第8話 小太刀と短刀

 正月が過ぎた一月十八日、吉乃はに誘われて本所ほんじょ回向院えこういん参拝さんぱいした。

 その日は町火消まちひけし『を組』のまとい持ちである幸助こうすけも一緒だった。

 幸助は勝五郎が見込みこんだ若者で、さえとは火事の少ない夏前の時期に祝言しゅうげんを上げて勝五郎のあとぐことが決まっていた。

「今日は幸助さんも一緒だったのですね」

 参拝を終えると吉乃が言った。幸助は神妙しんみょうな顔で、

「はい、此処ここには俺のじいさんの家族が眠っていて今日が命日なんです」

 と、答えるとそのまま歩きながら説明した。

「昔、江戸の大半を焼き尽くす『振袖火事ふりそでかじ』と呼ばれる大火たいかがあって、当時五歳だった爺さんは両親や兄妹の家族全員を亡くしたんです。爺さんは父親の大工仲間だいくなかまに拾われて育ちました」

「お気の毒に……」

 吉乃がつぶやくと幸助はさらに話を続けた。

「修行して一人前の大工になった爺さんはその家の娘と夫婦めおとになり、生まれたのが俺の母親です。おふくろもまた大工の親父と夫婦になったから、うちはっからの大工一家です」

 幸助は笑顔で言った。

「どうして幸助さんは大工さんにならないのですか」

「俺は逆境ぎゃっきょうの中で強く生きた爺さんが好きだった。だから子供の頃から爺さんの家族をうばった火事が憎かった。俺は火消しになって江戸の町を守ると決めたんです」

 語気ごきを強める幸助をほこらしく、今度はさえが話をつなげた。

「それでね、大工の家業かぎょうは弟さんに任せて十五歳の時いきなりうちに飛び込んできたのよ。弟子でしにしてくださいってね。父さんは面食めんくらったけれど心意気こころいきが気に入って、急いでご両親に会いに行ったわ」

 三人が声に出して笑いながら両国りょうごく広小路ひろこうじに差し掛かった時、四人の派手はで格好かっこうの武士が千鳥足ちどりあしで向かってきた。

 泥酔でいすいした一人が幸助にぶつかると「無礼者ぶれいもの!」と言って刀を抜きはなった。

 咄嗟とっさに飛び退いたが身の軽い幸助であっても二の腕に傷を負った。

「何しやがんでえ」

 幸助がにらむと武士は再び刀を上段に構えた。

 吉乃は前に進むと帯の結びに隠し持っていた短刀を抜いた。

「ほう、おまえは武家であったか。その綺麗きれいな顔でしゃくをしてくれるなら許してもよいぞ」

 連れの三人もいやらしい笑みをたたえている。

「無礼はそちらの方です」

 短刀を持つ手に力が入った。その時、

「娘さんの言う通り!」

 大きな声に驚いた人々の視線が集まった。そこにはカルサンばかま菅笠すげがさかぶった若者が立っていた。腰に差しているのは小太刀のみである。

「おまえは何者だ。武士か」

 それには答えず、

「わたしのことよりお手前方てまえがた旗本はたもと穀潰ごくつぶしといったところか」

 若者は数馬であった。その日は非番であったため刀を置いて小太刀だけを差した軽装けいそうで両国広小路のにぎわいを見物に来たのだ。

 四人組は怒りに任せて全員が抜刀ばっとうした。

邪魔じゃまをすると痛い目を見るぞ」

 数馬は動じず、

かん違いをされては困る。邪魔をするつもりはない。おぬしらをらしめるだけだ」

 言うが早く進み出て、刀を持った手首を掴んでは次々に投げて大地にたたきつけた。

 幸助を傷つけた最後の一人には小太刀を抜き、みねを返してひたいを打った。

峰打みねうちでも痛かろう、られたあの人はもっと痛いのだぞ」

 そう言って幸助の方を見た。

 四人組は支え合いながら身体を引きるように去って行った。その後ろ姿に人々は拍手を送った。

「傷は深くなさそうですが早く医者に診せた方が良いでしょう」

 菅笠を取りながら数馬が言うと、

「ありがとうございました。ご恩は決して忘れません」

 吉乃はそれだけ言うのが精いっぱいで名を尋ねることもできなかった。


 家に帰った吉乃は不思議な出来事に動揺どうようしていた。

(思わず短刀を構えてしまったけれど、いくら力を入れて握ったからとてあのようにふるえるなんて)

