第7話 探索方同心

 勝五郎かつごろうの家は浅草寺せんそうじ風雷神門ふうらいじんもんに面していた。それゆえ町の住人からは『神門しんもんの頭』と親しみを込めて呼ばれていた。

 本業は鳶職とびしょくだが火事に備えて二十人の子分こぶんを従えていた。

 道太郎たちはその全員に大切な客人きゃくじんとして紹介された。

「このお方は命の恩人だ。今日から此処ここで暮らされるが粗相そそうがねえようにな」

 勝五郎の言葉に子分たちは「へい!」と一斉いっせいに答えた。

 子分たちの目が道太郎より吉乃に釘付くぎづけとなったのは言うまでもない。美世みよ美貌びぼうを受け継いだ吉乃もまた美しい娘に成長していたからである。

 勝五郎にはという十八の娘がいた。吉乃と暮らすことになり一人娘のさえは妹ができたとばかりに喜んだ。

 さえは吉乃に町娘まちむすめ格好かっこうをさせ連日のように江戸の町見物に連れまわした。おかげで吉乃はにぎやかな江戸を謳歌おうかしていった。

 しかし、道太郎はいつまでも勝五郎の世話になるわけにはいかないと思っていた。刺客との戦いに巻き込む恐れがあったからだ。

 道太郎は単独で空き家などのまいを捜していた。



 大久保忠直おおくぼただなおの屋敷では大久保が不機嫌な顔で根来ねごろ頭領とうりょう対峙たいじしていた。

鬼蔵おにぞう、二人の行方はまだわからぬか」

「はっ、船を降りてからの日数を考えますと既に江戸には入っていると思われます。ご配下の方からの知らせは如何いかがでございますか」

 鬼蔵は見失った責任を回避かいひするように答えた。

「どこぞへせたわ。戦う勇気も持たぬやつだからな」

 大久保は吐き捨てるように言った。

「それより二人が上様と対面するようなことがあったら、暗殺あんさつくわだてたが大久保家は終わりだ。何とか手を打たねば」

 大久保が苛立いらだつのと対称的に脇にひかえていた茅野竜膳かやのりゅうぜんが静かに向きを変えた。

荒行事あらぎょうじですが手がございます。近頃ちかごろ江戸に住み着いた武家の父娘おやこを捜すのです。そして該当する者はすべてほうむってしまえばよいのです」

 茅野は冷たい視線を投げた。

 大久保は以前より茅野にはよごれ仕事をさせてきた。茅野はそれを冷徹れいてつにこなす大久保家の用人ようにんであった。

 娘を吉宗の側室につかせる際にも邪魔者じゃまものを密かに排除はいじょしたのが茅野だった。

 だが此度こたびの策には大久保も動揺どうようし、耳の後ろに汗が流れるのを感じた。

「それしか方法がないのであればやむを得ぬ。鬼蔵、今後は茅野の指示に従え。ただし無駄むだに殺すではないぞ、大事おおごとにならぬようにな」

 それだけ言うと大久保は席を立った。茅野はまたしても己のみの責任において事をなすのだと確信した。

 大久保がいなくなると茅野も立ち上がり、去り際に鬼蔵を見据みすえた。

「父娘だけ殺していては逆に目立つ。無駄な殺しもなくてはり合いが取れぬ」

 能面のうめんのような白い顔はまゆひとつ動かさずにそう告げた。


 三日後、一夜にして五件の殺人事件が起きた。そのうちの二件は二組ふたくみの父娘だった。

 いずれも金銭を取られており、南町奉行所では盗人ぬすっとの犯行とした。しかしどちらの父娘も浪人ろうにんで他国より流れてきたばかりという共通点を持っており、金などいくらも所持していなかったのである。

