第21話 再びの江戸

 寿林寺じゅりんじを後にした三人は陸路で江戸を目指した。

 旅を始めた頃の亜蛇は無口で二人から離れて歩いていたが、次第に打ち解けるようになってきた。

 そこで吉乃は旅すがら亜蛇に読み書きを教えることにした。

 数馬も剣術の基本を教えたがその成長は目覚めざましく、特に太刀筋たちすじのぶれない速さには目をみはるものがあった。

「そなたには剣術のさいがあるようだ。基本の形を教えただけなのに己の技にもみがきをかけたな」

「おれはもっと強くなりたい。数馬様の言われた覚悟とやらを身につけるまで」

 亜蛇は真顔で答えた。

「おいおい、覚悟は技ではないぞ。己の心の持ちようのことだ。修行と共に身についてくるからあせるでない」

 亜蛇は黙って頷いたものの半信半疑はんしんはんぎであった。

「そうだ、そなたの肩口からり出すあの技に名を付けてやろう。『一閃いっせん』というのはどうだ。一閃は相手の首を狙う必殺ひっさつの恐ろしい技だ。そなたの背丈が伸びて跳躍ちょうやくしなくとも水平に首が打てるようになれば、地面への踏ん張りが効いて更に強靭きょうじんとなろう。そうなればわたしも敵わぬ存在となるであろうな」

 亜蛇が一閃を使う時、殺すか殺さぬか迷う時が必ず来る。その迷いに打ち勝つのが覚悟だと数馬は考えていた。

 そして正しく迷えるような武士に育てたいと思ったのである。


 亜蛇は旅立った時から二人のことを吉乃様・数馬様と呼んだ。それは自分を拾ってくれた者につかえる気持ちの表れだった。

 しかし吉乃はそんな亜蛇の気持ちが気に入らなかった。

「亜蛇、いつまでそのような呼び方をするのですか。わたくしはあなたを使用人しようにんと思ってはおりませぬ」

「では何とお呼びすればよいのですか」

 亜蛇は困って訊き返した。

「わたくしたちはもはや家族です。兄上・姉上とお呼びなさい」

 亜蛇が驚いて顔を見上げると数馬も、

「家族か、それは良い。亜蛇、そなたはわれらの弟ぞ。それが良い」

 と笑顔でたたえた。

「わかりました」

 と、照れくさいながらも亜蛇はうれしかった。愛されることの喜びを実感できる二人だからこそであった。


 冬になる前に江戸に着きたいと願って急いだ旅であったが、箱根はこねの峠に差し掛かると雪が降りだした。

「大した雪ではありませんね、風がないだけでも助かります。茶屋のある所まで急ぎましょう」

 山育ちだけあって吉乃は気丈きじょうに峠を上った。

 茶屋の屋根には薄っすらと雪が積もっていた。店の中からは何やら押し問答のような声が聞こえてくる。

 見ると、武家の娘を連れた付き人らしき男が騒いでいる。娘は困っている様子だ。 

「どうかしたのか」と、数馬が訊くと娘の付き人が、

「お嬢様の草鞋わらじが切れてしまって、替えを求めたのですが……」

「子供用をきらしてしまって、そうしたら大人用を直せと無理をおっしゃられて困っておりました」

 と、店主が引き継いで答えた。

 娘は亜蛇と同じぐらいの年頃だった。それを見た亜蛇はすぐに娘の前にしゃがみ込むと、腰に下げた自分の草鞋をかせてやった。

 途端に娘は笑顔になり「かたじけのうございます」と、亜蛇に礼を言った。

 付き人や店主にも礼を言われて亜蛇は頭をきながら礼に応じた。

 些細ささいなことではあったが亜蛇は人の役に立つことの喜びをかみしめたのであった。

「それにしても警護けいごの者も付けずに旅などと無謀むぼうではござらぬか。どちらへ参られる」

 数馬が案じて尋ねると、

「申し遅れました。わたくしは大和国やまとのくに高取藩納戸役たかとりはんなんどやく坂田松之助さかたまつのすけ』の娘で桃代ももよと申します」

 と、名乗ってから旅の仔細しさいを話し始めた。

「わたくしども家族は国元くにもとで暮らしておりました。二年前、父は江戸詰えどづめとなり単身にて江戸ではげんでおりました。そして江戸でのつとめを終え今年の参勤交代さんきんこうたいに同行して戻るのをみな心待ちにしておりました。ところが出立しゅったつ直前に倒れ病床についてしまったのです。取り急ぎわたくしだけでもとけつけるところでございます」

