第15話 加納の采配

 品川からの帰り道、数馬は別行動をとるため増上寺ぞうじょうじを過ぎたあたりで兄妹と別れた。

「仇討ちにおける最後の一仕事ひとしごとをして参ります。源之助殿、仇討ち赦免状と証明書をお借りできますか」

 突然の数馬の申し出に何のことやらわからぬまま「それは構わぬが」と、源之助はふところから書状を出して手渡した。

 数馬はその足で加納久通を訪ねた。


 加納は数馬の旅装束たびしょうぞくを見て怪訝けげんに思ったがあえてれなかった。

「どうだ数馬、姫の行方はわかったか」

「ご報告が遅くなり申し訳ございませぬ。その後、下谷したやの火事が原因でめぐり会うことができました」

「火事だと、姫は無事であろうな」

 数馬は慌てて説明不足をおぎなった。

「姫様は上様の一字をいただき吉乃という名でございました。江戸への旅の道すがら知り合った火消ひけ一家いっかと親しくなり、火事の折にはき出しなどで見事な働きぶりだったと聴いております」

 加納はみるみる笑顔になり「吉乃姫よしのひめか」と、つぶやいた。

「して暮らしぶりはどうであった」

「紀州では刺客に追われて山中の山小屋で暮らし、父の炭焼すみやきを生業なりわいとしておりました。江戸に来てからは人の寄り付かぬあばら家に暮らしております。墓地と隣り合わせで世間からは幽霊屋敷と恐れられておりますが、刺客からは隠れることができるからと父が決めたそうです」

 加納は目を閉じくちびるんだ。

「上様のお子に生まれながら苦難をいてしまったのう」

「されど吉乃様はつようございます。わたくしがお会いした時、ご自身の境遇きょうぐうよりもわたくしから父親をうばったことを気にかけてくださいました。また町娘まちむすめの友もでき、友の恋を成就させたり他人を気遣きづかう優しさもね備えておられます」

 加納の閉じた目から涙がにじみ出た。

「道太郎は何故わしを頼って来ぬのだ」

 数馬はいずれは話さねばならぬことと腹を決めた。

「それは、殿のご心中しんちゅうおもんばかってのことと存じます」

「どういうことだ数馬、子細しさいを申せ」

 数馬は畳に手をつき平伏へいふくしたまま、

「姫様暗殺の首謀者しゅぼうしゃがわかりました。申し上げにくいことなれど、そのお方は大久保忠直おおくぼただなお様でございます」

 と、告げると一気に加納の顔から血の気が引いた。

 数馬は話を続けた。

「きっかけは葉山はやま様が大久保様に計略けいりゃく仕掛しかけたことにございます。葉山様はご落胤を男子おのこいつわり、上様ご嫡男ちゃくなん家重いえしげ様にとって世継ぎの座を奪う存在であると大久保様をけしかけたのです。大久保様は刺客に根来衆ねごろしゅうを使って襲わせました。やがてご落胤は女子おなごと判明しましたが、ご落胤を襲った事実を隠すため暗殺をやめようとせずに江戸入りした父娘を無差別むさべつに殺害する暴挙ぼうきょにまで発展してしまいました」

