中編1
同日午後1時頃。
悠美は、一人検査棟を訪れていた。
「相模原悠美です。定期検診に呼ばれてきました」
「あちらへどうぞ」
無愛想な受付嬢に案内され、いつも通り検査室に向かい、『風見』というネームプレートが張られた部屋に入る。
「失礼します」
「どうぞ」
風見は、先程の受付嬢に勝るとも劣らない無愛想な女医師だ。若いが腕は確からしい彼女から、いつも通り問診を受ける。
「何か体に変わったところは?」
「ありません」
「何かストレスに感じることは?」
「ありません」
「他に何か聞きたいことや言いたいことは」
「ありません」
「一応体を診ますね」
「はい」
目に光を当てられ、舌を見られ、胸に聴診器を当てられる。
「問題はないようです」
「そうですか」
「はい、これで検査を終わります」
「ありがとうございました」
頭を一度下げてから、検査室を退室する。
本来なら奇病を発症していないかどうかもっと詳しい精密検査が行われる。
が、もう悠美は奇病を発症することはないと思われているのだろう。検査は簡易的な、もはや形式的なもので終わっている。
(さて、図書室で時間潰そうか)
今部屋に戻ると、真那は困惑するだろう。
何故なら、まだ部屋を出てから一時間も経っていない。精密検査を受けたにしては短すぎるのだ。
(検査が簡略化されてるなんて知ったら、真那ちゃん怒りそうだもんなぁ)
いざ何かあったらどうするんだと、悠美の為に泣いてくれるかもしれない。
そこまで雑な扱いをするなら、この施設から解放すればいいのに、と。
(奇病患者っていうより、もうただの孤児扱いだからなぁ)
あと、早く戻らないのは真那を心配させない目的もある。
真那の検査は、本当に半日いっぱい潰れるほど長引くのだ。
悠美の3年間の経験上、そんなに検査が長引くのは『異常』である。
初期の真那も、検査の量が異常に多くて怖いし大変だと言っていた。
だが、悠美も同じくらい時間がかかる時もあると言ってからは、安心したのか落ち着いて受け入れていた。
(ただの要らぬ世話焼きだけど)
少しでも、真那の不安を取り除けていたら嬉しい。
結局、悠美が部屋に帰った頃には午後六時を過ぎていた。
「ただいま、真那ちゃん」
「……おかえりなさい、悠美さん」
一瞬、返事に間があったように感じたのは気のせいか。
「いやぁ〜、相変わらず、検査って面倒くさいよね。どうせ結果は変わんないのに」
茶化しながら部屋に入り、自分のベッドにダイブする。
上体を起こしてベッドに座っていた真那は、呆れた顔で言った。
「お行儀が悪いですよ、悠美さん」
「え〜、良いじゃん。どうせ真那ちゃんしか見てないもの」
「それはそうかもしれませんが……」
真那が口ごもってしまったので話題を転換する。
「真那ちゃんは何してたの?オルゴール磨き?」
真那は、検査がある時を除いて一人で部屋を出ることはしない。
「まあ、そんなところですが──」
サイドテーブルに並んだオルゴール達を、愛おしげに見つめる真那。
「──今日は、みんなと踊っていました」
「…………」
意味を図り損ねたが、悠美は無理矢理ニコリと笑った。
「そっか。楽しかったなら良かったよ」
「はい。あぁ、せっかくなら悠美さんも居れば良かったのに。次のパーティーの時は、悠美さんも来てくださいね」
有無を言わさぬ口調で言われて、悠美は曖昧に頷いた。
「……そうだね」
(…………真那ちゃん、やっぱり変だな)
どことなく、焦点も合っていないように見える。
確かに、真那はよく「伯爵が〜」とか「〜って侯爵夫人が」などと嬉しそうに悠美に伝えてくる。
夢でそういう話をしたのか、ただ単に想像力が豊かなのか、どちらにしろ楽しそうで何よりだと微笑ましく思っていたのだが……
(これはちょっとマズくない?)
一年もここに閉じ込められているストレスだろうか。現実と空想の区別が付かなくなっているのでは?
(……けど、直接そういうことを言うのはあれだしなぁ……。明日にでも風見さんに言ってみる?……いや、まずはしばらく様子見……?)
選択肢を間違えるわけにはいかない。
だって。
真那は、悠美の可愛い妹分なんだから。
翌日。
いつも通り、おかしなリズムを鳴らすオルゴールの音で、悠美は目を覚ました。
これは、女騎士の音色だ。
「ふわぁ……。おはよう、真那ちゃん」
「……おはようゴザイマス。悠美サン」
妙にたどたどしい声音が聞こえて、悠美は勢いよく飛び上がった。
「……ドゥしマした?」
カクンと首を傾げる真那。
(……気のせい?)
悠美にマジマジと見つめられ、真那は怪訝な顔をした。
「悠美さん、どうしました?」
今度は、はっきりとした口調だった。
(……寝ぼけて変に聞こえただけ?)
