第16話 薬研堀の死闘

 数馬は道太郎を訪ね加納久通の意向いこうを伝えた。

「そうか加納様は大久保様を許されなかったか」

 道太郎は加納に対する忠義ちゅうぎの心が一瞬いっしゅんでもらいだことをじていた。

殿とのは上様に対する忠義に厚く、上様からも益々信頼されて所領しょりょうも今や一万石いちまんごく大名だいみょう並みでございます。叔父といえども弾劾だんがいするのは当然です」

 数馬が加納を『殿』と呼び素直に忠誠ちゅうせいちかっている姿を見て、道太郎は息子がほこらしかった。

「して加納様が言われたように大久保様のお屋敷に討ち入るのですか」

 吉乃が心配そうな面持おももちで尋ねた。

「いくらお許しが出たとしてもそういう訳にはいかぬだろうな」

 道太郎が考え込むと数馬も、

「殿は内密ないみつでとおおせられましたが、屋敷に押し入っておいて内密にはできませぬ」

 と、こまてた。

 考えた末に道太郎が口を開いた。

「いっそのこと幽霊屋敷にさそい込むか」

此処ここにですか」

 吉乃が驚いて言った。

「此処ならばいかにも刺客から身を隠しているようではないか」

「吉乃さんはどういたしますか」

 数馬は吉乃の身を案じた。

「うむ、その間は勝五郎に頼むとしよう」


 翌朝、数馬は吉乃と連れ立って行徳河岸ぎょうとくがしに来た。船に乗る橋本兄妹を見送るためだ。

「香月殿、貴殿には言葉ことばでは言い尽くせぬほど世話になりました。それがし感謝の気持ちでいっぱいにござる」

 源之助は今にも泣きそうな顔をしている。

「昨夜江戸屋敷からご家老かろうの使いの方が見えて、仇討ちの褒美ほうびと帰りの路銀ろぎんを頂戴したのです。その際に上様のお取次とりつぎ様とは知り合いなのかと尋ねられました。加納様にはそれがしの友がつかえていると大口おおぐちをたたいてしまいました」

「そうですか、それは上々。加納様は早速うごいてくださったのですね」

 数馬が安堵あんどして言った。

「昨日の内に国元へ早馬はやうまも出たそうです。使いの方が大手を振って国へ帰るが良いと言い残して去られた後、わたくしたちは香月様がそこまで気遣きづかってくれたのかと兄と手を取り合って泣きました。

 瑞江も感情がよみがえって涙声なみだごえで告げた。

「これで瑞江様もいとおしい方と結ばれますね」

 微笑む吉乃に「はい」と、笑顔で答えた瑞江は吉乃に近づくと耳打ちした。

「吉乃様も本来のご身分を取り戻す前に、本当の幸せとは何かお考え下さい。そしてその時が来たら勇気ゆうきをもって……よいですね」

 吉乃は真顔まがおで受け止め、こっくりとうなずいた。

 船出ふなでの呼び声がして続々と客が乗り込んだ。そのほとんどが成田山参なりたさんまいりである。

「お世話になりました。どうぞお元気で」

 瑞江が深々と頭を下げた。

「源之助殿、我らは本物の友ですぞ。大口ではござらぬよ」

 数馬の言葉に「かたじけない、必ずまた会いましょう」と、源之助は力強く言って船に乗り込んだ。

「瑞江様~わたくし勇気を出します」

 吉乃は手を振りながら大きな声を届けた。


 そして午後、道太郎の姿は大久保屋敷にあった。用心棒をしている両替商の護衛ごえいをして来たのだ。

 道太郎はこの機会を逃さず、主人を待つ間に屋敷の小者こものたちと茶飲み話をした。

 し暑い時は幽霊話ゆうれいばなしに限ると台所から女中も出てきて聴いている。

薬研堀やげんぼり墓地ぼちに囲まれた袋小路ふくろこうじに幽霊屋敷と呼ばれるあばら家がある。何処どこから流れてきたかは知らぬが侍の父娘が隠れ住んでいるという。その墓地は無縁仏むえんぼとけも眠っているというが、夜中にコツンコツンと音がするとか。どうやら成仏じょうぶつできないたましいみずか墓石ぼせきっているといううわさだ。そのあばら家に住む父娘も浮かばれぬ幽霊かもしれぬな。どうだ、話の種に一度行って見ぬか」

 道太郎は父娘という言葉を特に強調きょうちょうして語った。「くわばら、くわばら」と、首をすくめながら皆それぞれの持ち場へ戻って行った。

(仕込みは上々、後は動きを待つのみだ)


 道太郎の思惑おもわく通り、夜には動きがあった。

 庭に忍ぶ者の気配けはいを戸口の外に感じた時、手はず通りに吉乃が口火を切った。

「父上、上様とのお目通めどおりはいつになりますか」

「うむ、お取次様に確認したら明日は忙しいため明後日となった」

 戸口の隙間すきまに耳をそばだてるのを確認するとさらに続けた。

「その時は大久保様の所業しょぎょうもお話しすべきでしょうか。わたくしが城中じょうちゅうに入ってしまえば襲われることもなくなると思われますが」

「さりとてこれは上様に対する謀反むほんだ。お話しせねば我らが忠義ちゅうぎおこたることになる」

 外の気配がすっとうすれてその場から離れて行った。

「行ったようだな、これで間違いなく明日の夜には総力そうりょくげて襲って来る。朝になったらそなたを数馬の所へ送って行くから、数馬と浅草に行きなさい」

 因縁いんねんの対決を此処で終わらせる。道太郎は闘志とうしを燃やしてこぶしを握り締めた。


 道太郎は吉乃を数馬にたくすと大久保屋敷の様子をさぐりに行った。最後の確認であった。

 数馬は浅草への道すがら道太郎のことを考えていた。

(今夜、敵を一掃いっそうしたところで父上の役目は終わるわけではない。上様との目通りが叶うまでは終わらないのだ)

