第6話 旅の道連れ

 道太郎と吉乃を乗せた船は尾張おわり浜松はままつ寄港きこうして備長炭びんちょうたんを降ろしていった。

 下田しもだを大きく迂回うかいした時、海が時化しけて高波に襲われた。

 船頭はすみしおかぶらぬよう相模湾さがみわんに逃げ込んだ。ところがかじを切った瞬間波に押され岸に近づきすぎて船底ふなぞこを損傷してしまった。

 船は小田原に上陸して修理することになったが、道太郎はそれを待たずに陸路りくろを選択した。

 それには訳があった。道太郎は乗船している人足にんそくの中にこちらの様子をうかがう目を感じていたからであった。

(見張りがいるということは、このまま江戸に入港すると刺客の集団が待っているということか)

 そう考えながら下船げせんすると、思った通り人足の一人が後をつけてきた。

 道太郎は人気のない路地ろじを曲がると、あわてて追って来た男を待ちせした。

「おまえは誰だ、何故なにゆえ後をつける」

 道太郎にいきなり前をふさがれて男は驚いて尻餅しりもちをついた。

「わたしはただの人足です。命ばかりはお助けを」

「人足ではあるまい、その身の振る舞いは武家の奉公人ほうこうにんと見たぞ。あるじの名を言わねば本当に命をつぞ」

 刀のに手を掛けると男はきつく目を閉じて、

「申し上げます、大久保忠直おおくぼただなお様です」

 と、容易たやすく主の名を告げた。

 道太郎はこの男には忠義ちゅうぎの心がないと見た。

「大久保様が何故われらを亡き者とするのだ。子細しさいを申せ」

 さらににらみをかせた。

「大久保様は上様のご嫡男ちゃくなん家重いえしげ様の祖父に当たります。大奥の葉山様からご落胤らくいん男子おのこと聴かされ家重様の座があやうくなると思われたからです」