 確かに手の中で短刀が自らうなるように振動しんどうしたのだ。

 吉乃はそのことを道太郎に話したかった。みずからの気を静めるように夕餉ゆうげ支度したくを始めた。


 一方、数馬も同じであった。

 小太刀を抜いて峰を返そうとした時、手の中でブーンと唸りを上げた小太刀が震えたことで動作が一瞬遅れた。

(あの時、相手が手練てだれであったなら後れを取り斬られていたかもしれなかった)

 そう思うと数馬は小太刀の正体を知りたくて加納を訪ねることにした。


 加納は腕を組んで考えていた。やがて口を開くと

「不思議な事よのう、刀がび合うとは」

 と、みょうなことを言い始めた。

「呼び合うとは」

「うむ、そなたの所持する小太刀は元々一振ひとふりの刀からできておった」

 そして経緯いきさつを話した。


 村正むらまさの刀は美しさと切れ味のするどさから戦国の世では武士たちに愛された名刀であった。

 吉宗の父『光貞みつさだ』は和歌山藩主となった記念に名工めいこう村正に一振りの刀を依頼した。

 ところが村正は心血を注いできたえる途中ではがねを折り、小太刀と短刀に作り変えてしまったのだ。

 太平の世となり武士たちは刀を単なる飾り物のように扱い、己の刀で怪我けがをするような技量のない武士が増えていた時代である。

 いつしか村正の刀は切れすぎてみずからを傷つける妖刀ようとうだと噂されるようになった。

 村正はそのことに激怒げきどして製作中の刀を折り、二度とつちを握ることはなかった。

 光貞は二振りとなった小太刀と短刀を受け取り、徳川の世が太平であることの証とした。

 村正はとがめられることもなく、小太刀と短刀は紀州徳川家の家宝かほうとなった。


 話を聴いて数馬は理解した。

「名工のたましいがこもった同じ鋼からできていれば呼び合うこともあるのでございますね」

 そう言った瞬間数馬は「はっ!」とした。

「そうだ、気付いたか。そなたがった短刀を持った娘こそが姫様ひめさまぞ」

「申し訳ございませぬ。名前も住まいものがしてしまいました」

 数馬は唇を噛んだ。

びずともよい。そなたのおかげで無事であったのだからな。だが思っていた通り江戸に辿り着いていたとは」

 そして加納は身を乗り出してうた。

「して、どうであった姫のご様子は。どのようなお方であった」

「はい、恐怖の中にあってもくっすることなくりんとして立ち向かっておいででした。とてもお美しい姫様です」

 数馬は吉乃の顔立ちを思い描きながら夢中で答えた。

「そうか母親に似て美しいか。数馬どうした、顔があかいぞ」

 加納は意地悪いじわるく笑いながら言った。

 数馬はさらに顔を染め、両国界隈かいわいを中心に探索すると告げて逃げるように屋敷を出た。



 道太郎は両国での出来事を聴いて最初は刺客かと思ったが、そうではないと知ると胸を撫で下ろした。

「わしは常に側におることはできぬ。これからもできるだけ一人の外出は避けるのだぞ、人気のない道を歩いてもならぬ。江戸ははなやかに見えて危険なところでもあるのだ」

 道太郎の注意にうなずきながら、吉乃は短刀を差し出した。

「今日、この短刀を抜いて構えた時にやいばが自ら震えたのです。そのようなことってあるのでしょうか」

 吉乃は疑問を投げかけた。

「それはわしにもわからぬ。されどこの世には人知じんちえた物事が存在する。たとえ物であっても、作った者や大切にした者の魂やら気が乗り移ることもある。その短刀は上様からいただいたもので名工村正が鍛えた逸品いっぴんだ。短刀の方から所持する資格がそなたにあるか問うているのやもしれぬな」

 それを聴いて吉乃は思わず背筋せすじを伸ばした。

 吉乃は布団に入ってもなかなか眠れずにいた。

(あのお方は二本差しではなかったけれど武士なのだろうか。三人を次々に投げる姿はまいを舞うように美しかったわ)

 思い出すのは刀を向けられた時の恐怖ではなく、菅笠を取った数馬のんだひとみだった。

 吉乃は胸の上に手を重ね、もしまためぐり会えたなら今度こそ名を告げて礼を言おうと思った。

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