第17話 道太郎の帰郷
吉乃がしずやさえと
「父上」と呼ぶ吉乃を制して数馬が言った。
「今は眠っております。腹に入った
「それではもう……」言いかけて吉乃は声を
「あっしらは見送ることしかできないなんて……」
勝五郎も涙を流し、膝に置いた拳に力を込めた。
その頃、紀州では病の
満江は荒い息づかいをしながらしきりと
満江は夢を見ていた。
道太郎様だ。道太郎様が帰って来られた。
「あなた……、戻られたのですね。お会いしとうございました」
「わしもどれほど会いたかったか、苦労をかけてすまなかったな」
「いいえ、わたくしはあなたを信じておりましたゆえ苦労とは思いませぬ。お役目は無事お
「あとは数馬が
「数馬はお役に立ったのですね」
「ああ、そなたが
「これからはずっとお
「もう決して離れることはない。ともに参ろうな」
満江の最後の言葉は「はい、ともに」であった。
それはうわ言なのか誰にもわからなかった。ただその顔から苦痛が消え、安らかに旅立ったことだけは見て取れた。
同時刻、江戸では道太郎が目を閉じたまま吉乃の手を固く握っていた。
そして「満江、満江」と
「父は今、母に会っていたのだと思います。そして母もまた願いを叶えて父と共に
勝五郎たちは数馬の話を素直に信じた。
「道理で幸せそうなお顔をしていらっしゃる」
鼻をすすりながら勝五郎が言った。
数馬は吉乃に向きを変えて、
「遠く江戸と紀州に別れても通じ合うことができる。人の心とは時に
微笑む数馬の目から
自分の悲しみを両親の幸せに置き換えた数馬の心が、切ないほどに痛々しく吉乃の胸に突き刺さった。
吉乃は言葉を失い、ただ数馬の手を握ることしかできなかったのである。
「そうか道太郎が
加納久通は
「父はわたしを
数馬は両手をついて頭を下げた。
「案ずることはない、茅野は忠義に
加納は数馬を
「そなたたちは本日ご落胤が上様にお目通りすると敵を
厳しい顔をして立ち上がった。
数馬は改めて平伏した。
加納は大久保屋敷を訪ねた。
大久保はその
「叔父上、その姿はどういうことですか」
「すべてはお取次様がご存知のことと
大久保は
「それはいささか虫の良い話でござるよ。上様に弓を引いたも同然の行為を
叔父といえども加納は
「倅は何も知りませぬ。
大久保は涙を流した。
暫く考えた後、加納はある提案をした。
「ご
「それではそれがしの切腹だけで収めていただけますか」
大久保は喜びに顔を上げた。
「心
加納は吉宗へのゆるぎない忠誠を尽くすべく、身内に対しても
大久保は武士らしく切腹して死ぬことが叶わぬとも息子を守ったことに満足し、去って行く加納の後ろ姿に深々と頭を下げた。
大久保忠直はその年の十一月に病床にて息を引き取ることになる。加納との約束を守り病死と届けを出した大久保家も
また、加納は
葉山は大久保が己の
「
葉山は青ざめた顔に
「どうかわたくしに
答える代わりに加納は厳しい顔で首を横に振った。
「大奥での自害は上様の知るところとなるゆえ、自害したければ大奥を去ってからご
加納の言葉は重く、葉山のすべての力を奪った。
葉山はその三日後、高齢を理由に
道太郎の葬儀は勝五郎の
「吉乃様、初めてお目にかかります。久通にございます」
加納は
「加納様のおかげで無事に生きながらえております」
吉乃も笑顔を返した。
「何をおっしゃいます、わたくしは姫様に
「はい、わたくしも香月家の皆様には感謝とお
吉乃は目を伏せてしみじみと言った。
「それにしてもお美世様もお美しかったが吉乃様はさらにお美しい。上様もきっとお喜びになられるでしょう」
そこに数馬が部屋に入って来た。
「本日はお忙しいところ焼香を
「うむ、道太郎には生きているうちに礼を言いたかった。命を
加納の言葉に数馬は心を震わせた。
「そのお言葉だけで
「数馬、これからどうするつもりだ。紀州に戻って香月家を
加納は自分の
「まずは国元に戻り、父の
数馬がそう言うと、加納は「うむ」とゆっくり頷いた。
すると吉乃が数馬の方に向きを変えた。
「どうぞその旅にわたくしもお連れくださいませ。道太郎様はわたくしにとっても父親同然のお方です。わたくしも墓前にお参りがしとうございます。そして山寺に眠っている母の墓前にも報告をしたいのです」
加納も数馬も吉乃の申し出に反対する理由がなかった。だが、加納には気掛かりもあった。
「上様は吉乃様とのご対面を楽しみにしていらっしゃいますぞ」
「それについては加納様にお願いがございます」
吉乃が突然言い出すのに加納は驚き、
「何でございましょう」
と、慌てて
「わたくしは山育ちの
吉乃の真剣な
(いずれは
加納の考えとは
急に吉乃が遠い存在へと離れて行ってしまうような不安を覚えたのである。
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