第11話 六兵衛長屋

 数馬が探索方同心の役目にいてから半年がった。

 江戸入りする父娘おやこを守るための夜回りは続けていたが、当初のような悲惨ひさんな事件はすっかり途絶とだえていた。

 そんなある日、六兵衛長屋に新たな住人が加わった。

 空き家になっていた通路奥の家に住み着いたのは、浪人とは思えないよそおいのしっかりした武家ぶけ兄妹きょうだいであった。

 兄の方は数馬より年上のようだが、妹は吉乃と同じ年頃なので二人はかなり歳が離れていた。


 数馬が警戒する中、五日後にはもう刺客が現れた。

 数馬の家は長屋の入口近くにあったので夜半やはんの異変に気付くのが早かった。

 しのんで来る三人の黒装束くろしょうぞくが通り過ぎた後、数馬はそっと表に出た。

 いざという時に飛び込めるよう距離を縮めて様子をうかがうと、三人は入口の前で板戸をこじ開けようとしていた。

 その時である。中から「何者だ!」と娘の声がして内側から板戸が開いた。娘の手には短い薙刀なぎなたにぎられていた。

 驚いたのは黒装束の三人だ。飛び下がるように離れると刀を抜いた。

 娘はみずから斬り込むと下からすくい上げた薙刀で足を払い、斬り下ろす刀をはじいてから石突いしづきで腹を突き、さらに回転するとやいばはらで最後の一人の背を打った。

 流れるような動作で三人を転がすと、

盗賊とうぞくめ、盗む物など何もないゆえ二度と来るでない」

 そう言い放ち、逃げる後ろ姿に声を掛けた。

 敗走はいそうする者たちを尻目しりめ愉快ゆかいそうに笑う数馬が姿を見せると、娘はじらいの表情を見せた。

「お役人様、ご覧になっていたのですか。はしたないところをお見せしてしまいました」

 娘は数馬の十手じゅってを見て頭を下げた。

「お見事でした。その腕前ならば心配ないと思い、お助けせずに見物しておりました」

「まあ、お人が悪い。茶でも飲んでいかれませ」

 娘も微笑ほほえみながら数馬を誘った。

 何事かと集まって来た住人たちを家に戻してから兄妹の家に入ると、兄は部屋の隅にいてまだ胸の前で刀をかかえていた。

「兄上、もう族は去りましたよ」

 それを聴いて兄は我に返り数馬を見た。数馬は慌てて正座すると刀を脇に置いた。

「わたしは探索方同心、香月数馬と申します。お二人同様この六兵衛長屋に住んでおります」

「それですぐに駆け付けてくださったのか、かたじけない。それがしは佐倉藩勘定方さくらはんかんじょうがた橋本源之助はしもとげんのすけと申す。そして妹の瑞江みずえです」

 源之助は茶を運ぶ妹を見ながら言った。

藩士はんしの方がこのような長屋に住まわれるには何か訳がありそうですね。わたしがお役に立てるようなご事情でしたらどうぞお話しください」

 数馬の申し出に、源之助は瑞江と目を合わせ小さく頷いた。

 瑞江はささやかな文机ふづくえの上の位牌いはいに手を合わせ、そなえるように置かれた書状を手に取って兄と並んで正座した。

「どうぞご覧くださいませ」

 差し出された書状を開いた数馬は目をみはった。

「これは、仇討あだう赦免状しゃめんじょう

「さようでござる。我らは父のかたきを追って江戸まで来たのです」

 源之助は事の始まりから事情を語り出した。


 源之助と瑞江の父、橋本源太夫げんだゆうは勘定方で出納帳簿すいとうちょうぼの記録を役目としていた。生真面目きまじめでたとえ一文いちもんでも金額が合わぬと何度でもそろばんをはじいた。