 加納は肩を落として愕然がくぜんとした。

何故なにゆえ叔父上が……。祖父として言語に障害しょうがいのある家重様の行く末を案じてのことだったのであろうが、罪なき者を殺めるのはもってのほかだ」

 加納の吉宗に忠義ちゅうぎくす立場はゆるぎなかった。

「数馬、そなたに直接関与かんよした者どもの成敗せいばいを命ずる。道太郎にも伝えよ、わしへの配慮はいりょらぬとな」

「はい、承知つかまつりましてございます。大久保様への対応は殿にお任せいたします」

「心得た。大久保屋敷に討ち入っても構わぬがすべては内密ないみつことを運ぶのだ」

 命を受けた数馬がなかなか帰ろうとせずもじもじするのに加納は気付いた。

「どうした、まだ何かあるのか」

「はい、お願いの儀がございます」

「申してみよ」

 数馬は仇討ちの件を持ち出した。

「実はわたくしの長屋にしてきた武家の兄妹がおりまして、入居した夜に例の刺客に襲われました」

「何ということだ、また犠牲者ぎせいしゃが出たのか」

「たまたま娘が薙刀なぎなた手練てだれで事なきを得ましたが、その兄妹は仇討ち赦免状しゃめんじょうを持っておりました」

 数馬は橋本家に起こった悲劇ひげきと仇討ちに至った経緯いきさつを語った。

えんあって助太刀をすることとなり、無事に本懐ほんかいげましてございます」

 数馬は預かった仇討ち赦免状と代官所の証明書を見せた。

「そなたの旅装束を見て不思議に思うたがそういうことであったか。して願いとは」

「はい、橋本兄妹がこのまま帰ってもかたきの亀石一族の勢力下せいりょくかではどのような扱いを受けるかわかりませぬ。殿のお力で佐倉藩さくらはんに働きかけをお願いできぬかとあつかましくもお話しした次第しだいでございます」

 加納の顔にやっと明るさが戻った。

「わかった、江戸家老えどがろうを呼んで釘を刺しておこう。だがそなたも相当なお節介者せっかいものよのう、助太刀だけでなくそういったところに気が回るのをわしは嫌いではないぞ」

 加納の笑顔を見て数馬はほっとした。

(殿は大久保様のことで心を痛めておいでなのに、殿こそ優しいお方ではないか)

 数馬は加納に仕える喜びを感じていた。


 加納久通は江戸城内の執務室しつむしつに佐倉藩の江戸家老を呼んだ。

「本日は頼みたいことがあって来てもらった」

「お声掛こえがけいただき恐れ多いことにございます。加納様直々じきじきの頼みとは何でございましょう」

 家老は硬くなって尋ねた。

「佐倉藩に関わることだが、今や藩主乗邑のりさと様はご老中ろうじゅうにて上様の改革かいかく尽力じんりょくされておられる。些細ささいなことなのでお耳に入れず処理したい」

 家老は益々ますます身を引き締めた。藩に問題があり公儀こうぎがそれを知った場合は改易かいえきの恐れもあるからだ。それは譜代大名といえども楽観らっかんできぬことであった。

「わしの配下の者が縁あって貴藩きはんの橋本源之助なる者の仇討ちを手助けした。仇討ちは作法にのっとり成就したので問題はないのだが、仇討ちをせざるを得ない事態じたいになったことが問題なのだ」

 加納はそう前置きしてから数馬の報告の内容を伝えた。

「藩主が老中として忙しく働いておるすきに亀石という一族が私欲しよくによって不正を行い、あげくに藩内で勢力を伸ばすなど言語道断ごんごどうだん

 加納が語気を強めると家老は慌てて畳に手をつきひたいりつけた。

「そこでな、そなたより国元くにもとへ書状をしたためてもらいたいのだ。亀石一族の詮議せんぎをするようにとな。それから仇を討って戻った橋本源之助がふたた冷遇れいぐうされぬようにしかと頼みたい」

「ははっ、かしこまりましてございます」

 そこで加納は再び表情をゆるませた。

「これはめいではない、公儀からの命ならば藩主殿を通さねばならぬ。あくまでも加納久通からの頼みである。書状にはわしの名を出しても構わぬからな」

有難ありがたき幸せ、我が主君の老中というきずをつけるところでございました。国元へはしかと申し聴かせまする」

 家老は顔を上げずに平伏したまま答えるのであった。


 その晩、六兵衛長屋ろくべえながやに佐倉藩江戸屋敷から使いが来て、源之助と瑞江に対し仇討ち成就の褒美ほうびと帰りの路銀ろぎんが届けられた。

 兄妹は数馬が手を回してくれたのだと喜びすぐに家を訪ねたがあいにく数馬は留守だった。

「兄上、きっと吉乃様の所ですよ」

「そうだな、まったく忙しいお方だ」

 二人は数馬のいない戸口とぐちに向かって深く頭を下げたのだった。

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