第20話 寿林寺の出会い

 数馬と吉乃が寿林寺じゅりんじに着いた時、境内けいだいには異様いような気配がただよっていた。

 まず目に飛び込んできたのはけやきの大木にしばり付けられた円祥えんしょうであった。

和尚おしょう様!」

 駆け寄ろうとした吉乃を制して数馬は本堂の縁側えんがわにらんだ。そこには茅野と亜蛇あじゃが腰かけていた。

茅野竜膳かやのりゅうぜん、この卑怯者ひきょうものめ。大久保様を見捨てて今度は何をくわだてておるのだ」

 声を荒げながら数馬は茅野と円祥との間に身を滑らせ、吉乃は素早く円祥のいましめを解いた。

「待っていたぞ香月数馬。此度こたびあるじもおぬしたちが邪魔なようでな」

 茅野は縁側から飛び降りると不敵な笑みを浮かべ道中羽織どうちゅうばおりを脱いだ。既に刀紐かたなひもたすきがけをしている。

「和尚、香月数馬にございます。挨拶は後ほど」

 吉乃が円祥を欅の根元に座らせると、数馬は軽く振り返ってそう言うと再び正面の敵に向き直った。

 茅野は刀を抜くと八相はっそうに構え、亜蛇は細身の刀をさやごと左の肩に置いた。

 茅野が右側高く構えた八相から袈裟懸けさがけに斬ってくるのは想定できたが、数馬が気になったのは亜蛇の動きだった。

(構えからして武士の剣法ではない。奇妙きみょうにもうほどに身を低くして茅野の後ろにいるため姿が全く見えぬ。この少年はどのような動きを見せるのか)

