷つける。
私はそこに、こんなにも憧れているのに、惹かれているのに、混じれなくて。こんなところで1人、蹲っている。惨めだ。こんな自分は嫌だ。でも、立ち上がるのが怖い。人を信じることができない。私を取り囲む
1人で戦い続けるなんて、どうしてそんなことをしなければいけないのか。
分かっているつもりだ。もっと自分を押さえつければ私もあの中に混じれる。女の子らしい私になれば、もっと友達も出来る。でも、そんなのは
いや、それももう駄目かもしれない。将河辺さんがいる時点で、そんなことをしても今更だろう。何をやったって、邪魔されるに決まっている。
私は、凄く面倒臭い人間だ。今だって、まだそうだと決まった訳でもないのに、尾緒神を信じて会いに行くことが出来ない。前の私なら、彼のことを気にして飛んでいっただろう。でも今の私は、そんなことをしたら自分が傷つくかもしれないことを知ってしまっている。
あの日の光景が、私を地面に縛り付けてくる。
彼が彼自身を私を使って慰めているのは勿論嫌だけど、私のことを哀れんで慰めの言葉を投げかけられることも嫌だった。私は別に、同情されたい訳じゃない。可哀想だねって撫でて欲しい訳でもない。私は、可哀想なんかじゃない。「将河辺さんに話を聞いたよ。大丈夫?無理してない?でも大丈夫だよ。2人で頑張ろう」そんな言葉すら、私は気持ち悪いと感じてしまう。嫌いになってしまった、
あいつと尾緒神の姿が被って見えてしまうことが怖い。此方の様子を伺うような、男として女の弱みに付けいろうとする言動を見ることが嫌だ。
尾緒神で一番ありそうなことは、何も言わないことだ。こっちの気持ちを勝手に察して、勝手に分かったような気をして。まるで腫れ物を扱うようにその件について一切触れずにいそうだ。でも、それも嫌だ。不安で胸がいっぱいになって、きっといつもの私には戻れなくなる。
だったらどうされたいのか。そんなこと、自分でも分からない。だから、やぱり会いには行けない。だって、どう話しても後悔するなら、もう話さない方がいいだろ?
ズキリと胸が痛む。内ポケットの中には、尾緒神から貰った宝物が入っていて。大切にしようと思ったそれさえも、気持ち悪く感じて放りなげたくなる。
男女の友情なんて、やっぱり成立しないものなのかな。
黙って立ち上がる。そして、ポケットから憎らしい本を取り出して、黄色い声のする方へと歩いていく。辿り着いたフェンスの向こう側では、勝ち組達が楽しそうに青春を謳歌している。羨ましい、そして
決断の時だ。あの世界は、私には訪れない。ここでこの本を投げ捨てて、何もかもから逃げることを選んだ方が。きっと、もっとずっと楽なのだろう。
本を振り上げる。そして空高く投げつける為に振りかぶった。
でも、本を投げることは出来なかった。
真実を確認することを怖がって足が動かなくなったように。
希望の残りかすを投げ捨てることが怖くて、私の指先は動かなかった。
しっかりと、尾緒神に貰った
寂しい。私は、孤独になんてなりたくない。
「あ、あ。あっあああ」
ぽろぽろと涙が溢れ落ちそうになる。今の私は、きっと酷い顔をしているだろう。
なんで。どうして。
私は、逃げることも許されないの。
どうして。いつから。
私は、こんな何も出来ない半端なやつになってしまったのだろう。
逃げることも、戦うことも出来ない。
嫌だ嫌だと我が儘だけを言って、ただただ現状を呪うだけの、そんな、そんな。
尾緒神の本を強く握り絞め、抱き絞め、その場に崩れ落ちる。
嫌だ。嫌だ。
お願いだから、私を1人にしないで。
「無理だよ。男なんて皆性欲の塊で、それを受け入れられないあなたは、きっとまた1人ぼっちになる。それが嫌なら、女になるしかない」
心の中の、冷徹な私がそう呼びかける。死んだ目の私。中学の頃、全てに絶望した私。
「嫌だ、諦めたくない。このまま、負けたくない。家に閉じこもって、ただ外の世界に憧れて死を切望ような、そんな、そんな終わり方は嫌だ」
私の青春を、諦めたくない。
「いいの?このまま頑張っても、辛いだけかもしれないのに」
それも嫌だ。いつ終わるとも分からない仕打ちを、ただ耐え続けることなんて出来ない。
「本当に、このまま続けてしまってもいいの?」
分かっている。いつか心がすり減ってなくなってしまうくらい。空元気にも限界があることくらい。自分で分かっている。前から思っていた。どうして私は、こんなにも世界から弾かれてしまうのだろうか。どうして誰も、そのままの私を受け入れようとしてくれないのか。外側だけの関係なんて、そんな空っぽの関係しか築けなかったのか。
「きっと、このまま頑張っても、酷い思い出が増えるだけ」
だったらもう、諦めてしまおうよ。今より酷くないのなら、望んだ未来なんて来なくてもいいじゃない。
そうだ、酷い思い出なら
「後で一緒に笑ってくれ」
ああ。駄目だ。
「そうなったら、後で一緒に笑ってくれ。あの時はつまらなかったね、最悪だったねって、お前と笑い合えれば、それは良い思い出になる。友達って、そういうもんだろ」
やっぱり私は、それを手放せない。手放したくない。
ぐちゃぐちゃになった顔で立ち上がる。
もういい。最悪な思い出になっても。もういい。
そうなったら、これを最後の勇気にして。後で1人で笑い飛ばしてやる。
だから、あと1回だけ。
せめて、確認する勇気くらいは出さないと。
私は、虚ろに歩き出す。期待を裏切られても、傷つけられてもいいように。自分が傷つかないような準備だけをして、ふらふらと歩き出す。
尾緒神の、もとへと。
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