 数馬は真顔で吉乃の目を見つめた。

「たとえ我らが倒れたとしても、加納様を通して上様とのお目通りを叶えてください。それが父上の悲願ですから」

 吉乃は目をらし、悲し気に顔を横に振った。

「いやです。たおれるなどと考えたくもありませぬ。無理だと思ったら例の抜け道から逃げてください。命を無駄むだにしないで」

 懇願こんがんしたが吉乃の思いは数馬の胸に届いていなかった。

 勝五郎は数馬のただならぬ気迫きはくに驚いた。数馬から事が収まるまで吉乃を頼むと言われ、その覚悟かくごを知るやしかと承知した。

神門しんもんかしら、すまぬが日が傾くまで一部屋をお貸しいただけないでしょうか」

 数馬は部屋にこもると座して静かに目を閉じた。

 今宵こよいの戦いは捕縛ほばくが目的ではない、一人残らず息の根を止めなければならない。

 人を斬るのは初めてであった。動揺どうようすることは数馬にとって落命らくめいつながる。

(恐れを抱かず、過信かしんもしない。雑念ざつねんを捨てて長年修業してきた剣の腕のみを解放しよう。あとは身体が勝手に動いてくれよう)

 腹が決まると数馬は浅草を出た。「まずは腹ごしらえですよ」と、にぎめし新香しんこを持たせてくれた。


 薬研堀の家には道太郎が戻っていた。

「今しがたまで様子を見ていたのだが、大久保屋敷では根来衆が集結しゅうけつしておった。根来衆をたばねるのは頭領とうりょう鬼蔵おにぞう、その鬼蔵に指示を出すのは大久保家用人ようにん茅野竜膳かやのりゅうぜんだ。奴らにとっては暗殺をげる最後の機会だから全員で来るだろう。総勢十五人といったところだ」

心得こころえました父上。それでは今のうちに夕餉ゆうげしょくしておきましょう」

 数馬はしずに持たされた握り飯の包みを開けた。


 敵の襲来しゅうらいは夜半であった。

 道太郎と数馬は一睡もせず辺りに注意を張りめぐらせていた。

 近隣きんりんが寝入った静寂せいじゃくの中にビシッと小枝こえだが折れる音が響いた。

 道太郎はあらかじめ草地の中に枯れた小枝をいていた。庭の小道に敷きめられた小石は踏まずに草むらから来ると読んでいたからだ。

「出るぞ、数馬は此処で敵を待て」

 道太郎は言い残して引戸からおどり出た。庭にいた忍びはあわてて道太郎を囲んだ。

「娘は中だ、射掛いかけろ」 

 最後尾から茅野竜膳が叫び、鬼蔵はへいに上った忍びに合図あいずを送った。

 塀の上の射手しゃしゅからはなたれた火矢ひやは次々と屋根に突き刺さり、杉板葺すぎいたぶきの屋根から白い煙が立ち昇った。

 数馬は室内から雨戸を少し開け、隙間から半弓はんきゅうで矢を放った。

 塀の上の射手が胸を射抜かれて落下すると、鬼蔵は残りの忍び三人に室内に入るよう指示を出した。

 三人の忍びは雨戸をこわして煙でかすんだ室内に入った途端とたん物陰ものかげに隠れていた数馬に一刀いっとうのもとに斬られ絶命した。

 鬼蔵は手ごわい道太郎に戦力を集中させていた。

 その道太郎はすでに四人を倒したところで投げなわからめとられた。

 数馬は縄を持つ忍びに室内から矢を射って道太郎を自由にした。

「先に娘を殺せ」

 鬼蔵の命で道太郎から残りの忍び半分が離れた。忍びたちは混乱していた。

 たちまち庭の忍びは道太郎に討ち取られ、室内に飛び込んだ者は数馬に討たれた。

 手下てしたを失った鬼蔵はじゅうを構えて建物に照準しょうじゅんを合わせた。

 それを見た道太郎は「出るな!」とさけんで走った。

 煙にき込みながら外に出て来た数馬に鬼蔵は引き金をしぼった。

 発射音と共に倒れたのは、数馬のたてになるように飛び込んだ道太郎であった。

「父上!」と叫んで走り寄りながら数馬は小太刀を抜いて投げた。

「ぎゃっ」という声を上げて鬼蔵が倒れた。切れ味の鋭い小太刀は鬼蔵の胸に根元まで刺さりあおいもんを血に染めた。

 茅野竜膳の姿はとうに消えていた。

 家の屋根が焼け落ちて穴が開くと火は一気に燃えあがった。


 浅草では勝五郎たちが支度したくを整え待機していた。

 吉乃は数馬の危機ききを感じ取り、細かく振動する短刀を握り締めていた。

「お頭、火の手が上がりました」

 子分の知らせを聞いた勝五郎は「いくぞ!」と威勢いせいよく表にり出した。

 火消し衆は一斉いっせいに薬研堀に向けて走り出した。

 現場に着くや勝五郎はすぐに瀕死ひんしの道太郎を見つけると戸板に乗せて医者の家へ運ばせた。

 火事の方は幸い周囲が墓地や寺の境内けいだいであったため延焼えんしょうもなくあばら家一軒の消失で事なきを得た。

 火事だと思って路地に集まった町人たちは、鎮火ちんかしてくすぶっている家の周辺に多数の死者が転がっているのを見て何事かと驚いた。

 そしてその中心に力なく膝をついてうなだれた数馬が血に染まっていたのである。

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