 そんな噂を聞きつけた加納久通は数馬を伴って南町奉行所みなみまちぶぎょうしょに奉行の大岡忠相おおおかただすけを訪ねた。

「加納様、如何いかがいたしましたか」

 突然の訪問に大岡が尋ねた。

「市中で二組の父娘が殺害されたと耳にしましてな」

 加納はおだやかな顔つきで答えた。

「確かに報告は受けておりますが、町方まちかたの事件に興味がおありですか」

 大岡は後ろに控える数馬をちらと見た。

「さよう、実はこれに控える香月数馬もまた江戸入りした父娘を捜しております。子細は上様にも関わることとだけ申しておきます」

 上様という言葉に大岡は身を引き締めた。

「そこでこの者に自由に探索たんさくできるよう手を貸していただきたい」

 大岡はしばし考えたが加納の頼みを無下むげにできぬことは勿論もちろん、将軍家に関わることと言われたら引き受けるしかなかった。

「されば探索方同心たんさくがたどうしんということで如何でしょうか。定廻じょうまわりとは別に管轄かんかつを持たぬ、報告のようも無しということで」

「かたじけない大岡殿、今は言えぬが後日子細しさいを打ち明ける所存しょぞんです」

 加納は礼をくしてそう告げた。

 かくして数馬は同心として十手じゅってを預かる身分となったのである。

 だが正規の役人ではないことをわきまえて、住まいを八丁堀はっちょうぼり同心屋敷どうしんやしきではなく馬喰町ばくろちょうにある長屋ながや間借まがりすることにした。

 肩書かたがきは探索方同心だがあくまでも加納の配下だ。従ってすべてのついえは加納から出ていた。

 数馬は江戸の町を知らぬため、昼間は定廻り同心に同行して江戸の事情を学び、夜は単独行動を取ることにした。

 昼間に江戸入りした父娘の情報を得ると、夜はその警護けいごいた。だが目当ての道太郎と吉乃には容易ようい辿たどり着けなかった。


 加納久通は江戸入りした父娘が殺された事件で、道太郎たちを狙った刺客の犯行ではないかと思った。

てきは何らかの方法で道太郎たちが江戸に向かったことをつかんだに違いない)

 そう考えながらも刺客の存在が信じられなかった。

 葉山はやまも今では大奥おおおくで絶大な権力を手にしている。恨みといっても亡きあるじの代わりに嫉妬しっとしただけだ。

 いつまでも刺客を差し向けて己の地位をあやうくはしないはずである。それならば誰が刺客をあやつっているのか。

 加納は道太郎が江戸に着いたならば真っ先に訪ねてくると思っていた。

 それが一番安全であり、吉宗に姫を会わせる近道であったからだ。されどそうしないのは何故なにゆえか。

 加納には理解できないことばかりだった。

 おのれ自身で動くことができぬ今、すべてを数馬にゆだねるしか方法がなかった。



 勝五郎一家の世話になって一月ひとつき後、道太郎は薬研堀やげんぼり近くの貸家を見つけた。

 裏通りの袋小路ふくろこうじで隣には古寺がある小さな家だったが、此処ならば戦いでえになる者はいないと判断をした。

 大家は家財全般かざいぜんぱんを扱う質屋しちやだった。主人は質流しちながれの物件を高く貸そうとしたが、道太郎は環境が悪いことと半年分の前払いを条件にかなり値切ねぎることができた。

 道太郎の所持する金は備長炭びんちょうたんあきないで得たものであったが、残りはやっと年を越せる程度であった。

 そこで大久保家を得意先とする大店おおだなの主人に取り入って何とか用心棒ようじんぼうの職を得ることができた。

 主人が大久保家に出向く時は必ず護衛に付き、先方では忍びの出入りなどを探った。

 小田原でつかまえた小者こものの言う通り屋敷にはあやしい者が出入りしていた。

 道太郎は時折ときおり屋敷を見張って忍びらしき者の後をつけたが、いまだ自分たちの居場所が知られていないことに安堵あんどした。

 警戒けいかいの手をゆるめない道太郎の緊張とは裏腹うらはら平穏へいおんな日々が続き、吉乃は勝五郎の家が実家であるがごとく頻繁ひんぱんに浅草へと通っていた。

 そうして無事に享保きょうほ十一年(1726年)を迎えることができたのである。

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