第20話 寿林寺の出会い
数馬と吉乃が
まず目に飛び込んできたのは
「
駆け寄ろうとした吉乃を制して数馬は本堂の
「
声を荒げながら数馬は茅野と円祥との間に身を滑らせ、吉乃は素早く円祥のいましめを解いた。
「待っていたぞ香月数馬。
茅野は縁側から飛び降りると不敵な笑みを浮かべ
「和尚、香月数馬にございます。挨拶は後ほど」
吉乃が円祥を欅の根元に座らせると、数馬は軽く振り返ってそう言うと再び正面の敵に向き直った。
茅野は刀を抜くと
茅野が右側高く構えた八相から
(構えからして武士の剣法ではない。
数馬はゆっくりと刀を抜き
「きぇーい!」
その瞬間、茅野の身体が弾かれた刀と共に傾いた。
「見えた」
数馬は茅野とすれ違うと亜蛇が左肩に置いた鞘から水平に
亜蛇の刀は
数馬の
茅野は振り向いて
数馬は亜蛇が見えた瞬間、
亜蛇は殺されると思ったのか恐怖に
「案ずることはない、殺しはせぬ。われらの殺害を命じたのは誰か教えてくれ」
亜蛇が口を開こうとした時、本堂の陰から
刺客には見張り役がいたのだ。
数馬がすかさず亜蛇の折れた刀を拾って投げると、細身の切っ先は見張り役の胸に刺さり声を発することもなく
亜蛇が苦痛により目を覚ましたのは夕暮れ時であった。
亜蛇の目に最初に飛び込んできたのは心配そうに見守る吉乃の姿だった。
「気が付いたのね、よかったわ。矢は急所を外していたからもう大丈夫」
優しく微笑む吉乃を見て亜蛇は
「ここは?」
「お寺ですよ、あなたはお仲間から殺されそうになったけれど生き延びたのです」
それを聞くと亜蛇は
「まだ無理をしてはいけませぬ。それよりお
吉乃は亜蛇を再び寝かせると部屋から出て行った。
吉乃を見送った亜蛇の目から一筋の涙が流れた。
生きることだけが目的だった亜蛇は遠い昔に忘れていたものを思い出していた。
姿かたちは違っていてもかつて自分を案じてくれた母の存在があった。優しい母がいた。
「母ちゃん、母ちゃん」
とめどなく
「和尚様、あのような小さい心でどれほど
円祥も目を閉じて唇をかみしめた。
「重要なのはこれからどう生きるかじゃ、人の心を取り戻したのだからのう。慌てることはない、まずはゆっくり眠らせることじゃ」
三人は話し合い、亜蛇が
早朝の境内で亜蛇は空を見上げていた。だがどんなに恋しがっても秋空は母の姿を描いてはくれなかった。
亜蛇は吉乃のことを考えた。命を
「もう起きたのか、早いな。傷はまだ痛むか」
後ろから数馬が声を掛けた。亜蛇は黙ったまま首を横に振った。
「そなたの
すると亜蛇は目を見開いた。
「教えてくれ、おれは何故
「獣と人は違うぞ。獣を
亜蛇はうつむいて聴いていたがその意味の深さまでは理解できなかった。
「
吉乃が
「話はあとだ。参ろうか」
数馬は昨日のことなどなかったかのように笑顔で亜蛇を誘った。
朝餉の後、皆で美世の墓に参拝した。
吉乃は心の中で道太郎が旅立ったことを告げ「母上、もう寂しくはありませんね」と、
美世が眠る墓地は山の
「里を離れて僅か一年なのにとても懐かしい気がいたします」
吉乃は眼下の集落を見下ろしながら
「それだけ姫様が成長しなさったということです。わしの方は
「まあ、和尚様ったら」
そこで円祥は笑顔を
「数馬、道太郎は残念であったな。
数馬は大きく頷くと「はい」と、力強く答えた。
「わしが道太郎に会ったのはおぬしと同じ年頃の若者だった。おぬしは父親によう似ておる。道太郎はおぬしに姫様を
「そう言っていただけると有難い。父はわたしを助けるために犠牲になったと思っておりましたゆえ」