 半年前のことであった。源太夫は参勤交代さんきんこうたいでの馬廻うままわしゅう武具ぶぐが古くなったとの理由から、番方ばんがたに買い替えや修理代として公金を用立てた。そしてその領収書を受け取った時、何となく内容に違和感を覚えた。

 ひそかに新しくなった武具を調べると数量が合わないため領収書を発行した商人たちを問いただした。その結果、侍大将さむらいだいしょう亀石重兵衛かめいしじゅうべえ御用達ごようたし商人の癒着ゆちゃくが発覚したのだ。

 源太夫は下城げじょう前に亀石を呼び出し、横領おうりょうした金子きんすを返すならば不問ふもんすと譲歩じょうほした。だが亀石は家格かかくが上ということを鼻にかけて、いっさい知らぬ存ぜぬを押し通した。

 やむなく源太夫は明日勘定奉行かんじょうぶぎょうに洗いざらい報告するむねを告げた。ところがその帰り道を待ち伏せしていた亀石によって無残むざんに斬り殺されてしまったのだ。

 事件は目撃者もくげきしゃがいたこともあって亀石は捕縛ほばくされ入牢にゅうろうとなった。

 その後の取り調べで亀石に与えられた処罰しょばつは領外への追放のみであり、誰もが納得できるものではなかった。

 公金横領についてはうやむやにされ、源太夫殺害においては単なる私闘しとうで片付けられてしまったのである。

 すべては代々だいだい藩の重役を輩出はいしゅつしてきた亀石一族の力技ちからわざであった。

 源之助は父の跡を継いで勘定方に就任し、事件は終結したと思われた。

 ところがその沙汰さたに納得できない下級武士たちが騒ぎ始めた。

 口々に「切腹せっぷくさせるべきだ」「仇討あだうちだ」と叫ぶばかりではなく、矛先ほこさきは源之助にも向いた。

「仇討ちを申し立てぬは武士の恥だ」「父親を殺されたのに泣き寝入りとはそれでも武士か」と責められ、源之助はやむなく仇討ちを申し出た。

 おとなしい性格の源之助にとって争い事は嫌いだった。刀よりそろばんの方が得意だったからだ

 そんな源之助を見て亀石側も仇討ちを承認した。直心影流じきしんかげりゅうの使い手である重兵衛が討たれることなど万が一にもあり得ず、返り討ちにでもすれば藩内も落ち着くと思っての判断だった。


 かくして仇討ちの許可を得た源之助は下総しもうさの国から宿場しゅくば町を転々と亀石重兵衛を捜しながら江戸に辿り着いたのだった。

「江戸では宿ではなく長屋に落ち着かれたのは何故なにゆえですか」

 数馬が長期滞在の理由を尋ねた。

「江戸の藩邸はんていにいる親族を亀石が訪ねたとの情報を得ましたゆえ。親族は多少の金子きんすを与えて追い返したそうですが、今や一族の恥さらしと爪弾つまはじき扱いだそうです。その後の消息はつかめておりませんが江戸に潜伏せんぷくしていると思っております」

 源之助の説明に瑞江も相槌あいづちを打って、

「この広い江戸でかたきを見つけるには腰をえてかからねばなりません。でもこうして同じ長屋で香月様と出逢であえたのも何かのご縁、どうぞお役目中で亀石の名を聞かれたならばお教えくださいませ」

 と、丁寧ていねいに頭を下げた。

「勿論です、その時はわたしも助太刀すけだちいたします。相手は剣の達人たつじんとのこと、いくら瑞江殿が薙刀の使い手といえども心配です」

「ありがとう存じます。お笑いでございましょう、我が家は女の方が強いのです。わたくしは幼い頃から母の手ほどきを受けて薙刀の修業をして参りました。兄だけでは返り討ちにってしまうと母が案じてわたくしを同行させたのです。何としても本懐ほんかいを遂げて無事に帰らねばなりませぬ」

 瑞江の目には決意がみなぎっていた。

 数馬は守るべき人がまた増えたと感じた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る