悠美は力無く首を振った。
「……んーん、何でもない」
悠美はチラリと時計を見て、あんぐりと口を開けた。
「もう八時過ぎてるじゃん。早く食堂行かなきゃ」
「すみません……。今日は少し寝坊してしまったみたいで」
眉を下げてそう言う真那に、悠美は身を縮こまらせた。
「いや、そもそもいつも真那ちゃんに起こしてもらってるあたしが情けないと言いますか……。真那ちゃんはいつもしっかりしてるとっても良い子なので……」
「……そう言ってくれるのは、悠美さんくらいですけどね」
低い声で呟く真那。
「そんなことないと思うけどなぁ。……まあとにかく、早く朝ごはん食べに行こう」
「そうですね」
悠美は軽い動きでベッドから飛び降りる。
真那も真似してベッドから降りようとした時──
ガシャンッ!
──異変は、起きた。
「……ぇ?」
「真那ちゃん⁉︎」
床に足をついた瞬間、真那が身体ごと崩れ落ちたのだ。
ペタンと床に座り込んでしまっている。
いや、それならまだ良い。
何らかの理由で腰が抜けるということもあるだろう。
問題は、音だ。
どう考えても、人から出る音ではなかった。
とても無機質で、冷えた音。
「「……」」
沈黙が続く。
先に正気を取り戻したのは悠美だった。
「な、ナースコール!」
部屋の隅に設けられたナースコールに駆け寄ろうとする。
が。
「いや!やめてください‼︎」
「うわっ⁉︎」
悲鳴のような怒号とともに、悠美は何かに足を取られて激しくすっ転んだ。咄嗟に手を付いたので顔面殴打は免れたが。
「痛たたた……。ま、真那ちゃん、どうして……?」
背後を見ると、いまだに動けずにいる真那が、悠美の右足首を掴んでいた。
「駄目です嫌です誰も呼ばないで‼︎」
物凄い剣幕で真那は首を振る。
「え……い、いや、でも、めちゃくちゃ変な音が……」
「違います気のせいですまだ寝ぼけてるんですか?」
人が変わったように捲し立てる真那に、悠美はわずかに恐怖した。
(……真那ちゃん、本当にどうしちゃったの?)
明らかな異変。豹変。
これを無視してはいけないと、本能が告げている。
──さもなくば、取り返しが付かなくなるぞ。
だが、ここで無理に人を呼ぼうとすると真那に襲い掛かられそうなので、悠美は落ち着いた声を出すように心がけて言った。
「……分かった。真那ちゃんがそこまで言うなら、とりあえず様子見しよう」
「……本当ですか?」
真那は疑い深い目で悠美を見つめている。
「本当本当。ほら、早く朝ごはん食べに行こう?それこそ、周りに変な心配がかかっちゃう」
「……」
一理あると思ったのか、真那はコクンと頷いた。
ゆっくりとした動きで立ち上がる。
(……)
動くたびにギシギシと軋む音が響いているのだが、真那は素知らぬフリを貫いている。
「さ、行きましょうか、悠美さん」
そう言って、真那は薄く微笑んだ。
食堂にて。
(……どうしよう、何も食べたくない)
真那は、箸を持つ手をぼんやりと見つめていた。
全く食欲が湧かない。
「真那ちゃん、大丈夫?」
悠美に問われ、真那は慌てて首を縦に振った。てきとうにお菜を取って、口に突っ込む。
悠美に心配をかけてはいけない。
そうでなければ、優しい悠美はすぐに医師に相談するだろう。
それだけは避けねばならない。
(……絶対に、お医者さんにバレたらダメ)
もし身体に異常が出たと知られたら、みんなを取り上げられてしまう。
(それだけは、絶対に嫌‼︎)
周りに違和感を与えないように、黙々とご飯を口に詰め込む。
(……みんなは、悪くないもん)
そう、みんなは悪くないのだ。
いわくつきのオルゴール?知ったことか。
たとえ持ち主が姿を消すという恐ろしい噂が流れていたって、真那が心細い時に側に居てくれたのはあのオルゴールたちだ。
いつか悠美が隔離施設を出て行ってしまうとしても、オルゴールたちが勝手にいなくなることはない。
みんなが居るから、真那は独りにならずにいられる。
のに。
(どうして誰も彼も、私からみんなを引き剥がそうとするの?)
いわくつきのオルゴール。
その噂を知った養父母は、みんなを燃やして殺そうとした。
だから真那は、養父母と取引した。
──奇病の隔離施設に入所しろ。
それを条件に、オルゴールの破棄は見送ってやっても良い。
そんな不気味なオルゴール、手元にないならどこにあっても知ったことじゃないからな。
そういう経緯でこの隔離施設にやってきた真那は、だから何としても身体の異常を知られるわけにはいかなかった。
あのオルゴール達は、両親の形見なのだから。
(もう……独りになんて、なりたくない)
ギシギシと不気味な音がしているのは聞こえないフリをして、スープを喉に流し込んだ。
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