 数馬はゆっくりと刀を抜き下段げだんに構えた。そして右手をかぶせるように左に回しながら間合いを詰めると思った通り茅野が斬り下ろしてきた。

「きぇーい!」

 すさまじい気合きあいと共に袈裟懸けに振り下ろされた刀は、数馬の肩口に到達する直前に左下段からね上がった数馬の刀にはじかれた。

 その瞬間、茅野の身体が弾かれた刀と共に傾いた。

「見えた」

 わずかなずれの隙間から亜蛇が真後まうしろから跳躍ちょうやくするのが見えた。

 数馬は茅野とすれ違うと亜蛇が左肩に置いた鞘から水平にはらう刃に己の刃を立てて受けた。

 亜蛇の刀は素早すばやく相手を斬るために細身にできており、刃を合わせるのに耐えられるものではなかった。

 数馬の剛剣ごうけんによって刀を根本ねもと付近で折られた亜蛇は着地と同時に地面に転がった。

 茅野は振り向いて態勢たいせいを立て直そうとしたものの顔をゆがめてその場にくずれ落ちた。脇腹には小太刀こだちが刺さっていた。

 数馬は亜蛇が見えた瞬間、逆手さかてで小太刀を抜きすれ違いざまに茅野を突き刺していたのだった。

 亜蛇は殺されると思ったのか恐怖におびえる少年らしい顔立ちになっている。

「案ずることはない、殺しはせぬ。われらの殺害を命じたのは誰か教えてくれ」

 亜蛇が口を開こうとした時、本堂の陰からはなたれたが亜蛇の肩を射抜いぬいた。

 刺客には見張り役がいたのだ。

 数馬がすかさず亜蛇の折れた刀を拾って投げると、細身の切っ先は見張り役の胸に刺さり声を発することもなく絶命ぜつめいした。


 亜蛇が苦痛により目を覚ましたのは夕暮れ時であった。

 亜蛇の目に最初に飛び込んできたのは心配そうに見守る吉乃の姿だった。

「気が付いたのね、よかったわ。矢は急所を外していたからもう大丈夫」

 優しく微笑む吉乃を見て亜蛇は何故なぜなつかしさを感じた。

「ここは?」

「お寺ですよ、あなたはお仲間から殺されそうになったけれど生き延びたのです」

 それを聞くと亜蛇は布団ふとんをはねのけて起き上がろうとした。

「まだ無理をしてはいけませぬ。それよりおなかいたでしょう、おかゆをお持ちしますね」

 吉乃は亜蛇を再び寝かせると部屋から出て行った。

 吉乃を見送った亜蛇の目から一筋の涙が流れた。

 生きることだけが目的だった亜蛇は遠い昔に忘れていたものを思い出していた。

 姿かたちは違っていてもかつて自分を案じてくれた母の存在があった。優しい母がいた。

「母ちゃん、母ちゃん」

 とめどなくあふれる涙に泣きじゃくりながら亜蛇は母を求めた。

 障子しょうじの陰で吉乃も泣いていた。

「和尚様、あのような小さい心でどれほど過酷かこくなさだめを背負ってきたのでしょうか」

 円祥も目を閉じて唇をかみしめた。

「重要なのはこれからどう生きるかじゃ、人の心を取り戻したのだからのう。慌てることはない、まずはゆっくり眠らせることじゃ」

 三人は話し合い、亜蛇がおのずから話すまでは詰問きつもんするのを控えることにした。


 早朝の境内で亜蛇は空を見上げていた。だがどんなに恋しがっても秋空は母の姿を描いてはくれなかった。

 亜蛇は吉乃のことを考えた。命をねらった自分を母親のように案じてくれた。人とはそこまで他を思いやることができるものなのだろうか。

「もう起きたのか、早いな。傷はまだ痛むか」

 後ろから数馬が声を掛けた。亜蛇は黙ったまま首を横に振った。

「そなたの太刀筋たちすじは素晴らしかった。その若さで相当な鍛錬たんれんを積んだのだな」

 すると亜蛇は目を見開いた。

「教えてくれ、おれは何故けたのだ。おれはどんなに大きなけものでもあの技で倒してきたんだ」 

「獣と人は違うぞ。獣を仕留しとめるにはわざだけでよいが、人の命を絶つには覚悟かくごがいる。人は大切なものを守るため己の命をけて戦う。そこに覚悟が生まれる。そなたが負けたのはその覚悟が足らなかっただけなのだ」

 亜蛇はうつむいて聴いていたがその意味の深さまでは理解できなかった。

朝餉あさげの用意ができましたよ」

 吉乃が庫裏くりの入口に立って手招てまねきをしている。

「話はあとだ。参ろうか」

 数馬は昨日のことなどなかったかのように笑顔で亜蛇を誘った。

 


 朝餉の後、皆で美世の墓に参拝した。

 吉乃は心の中で道太郎が旅立ったことを告げ「母上、もう寂しくはありませんね」と、つぶやいた。

 美世が眠る墓地は山の裾野すそのにあり、それより東は深い熊野くまのの山中に通じていた。南には吉乃の故郷ともいえる集落が広がっている。

「里を離れて僅か一年なのにとても懐かしい気がいたします」

 吉乃は眼下の集落を見下ろしながら目尻めじりを下げて微笑んだ。

「それだけ姫様が成長しなさったということです。わしの方はしわが増えるばかりじゃがな」

「まあ、和尚様ったら」

 そこで円祥は笑顔を真顔まがおに変えて言った。

「数馬、道太郎は残念であったな。忠義ちゅうぎに厚い立派な武士であった」

 数馬は大きく頷くと「はい」と、力強く答えた。

「わしが道太郎に会ったのはおぬしと同じ年頃の若者だった。おぬしは父親によう似ておる。道太郎はおぬしに姫様をたくして安心してこの世を去ったに違いない」

「そう言っていただけると有難い。父はわたしを助けるために犠牲になったと思っておりましたゆえ」

 数馬はずっと抱えてきた心の重みを打ち明けた。

「それが親というものじゃ。我が子を救えたなら本望じゃて、そなたも親になればわかろう」

 それぞれの会話を最後尾さいこうびで聴いていた亜蛇は家族というものを考えていた。

 自分も五歳までは家族と暮らしていたのだ。だが一人になってしまってからは食べるため、生きるために人としての感情を封印するしかなかった。

 そして今、遠い記憶きおくを掘り起こそうとするたびに心をふさいでいた何かがくだけていくような気がした。

 け出すように溢れてきた悲しみ・寂しさ・恋しさはついに亜蛇の記憶を取り戻した。

 毛皮を売って戻る父に駆け寄り、たくましい腕にかかえあげられて肩の上から見た景色。囲炉裏いろりほのおらされた両親の笑顔を見ながら食べた豆入りの粥。寒い夜、抱かれて寝た母の温もり。貧しくも両親の愛に包まれた日々。