「それは難儀なんぎでございますね。他のご家族はどうなさるのですか」

 吉乃が尋ねた。

「母は支度したくをしてから参ります。わたくしの母は幼い時に亡くなり、今の母は後添のちぞえなのです。ですから息のあるうちに一人娘のわたくしだけでも会わせたいと送り出したのです」

 桃代は悲しげに答えた。

「優しい母上様にめぐまれましたね」

 吉乃がなだめるように言って数馬を見ると、数馬もわかっているとばかりに頷いた。

「さあ、わたくしたちと共に江戸へ参りましょう。わたくしは吉乃、こちらは香月数馬さん、そして弟の亜蛇です」

 桃代の手を取って立たせると自らを紹介して微笑んだ。


 茶屋を出ると雪は止み、山をおおった雲もどこかに流れ去っていた。

 数馬は桃代の足元に気を配りながら峠を越えた。にぎやかになった道中は江戸までの間笑いが絶えなかった。

 亜蛇と桃代は歳も近いことから江戸までの道のりですっかり心を通わせていた。

 父親の病に心を痛めていた桃代であったが、しばしの間そのつらさを忘れるほどであった。

「亜蛇さんは武士らしくない言葉づかいですけれど吉乃様の弟さんなのですよね」

「おれは山育ちで読み書きもできなかった。兄上と姉上に拾われて弟にしてもらったんだ。口が悪いのはごめんよ、今度会う時まではしっかり修業しておくからさ」

 桃代は気さくに語る亜蛇が気に入っていた。そして山育ちの訳を聴いて驚くと同時に亜蛇のたくましさに尊敬の念を抱いたのであった。


 江戸に着くとまず高取藩の江戸屋敷に桃代を送り届け、そのまま加納久通かのうひさみちを訪ねた。

「ご苦労であった。旅はどうであった、道太郎の供養くようはしかと済ませたか」

 加納はねぎらうように言った。

「はい、おかげさまで父と母が共に旅立つのを見届けることができました」

 数馬が答えると吉乃も、

「わたくしも母が眠る寿林寺への参拝ができました」

 と、応じた。

 加納は後ろに控える亜蛇を見ていぶかしげな顔をした。

「ところで後ろの少年は誰なのだ」

 すると真っ先に吉乃が答えた。

「亜蛇と申します。旅で知り合った者ですが、若年ながら数多あまたの苦難を乗り越えてきたのです。わたくし共は弟のようにいつくしんでおります」

 そう前置きして亜蛇の生い立ちを語った。加納は感心して聴いていたが、出逢いのきっかけが刺客というのには驚いた様子であった。

「山育ちというのが共感した理由ですが、わたくしと違って誰からも思いられることなく育ったのが不憫ふびんだったのです」

 吉乃に続いて数馬も、

「わたくしもこの者に学問・剣術そして人の持つべきじょうを身につけさせたいと思っております」

 と、思いを伝えた。

「よし、その者のことはわかった。わしも力になろう。されど天一坊てんいちぼうとは何者なのか」

 加納が問うと、

「わたくしにもわかりかねますが上様のご落胤と思い込んでいるとか。寿林寺の住職、円祥の話では過去に吉乃様のことを知ったある山伏が己の息子に見立てて信じ込ませたとのことでございます」

 と、数馬は答えた。加納はあきれて、

「もうこれで刺客さわぎは仕舞しまいであろうな」

 と、念を押した。

「吉乃様がこうして殿のお屋敷に入った以上は指一本出せぬと心得ます。されど天一坊については今後も監視するべきかと。わたくしにとってはいささかえんがあり、いやな予感がいたします」

「そなたの言う縁とはどのようなものだ」

「はい、殿は覚えておいででしょうか、佐倉藩さくらはんの橋本兄妹による仇討あだうちでございます」

「おう、夏のことであったな。痛快な出来事であった」

 加納は笑顔で膝を叩いた。

「さようでございます。討たれた仇の亀石重兵衛かめいしじゅうべえ潜伏せんぷくしていたのが天一坊の家でした。品川宿から街道を外れた村に数人の浪人者がつどっておりました」

 加納とは裏腹うらはらに数馬は真顔だった。

「数馬、そう恐い顔をせずともよい。わかった、注視するように伝えておく。だが姫様暗殺の容疑に関しては姫様の存在自体が明るみに出てしまうし、浪人が集まっただけでは罪にならぬ。大きな動きをせぬ限りは何もできぬのだ」

 数馬の心配をよそに天一坊の話はそれで終わった。

 吉乃は無口であった。しばらく数馬に会えない寂しさに、今話さなければと思えば思うほど言葉が見つからなかった。

 数馬と亜蛇を見送りながら「数馬さん、お元気で。亜蛇をおたのみ申します」と、掛けた声に振り向き微笑み返したんだ目を吉乃は忘れまいと胸に刻んだ。

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