数馬はずっと抱えてきた心の重みを打ち明けた。
「それが親というものじゃ。我が子を救えたなら本望じゃて、そなたも親になればわかろう」
それぞれの会話を
自分も五歳までは家族と暮らしていたのだ。だが一人になってしまってからは食べるため、生きるために人としての感情を封印するしかなかった。
そして今、遠い
毛皮を売って戻る父に駆け寄り、たくましい腕に
亜蛇は失ったものの大きさに身もだえて泣いた。
吉乃は地に
「大丈夫、大丈夫よ。わたくしたちがついております。あなたを一人にはさせませぬ」
亜蛇は
「何かしてほしいことがあるのじゃな」
円祥が気づいて訊いた。
「父ちゃんと母ちゃんの墓が欲しい」
「わかった、両親の名は何というのだ」
亜蛇は両親が名で呼び合うのを聞いたことがなかった。
「名は知らぬ」
「それでは誰の墓かわからぬではないか。さればおまえの名は何じゃ」
「おれは亜蛇だ。村ではへびと呼ばれていたのを
天一坊と聞いて数馬は刺客の送り主を知ることができたが、それ以上はあえて訊かなかった。
円祥と亜蛇の
亜蛇が合掌する手の間には薄汚れた守り袋があった。どんな時も外したことのない、首から下げた守り袋だった。
今まで意識したことはなかったが、それは両親が残した唯一の物だった。
亜蛇は昼になっても戻ってこなかった。
よほど墓が気に入ったのか、何も埋まっていない墓でも両親と共にいるような気持で過ごしていた。
やがて庫裏の戸口に立った亜蛇はいきなり頭を下げた。
「昨日はごめんよ襲ったりして、和尚様も縛ったりしてごめんよ。それから墓を作ってくれてありがとう」
亜蛇の精一杯の
「わかった、皆はもうとっくに許しておるわ」
円祥が笑顔で言うと、
「さあ、お上がりなさい。先にお昼をいただきましたよ、あなたもお腹が空いたでしょう」
吉乃も亜蛇を誘うと
「熊野の山中での暮らしはさぞ
数馬がねぎらうように言うと亜蛇は己の生い立ちを話し始めた。
それは難儀という言葉で
話が進むに
「幼少の身でありながらよくぞ生き抜いたな。両親もきっと
数馬が熱くなった胸から絞り出すように言うと、
「亜蛇にはもともと生きる気力と
と、円祥も感心したように微笑んだ。
「ところで亜蛇、天一坊とはどのようにして知り合ったのだ」
数馬の問いに亜蛇は殺害を命じた者だけにばつが悪い顔をした。
「天一坊様は
「
「
驚いたのは吉乃であった。
「まあ、わたくしがご落胤を騙ったと
「亜蛇よ、
円祥は吉乃から短刀を受け取り
亜蛇は三つ葉
「おれは天一坊様がまだ『
天一坊に
「十二年ほど前に
円祥は境内の松の木を
「改元は偶然にも寺に来たお
亜蛇はがっくりと肩を落として「おれは
「いや、そうではあるまい。今の話を聴くと天一坊自身もご落胤だと信じているのだろう。しかし、そうは言っても姫を騙り者としたのは
数馬は天一坊に利用され、
「やっぱり騙されたことに変わりはないんだな。それに失敗したら殺そうとするなんて、おれを信じていなかったんだ」
亜蛇の目に
「亜蛇、もう天一坊のもとに戻ることはない。われらと共に参ろう」
数馬の言葉に吉乃も大きく頷き亜蛇に笑顔を向けた。
「本当によいのか」
亜蛇が顔を上げて二人の目を交互に見詰めた。
「あなたは子供ながら沢山苦労をしてきたのです。これからは幸せにならねばなりませぬ」
吉乃の力強い言葉に
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