第5話 数馬も江戸へ
十九歳の数馬は父をも超える
数馬は十五年間、一日も欠かさず一里半も離れた城下まで通ってきた。
四歳から始まった城下通いは過酷なものであった。途中で足が一歩も動かなくなると道の端に座って母に持たされたみかんを食べた。
それが成長に合わせて城下で過ごす時が増え、その分だけ
剣術が上達したのは道場での
しかしいくら学問や剣術に励んでもそれを生かす場がないことに数馬は悩んでいた。
「武士になどなって何とする。おまえの父親にしても武士を捨てて女と逃げたのだぞ。それよりわしのみかん農家を
伯父の言葉を聴くたびに数馬は父を
「母上、いくら
数馬は母に悩みを打ち明けた。
慶次郎と数馬が座すと満江は、
「これは夫からの文です。まずはお読みください」
そう言って慶次郎に差し出した。
慶次郎は読み終えると数馬に回した。二人とも
「道太郎様は藩を捨てて
満江は強い口調で告げると次は小太刀を手に取って
そこには紀州徳川家の
慶次郎も数馬もその家紋に目を
「そうです、今は将軍様になられた吉宗公から
母の言葉に数馬は目を大きく見開き、心が洗われるような気がした。
慶次郎はがっくりと肩を落とし、
「満江、数馬、散々道太郎を悪く言ってすまぬことをした。道太郎のように忠義に
と、胸の内を明かして
すると満江は数馬に向かって座りなおすとおもむろに小太刀を渡した。
「江戸へ行きなされ。そして上様のお
数馬は突然の江戸行きに驚いたが、先が見えたことに喜び「はい!」と答えた。
席を外した慶次郎が
「数馬、これを持って行け。いつまでも木刀を差しては歩けぬだろう。この刀は我が先祖が
「伯父上、ありがとうございます」
数馬は有難く受け取った。
「そうだ、これを忘れるところであった。これは
慶次郎は
その包みは以前たつきとして満江が渡した物であった。
「兄上、それは……」
満江が尋ねると、
「道太郎が家族のために送った物を使う訳にはいかぬだろう」
慶次郎は
兄の好意に満江は涙を
翌朝、数馬は出立した。
こちらは陸路での江戸行きである。初めての旅に数馬は心を弾ませた。
伯父から貰った路銀を
しかし、
母の健康と己の前途を祈願するためであった。
満江は昨年みかん畑で倒れ、医者からは心の
数馬はこの旅に出る時、母にはもう会えないのではないかと考えた。それでも
紀州を離れてから十五日後、数馬は品川宿に着いた。
その日は
早朝、加納はまだ
数馬が門を
数馬は腰から小太刀を
「この小太刀を加納様にお見せください。わたくしの素性がわかるはずです」
そう言って門番に手渡した。
門番はそのまま待つように告げて門の中に消えた。
数馬が通された座敷には加納が登城するための
「お目通りを
数馬は
「数馬か、大きゅうなったのう。最後にそなたを見たのは幼いながら必死で剣の修業をする姿であった」
加納は
「そなたはわしに
と、配下の者に数馬の部屋と食事の指示をすると出て行った。
加納は着流し姿に着替えて座敷に現れた。
「待たせたな数馬、そなたから預かった小太刀を上様にお見せしたところ、『そうか、生まれたのは
数馬には何のことかまったくわからなかった。
困惑の表情を浮かべる数馬を見て、加納は真顔になって数馬を見た。
「そなたには
前置きして加納は話し始めた。
十五年前、道太郎が
「当時はまだ紀州藩主であった上様は表立ってお美世様を守ることができず、そなたの父に託したのだ」
加納は苦し気な顔をして言った。
「上様は
加納は吉宗の心中を伝えた。
数馬の頭から父への疑念は完全に消えた。むしろ父が
父に会いたい、会えばきっとその答えが見つかると顔を上げて加納を見た。
「父が何処に隠れているかご存知でしょうか」
「いや、わしにもわからぬ。わしが用意した隠れ家へは行かなかった。お美世様を乗せた駕籠屋の話では刺客に襲われ駕籠を捨てたそうだ。恐らく隠れ家も敵の知るところになったと察したのであろう」
そして加納は
「数馬、そなたも父同様わしに仕えぬか」
突然の申し出に驚いたが、数馬は父と同じさだめを生きなければ父の思いはわからないと考えた。
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