第19話 亜蛇という少年

 天一坊が送った刺客は先回りして寿林寺じゅりんじへの道を急いでいた。

 吉乃の母『美世』の墓参りのため数馬たちが必ず寿林寺をおとずれると茅野かやのは確信していたからだ。

「天一坊様には腕の立つ武士を三人と願ったのに小童こわっぱ一人とは、いったい何を考えておられるのだ」

 歩きながら茅野は吐き捨てるように言った。

 共に旅をしてきたのは『亜蛇あじゃ』という十三歳の少年だった。

 亜蛇は何を言われても伏し目がちな鋭い目をちらっと動かすだけで無表情だ。

「いったいどれほど腕が立つというのだ。そもそもおぬしは武士でもないではないか」

 亜蛇ので立ちは着古きふるした単衣ひとえにたっつけばかま手甲てっこうを着け、髪は後ろで束ねただけだ。差し物は細身ほそみ長脇差ながわきざし一振ひとふりのみであった。

 茅野は何を言っても会話が成り立たない亜蛇にいい加減かげんうんざりしていた。

「おぬしの腕が確かなら一度見せてみろ。相手をしてやる」

 茅野は挑発ちょうはつするように言った。

 亜蛇は突然鋭い目を向けると、

「おれの技を見ることはできぬ。剣を抜いた時にはお前の首は宙を舞っている」

 ぽつりと言った。

 茅野もまた新陰流しんかげりゅうの使い手であったが、その不気味ぶきみさに思わず生唾なまつばを飲み込んだ。



 亜蛇が育ったのは山間やまあいの小さい谷にあるかくざとのような集落であった。

 そこの住人は脱藩だっぱんした武士に凶状持きょうじょうもちのやくざ、罪人の身内みうち連座れんざを逃れた者、足ぬけした女郎じょろうそして駆け落ちした夫婦などで、最後に住みつく終着の村である。

 住人たちは互いに干渉かんしょうしないのが暗黙あんもくの決まりになっており、したがって村長のようなまとめ役の存在もない。

 亜蛇の両親が何故なにゆえこの地にやって来たのかは誰も知らない。

 だが両親が住みついた時には既に肥沃ひよくな土地はなく、日当たりの悪い川沿いの湿しめった土地しか残ってはいなかった。

 それでも乳飲み子を抱えた両親はっ立て小屋を建て、運び込んだわずかな食糧しょくりょうつなぎ冬を乗り切ったのだった。

 春になると山菜さんさいや木の芽が芽吹めぶき、雪解けの川では魚がれた。冬眠から覚めたけものからは肉と毛皮を得ることができ、父親は山を下りて毛皮を麦や豆に替えてきた。

 しばらくは平穏な日々を過ごすことができたが、幸せな時間は長くは続かなかった。

 亜蛇が五歳の夏のことだった。

 毛皮を売りに行った父親が役人に尾行びこうされてしまったのだ。

 集落の住人の多くが藩の役人に連れて行かれ、亜蛇の母親も無宿人むしゅくにんとしてなわを打たれた。

 なんを逃れた住人たちは父親をののしり袋叩きにして殴り殺した。そして死体は家もろとも焼かれた。

 子供だった亜蛇は殺されることはなかったが、村を追われ一人で生きる試練を与えられたのである。

 亜蛇は家の焼け跡からわずかな道具を拾い集めて洞窟どうくつに移住した。そして冬に備えて食料をたくわえた。

 雪が降り川が凍るまではひたすら食べ物を探し回ったのだ。

 野兎のうさぎの巣穴に手を入れたり、山芋やまいもを掘ったり、水面に顔をつけて川魚を獲ったりと一年中いつくばる亜蛇を村の子供たちは『へび!へび!』と呼んでさげすんだ。だが亜蛇は気に留めない。亜蛇の興味は食べて生きることだけだったからである。