「さればひめとわかった今をもってねらうのは何故か」

「それは姫様が上様とご対面され、お命を狙ったのが大久保様であると判明はんめいするのを防ぐためです」

 吉乃は道太郎の後ろで身をかたくした。道太郎は大久保の身勝手みがってさに憤怒ふんぬした。

「われらをおそうのは何者だ、しのびか」

「はい、根来衆ねごろしゅうです。わたしはあなた様の江戸での住まいを根来衆に知らせる役目でした」

 道太郎は何でも話す男をる気にもならなかった。

「これだけ話せばもはや大久保様のもとには戻れまい。このまま姿を消すならば生かしてやる」

 その言葉が終わらぬうちに男は立ち上がり、振り返ることもなくもつれる足で転びながら走り去って行った。

 大久保忠直は道太郎の主である加納久通かのうひさみち叔父おじに当たる。

 加納は大久保の所業しょぎょうを知っているのだろうか。いや、疑うことこそ不忠であると己をいましめた。

 道太郎は江戸に着いたら加納を頼るつもりであった。しかし加納の立場を考えると足を向けるべきではないと思った。

 二人は大磯宿おおいそじゅくで宿を取ったが、その夜は思案しあんのうちに明けたのだった。


 落ち着く先の決まらぬまま早朝に宿を発ち戸塚とつか山中まで来た時であった。

 道の先で争う声がした。

「てめえら女房を何処どこへ連れて行くんだ!」

「いい女は高く売れるんでね、おめえはさっさと路銀ろぎんき出しな」

 見ると一台の駕籠かごが道太郎の方へ向かって走ってくる。

「お武家さん、お願いしやす。その駕籠を止めておくんなさい」

 女房にょうぼうが連れ去られようとする亭主ていしゅ悲痛ひつうな叫びだ。

 道太郎は刀をさやごとおびから抜くと吉乃に持たせて下がらせ、駕籠に向かって両手を広げた。

「おい雲助くもすけ、お内儀ないぎを降ろして早々そうそうに立ち去れ」

「何を!さんぴん、痛い目を見たいのか」

 前の駕籠かきがどすのいた声ですごんだ。

「俺はこっちの娘の方がいいぜ」

 今度は後ろの駕籠かきが言った。

 駕籠がいったん下ろされ駕籠かきがそこを離れると吉乃は駆け寄って青い顔をした女房を助け出した。

 駕籠かきは道太郎を挟み交互に六尺棒ろくしゃくぼうを振った。

 道太郎は難なく棒をかわすと相手の手首をつかんで腰に乗せ、次々に山の斜面に投げた。

 駕籠かき二人は急な斜面を転げ落ち、下方の樹木に激突げきとつして気を失った。

 亭主の方は別の駕籠かき二人を相手に勇敢ゆうかんにも素手すでで戦っている。

 道太郎が助けに向かうと駕籠かきたちは駕籠を捨て慌てて逃げ去った。

 自由になった女房が「おまえさん!」と呼びながら亭主の胸に飛び込んだ。

「もう大丈夫だ、おしず怪我けがはねえか」

 うなずく女房に安堵あんどした後、道太郎に頭を下げた。

「ありがとうございました。おかげさまで女房も無事に戻りました。あっしは江戸の浅草あさくさ町火消まちびけし『をぐみ』をあずかる勝五郎かつごろうと申します。こいつは女房のです」

 しずも深々と頭を下げた。

「何事も無くてよかった。それがしは紀州浪人きしゅうろうにん香月道太郎と申す。連れは娘の吉乃でござる」

「香月様は江戸へ行かれますかい」

「うむ、そうだが当てにしていた落ち着き先を失ってどうしたものかと思案していたところだ。ところでそれがしは浪人だ、様はやめてくれ」

「わかりました、それでは香月さんと呼ばせていただきます。香月さんは恩人おんじんです。江戸に着いたら是非ぜひうちへおいでください」

「それはかたじけない、こちらこそ地獄じごくほとけだ。宜しくおたのみ申す」

 勝五郎は大山詣おおやままいりの後、しまに寄り江戸へ帰る途中であった。火消しにとって雨は有難いもので、江戸の町を乾燥させないよう雨乞あまごいのため霊験れいけんあらたかな大山詣に出たのであった。


「そうか、勝五郎さんは大山詣にかこつけておしずさんと旅がしたかったのだな」

「へい、おしずにはいつも心配ばかりかけさせているもんですから、たまには夫婦水入らずで旅でもするかということで出て来たんです。物見遊山ものみゆさんのついでに江の島まで足をばした結果がんだことに合っちまいました」

 勝五郎は首に手をやり苦笑いをした。するとしずが、

「そうじゃないんですよ、わたしがいけないんです」

 勝五郎をかばって口を出した。

「この人は『を組』をたばねるかしらなんです。火消しというのはどんな大火たいかを前にしても怖気おじけづかない、男をる仕事なんですよ。だから無理にでも普段から肩を張って生きなきゃならない。するとどうしても色目いろめを使う女たちが声を掛けてくるんです。わかっているんですよ、わかっているんですけどついもちを焼いてしまうんです。そうしたらこの人が旅でもしようかって言ってくれたんです」

 一気にまくしたてるしずを三人は口を開けて見ていた。

「おしずさん、素敵すてきです。お二人とも素敵です」

 吉乃がうっとりとした顔で言った。

 だが吉乃のあこがれとは違って道太郎の脳裏のうりにはまだ若妻わかづまのままの満江みつえの顔が浮かんでいた。

 勝五郎たちのように何でも言い合える夫婦めおとの関係がうらやましかった。

(忠義のためとはいえ妻のそなたにもつらい日々をいてしまったな。許せ満江、そなたにも言い分はあるだろうに)

 道太郎はこみ上げる想いを飲み込んだ。

 武家に生まれ、忠義こそが武士の本分と教えを受けて育った。それが今では己の全てを捨てることが忠義となっている。誰にも認められず、むくわれることもない。一人歩きをしている忠義とは、ただの自己満足ではないのか。

 道太郎は武士である意義を見失う岐路きろに立っていた。

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