 亜蛇は失ったものの大きさに身もだえて泣いた。

 吉乃は地にせる亜蛇の震える手をつかんで庭石に腰かけさせた。

「大丈夫、大丈夫よ。わたくしたちがついております。あなたを一人にはさせませぬ」

 亜蛇はしばらくうなだれていたが立ち上がると「あの山奥で暮らしていた」と、東の山を指さした。

「何かしてほしいことがあるのじゃな」

 円祥が気づいて訊いた。

「父ちゃんと母ちゃんの墓が欲しい」

「わかった、両親の名は何というのだ」

 亜蛇は両親が名で呼び合うのを聞いたことがなかった。

「名は知らぬ」

「それでは誰の墓かわからぬではないか。さればおまえの名は何じゃ」

「おれは亜蛇だ。村ではへびと呼ばれていたのを天一坊てんいちぼう様が亜蛇という名を付けてくれた」

 天一坊と聞いて数馬は刺客の送り主を知ることができたが、それ以上はあえて訊かなかった。

 円祥と亜蛇の禅問答ぜんもんどうのようなやり取りの末、希望通りに墓が建立こんりゅうされた。

 墓標ぼひょうにはやむなく『亜蛇の両親』と印されたが、それでも亜蛇は喜んで花や線香を手向けたのであった。

 亜蛇が合掌する手の間には薄汚れた守り袋があった。どんな時も外したことのない、首から下げた守り袋だった。

 今まで意識したことはなかったが、それは両親が残した唯一の物だった。


 亜蛇は昼になっても戻ってこなかった。

 よほど墓が気に入ったのか、何も埋まっていない墓でも両親と共にいるような気持で過ごしていた。

 やがて庫裏の戸口に立った亜蛇はいきなり頭を下げた。

「昨日はごめんよ襲ったりして、和尚様も縛ったりしてごめんよ。それから墓を作ってくれてありがとう」

 亜蛇の精一杯の謝罪しゃざいと感謝であった。

「わかった、皆はもうとっくに許しておるわ」

 円祥が笑顔で言うと、

「さあ、お上がりなさい。先にお昼をいただきましたよ、あなたもお腹が空いたでしょう」

 吉乃も亜蛇を誘うと昼餉ひるげの用意をした。

「熊野の山中での暮らしはさぞ難儀なんぎであっただろうな」

 数馬がねぎらうように言うと亜蛇は己の生い立ちを話し始めた。

 それは難儀という言葉でたとえられるものではなかった。

 話が進むにれそれぞれの目には涙がにじみ、吉乃は手を口に当て声を押し殺している。

「幼少の身でありながらよくぞ生き抜いたな。両親もきっとめているぞ」

 数馬が熱くなった胸から絞り出すように言うと、

「亜蛇にはもともと生きる気力とさいが備わっていたのやもしれぬな」

 と、円祥も感心したように微笑んだ。

「ところで亜蛇、天一坊とはどのようにして知り合ったのだ」

 数馬の問いに亜蛇は殺害を命じた者だけにばつが悪い顔をした。

「天一坊様は修験者しゅげんじゃで、三年前おれの住む山に滝行たきぎょうに来て知り合った」

何故なにゆえわれらの命を狙うのか聴いたか」

 矢継やつばやの問いに亜蛇はうろたえながら答えた。

くわしいことは知らねえが、天一坊様は将軍様のご落胤らくいんだと言っていた。ところが同じようにご落胤をかたる姫がいて、将軍様と会うことを邪魔じゃまするから成敗せいばいして来いとめいじられたんだ」 

 驚いたのは吉乃であった。

「まあ、わたくしがご落胤を騙ったとおっしゃるのですか」

「亜蛇よ、此処ここにおられるのが本物のご落胤であられる吉乃姫様なのじゃよ。天一坊こそが偽物にせものなのじゃ」

 円祥は吉乃から短刀を受け取り鯉口こいぐちを切ってはばきを見せた。 

 亜蛇は三つ葉あおい家紋かもんを驚いた目で見ていたが、それでもに落ちない様子でまゆを吊り上げさらに言った。

「おれは天一坊様がまだ『改行かいぎょう』という名の頃から三年もつかえているけど、自分のことを心底ご落胤と思っているようだった」

 天一坊に心酔しんすいし切っている亜蛇をどのようにさとしてよいやら悩んでいると「そうじゃ!思い出した」と、円祥が大きな声を上げた。

「十二年ほど前に山伏やまぶしの親子を宿坊すくぼうに泊めたことがある。確か父親の名は『改元かいげん』といった。その改元が息子を改行と呼んでいた」

 円祥は境内の松の木をながめながら視線をさらに遠く運んで話を続けた。

「改元は偶然にも寺に来たお美世みよ様や姫様の生い立ちに関わる話をぬすみ聞きしたのじゃろう。これはわしの想像じゃが、辛く厳しい修験道をいる息子に希望を持たせるためご落胤の話を改行の身に置き換えて語ったのではないだろうか。そして改元は真実を打ち明けぬままにこの世を去ってしまった。残された改行は己をご落胤と信じて疑わないのじゃろう。あわれな話だのう」

 亜蛇はがっくりと肩を落として「おれはだまされていたのか」と、呟いた。

「いや、そうではあるまい。今の話を聴くと天一坊自身もご落胤だと信じているのだろう。しかし、そうは言っても姫を騙り者としたのはいつわりだがな」

 数馬は天一坊に利用され、口封くちふうじにあった亜蛇の身の振り方を考えていた。

「やっぱり騙されたことに変わりはないんだな。それに失敗したら殺そうとするなんて、おれを信じていなかったんだ」

 亜蛇の目にくやし涙が流れた。

「亜蛇、もう天一坊のもとに戻ることはない。われらと共に参ろう」

 数馬の言葉に吉乃も大きく頷き亜蛇に笑顔を向けた。

「本当によいのか」

 亜蛇が顔を上げて二人の目を交互に見詰めた。

「あなたは子供ながら沢山苦労をしてきたのです。これからは幸せにならねばなりませぬ」

 吉乃の力強い言葉にこたえるように、亜蛇の顔に初めて少年らしい笑みが溢れた。

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