 幸い亜蛇がしょくに困ることはなかった。冬になっても干し肉にありつけたし、魚の干物もあった。山芋は米代わりの主菜しゅさいだった。


 七歳になると亜蛇は父親の残した山刀やまがたなで数々の道具を作った。

 山には竹が豊富にえていて格好の道具へと姿を変えた。亜蛇は特に手先が器用であった。

 竹をいてみ、魚を獲る仕掛けを作った。そして竹は武器にもなり、やり弓矢ゆみやは獣を獲るのに便利だった。

 亜蛇が最も気に入っていたのは薄刃うすば状にけずった竹の棒だ。

 腹が満たされた午後は川岸で竹の刀を振るうのが日課になっていた。平たく削った竹は風を受けるとたわんで軌道きどうが波打ち真っ直ぐに振れない。

 ある日亜蛇が己の肩の高さで竹刀ちくとうを真横に振っていると初めてなんの抵抗もなく水平に振れ、空気をいて「ひゅう!」と笛のような音を出した。

 亜蛇は口元に笑みを浮かべて鼻で「ふふ」と笑った。それからというもの亜蛇はその音を求めて必死に竹刀を振り続けるのであった。


 

 川岸を流れに逆らって半日ほど歩くと激しい音を立てて落ちる一筋の滝がある。

 滝つぼの周りは澄んだ池になっており、池の先は再び瀑布ばくふと変わった後に大岩に当たってふたすじに分かれる。その支流しりゅうになる方が亜蛇が暮らす水場みずばとなるのだ。

 十歳になり行動範囲を広げた亜蛇はよく川に沿って登り、汗と身体の汚れを落とすため水浴びにやってくる。

 亜蛇がいつものように池に入ろうとすると、その日は先客がいた。滝に打たれる山伏やまぶしだ。

 修験道しゅげんどうにおける滝行たきぎょうなど知らない亜蛇はそっと池から離れて狩猟しゅりょうで時間をつぶしていた。

 そこは獣や鳥が水を飲みに来るので狩りには絶好ぜっこうの場所であった。

 亜蛇は身を低くして草むらに隠れた。右手に握った竹刀の切っ先を左肩の上に置く独特の構えだ。

 やがて草を分けて一頭の若い鹿しかが亜蛇のすぐ脇を進んできた。鹿は亜蛇の気配けはいを察すると驚いて跳躍ちょうやくした。

 亜蛇は鹿の動きに合わせて飛び上がり左肩に乗った切っ先を水平に払った。

 鹿は着地と同時にくずれ落ち、見るとのどがぱっくりと割れて絶命した。

「見事だ、実剣じっけんであれば首が落ちよう」

 声をかけたのは滝行をしていた山伏であった。

 亜蛇は驚いて飛び退き、片膝をついて低く身構えた。

「案ずるな何もせぬ。そなたの技があまりにも見事だったので声をかけたくなっただけだ。わたしはこの熊野くまのの山中で修業をしておる改行という名の修験者しゅげんじゃである。ところでその技はそなたの父に習ったのか」

 亜蛇は立ち上がって興味深くその出で立ちを眺めた。そして改行を見上げたまま首を横に振って言った。

「親はいない。獲物えものを獲るために自分で考えた」

 改行は亜蛇に興味を持った。

「では一人でこの山奥に住んでいるのか」

 亜蛇は大きく頷いた。

「名は何というのだ」

「本当の名などとうに忘れた。いつも這いつくばって獲物を探しているから村の奴らからはへびと呼ばれている」

 改行はその一言で他の者から蔑まれ孤独に生きてきたことを見抜いていた。

「へびはみ嫌われるものではないぞ。わたしはあらゆる地を回っておるが、蛇を祭っている神社も多々あるのだ。そうだ、そなたに新しい名を付けてやろう。へびにちなんで亜蛇というのはどうだ」

 亜蛇は首をかしげて、

「それはどういった意味なんだ」

 と聞いた。改行は笑顔で頷くとわかりやすく説明を始めた。

「亜蛇とは人にあがめられるような蛇にはいまだ達していないという意味だ。そなたはもっと修業をして人の役に立つ者にならねばならぬぞ」

 亜蛇はもっともだと思った。このまま食物を探す日々を送っていては、そのうちに己自身が獣になってしまうような気がしていたからだ。

「わかった、亜蛇が良い。それから改行様の行く所におれも連れて行ってくれ」

「わたしの弟子でしになりたいのか。よし、わかった。されば今日から亜蛇はわたしの一番弟子じゃ」

 そう言って改行は高らかに笑った。

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